42 [世界は卵から誕生した]
 
 前述(冒頭)のように旧約聖書の最初の『創世記』には、天地創造前の状態が、次の
ように描写されています。
「地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおってい
た」
 この文章の最後に用いられているヘブライ語の表現は、文字通り訳しますと、神の霊
が巨大な鳥の形を執って、原初の大洋の上で卵を温めていたことを意味すると云われま
す。そのため多くの専門家は、旧約聖書のこの箇所に、エジプトやフェニキア、ギリシ
ャなど、古代地中海文明圏の方々にあったことが知られている、世界が一個の卵から造
られたと云う神話の影響が認められると指摘しています。
 
 このいわゆる「宇宙卵型」の創造神話は、インド、イラン、中国にもあり、更にフィ
ンランド、ポリネシア、インドネシア、南アメリカなどにも見出されるなど、頗スコブる
広い分布を持つ天地創造神話の重要なタイプの一つです。この神話は、『日本書紀』の
冒頭の、次の記述の中にも採り入れられています。
「古イニシヘ天地のいまだ剖ワカれず、陰陽の分れざりし時、渾沌マロガれたること鶏の子の如
く、溟幸(サンズイ+幸)クグモりて牙キザシを含めり」
 つまり天と地が分離する以前には、円い鶏卵のような形のものがあり、万物の萌芽ボウ
ガがその内に含まれていたと云うのです。尤もこの『日本書紀』の文章は、『三五暦記
』と『淮南子エナンジ』と云う中国の書物から借りて来たとされるので、これだけで世界が
卵から造られたと云う神話が、わが国に存在したことの証明にはならぬと考える人も居
ます。その点で注意されるのは、ずっと後代までわが国にはこのような宇宙卵型の創造
神話が語りつたえられていたことが、十六、七世紀にヨーロッパからわが国に来た使節
や宣教師によって報告されていることです。例えば、モンターヌスの『日本志』と云う
書物には、1650年に京都で聞いた話として、次のような記事があります。
「世界は創造される以前には、真鍮シンチュウの殻で出来た巨大な卵に包まれていた。この卵
と共に世界は水の上に浮かんでいた。やがて月が透徹する光線の力で、卵の殻の底を少
し引き上げ、この部分が後に土と石になった。その上に卵は安定していたが、牛がこれ
を見て真鍮の殻を突き破った。ここにおいて世界は出来上がったのである」
 
 また1563年にはイエズス会士のヴィレーラと云う宣教師が、堺からの報告で、「世界
は最初丸い卵だったが、その卵が風によって破られ、白身から天が、黄身と殻から海と
陸とがそれぞれ発生した」と云う神話を紹介しています。
 これらの話が、どれ程古いものかは、勿論解りません。しかし、『古事記』や『日本
書紀』に記された話だけが、わが国に古くからあった神話の全てではないのです。
 
〈宇宙卵神話と卵の神秘〉
 
 宇宙卵型の天地創造神話の一つの例として、フィンランドの叙情詩『カレワラ』に見
られる、次の話をご紹介します。
「世界の初めには、大気の娘イルマタルがただ一人で広大な大気の中に浮かんでいたが、
やがて彼女は一人ぼっちで居る寂しさに耐え切れなくなって、原初の海洋の上に降り、
波に運ばれて海面を漂い始めました。するとそのうちに激しい嵐が起こり、海は泡立ち、
大波が立った。風と波の力を身体に受けているうちに、イルマタルは何時しか、処女の
まま胎内に英雄ワイナモイネンを身ごもった。しかしこの子は七百年の時が経過し、一
人の人間の生涯の九倍もの年月が流れても、彼女の胎内に留まり、いっかな生まれ出よ
うとしなかった。彼女は苦痛に耐えながら、海上をあらゆる方向へ泳ぎ回っていたが、
終いに遂に泣き出し、天の神ウッコに、『どうか自分の窮状を憐れみ、苦痛より解放し
たまえ』と祈りました。
 すると間もなく、一羽の美しい鴨カモが飛んで来た。鴨は止まる処を探しながら、原初
の海洋の上を、東西南北へ飛び回った。だが海面には鳥が巣を作れるような場所は、何
処にもなかった。
 鴨がこのように困惑している様子を見て、同情したイルマタルは、波の上に両膝を突
き出してやった。鴨はこれを見て、緑の若草に覆われた小山があると思い込み、早速そ
の上に降り立ち巣を作った。そして六個の黄金の卵と一個の鉄の卵を産み、温め始めま
した。イルマタルは、初めの内は懸命に膝を動かぬようにしていたが、卵は次第に熱く
なり、その熱のせいで終いには彼女の膝の皮膚が焼け焦げ、血管が溶けるかと感じられ
る程になった。イルマタルは遂に堪え切れなくなって、膝をぴくぴくと痙攣させた。す
ると卵は海に落ち毀れたが、無駄にはならず、割れた殻の上半分は天空となり、下半分
からは堅固な大地が出来た。卵の黄身からは太陽が、白身からは月が発生し、卵の中の
斑マダラな部分は星に、黒っぽい部分は雲にった」
 
〈海に潜って陸地を探せ〉
 
 これまで採り上げて来た宇宙卵の神話でも、世界の源となった卵は、それに先立って
既に存在していた原初の大洋の直中タダナカに出現したとされている場合が多い。このよう
に万物に先立ってまず海があったと云う考えは、世界の多くの民族の神話に共通した発
想です。海から遠く離れた内陸に住む民族の神話にも屡々、世界の初めにはただ一面の
海だけがあったことが、物語られています。
 ユーラシア大陸の内陸部を中心に、東南アジアや北アメリカまで含む広い地域に分布
している、専門家によって「潜水型創造神話」と呼ばれている独特なタイプの神話も、
まず原初に海洋があったことを物語の発端としています。この型の神話は、鳥が創造の
ために重要な役割を演じていると云う点でも、宇宙卵型神話と一脈の共通点を持ちます。
 
 潜水型創造神話の代表的な一例として、ブリヤート・モンゴル族の神話を紹介しましょ
う。「原初の海洋の上に、創造神ソンボル・ブルハンが居た。彼は十二の雛を伴って泳い
でいる一羽の水鳥を見て、これに命令した。
『水鳥よ、海底に潜って行って、私のために土を採って来なさい。お前の嘴クチバシで黒い
土を、お前の脚で赤い土を持って来ておくれ。』
 水鳥が言われた通り土を持って上って来ると、ソンボル・ブルハンはそれを受け取り、
水の上に赤土と黒土を撒マいて、最初の陸地を造った」
 
 ヨーロッパと北方アジアの一部では、この潜水型創造神話は、二元論的色彩を帯び、
神と悪魔の対立の主題を含む形に変化して、見出されます。ルーマニアで採集された次
の神話は、その一例です。
「世界が創造される以前には、ただ一面に水だけがあり、その上に神と悪魔が居た。神
は陸地を造ることに決め、悪魔に海の底に潜って、神の名によって大地の種を採って来
るよう命令した。悪魔は、二度続けざまに海底に潜ったが、その度に彼は、言われた通
り神の名によって大地の種を採る代わりに、悪魔の名によって採った。そのため彼が採
って来た大地の種は、悪魔が海面に帰り着かぬうちに、指の間からすっかりこぼれ落ち
てなくなってしまった。
 三度目に海底に潜ったときには、悪魔は自分と神の両方の名によって、土の種を採っ
た。水面に戻り着いて見ると、彼が神の名によって採った分に当たる、ほんの僅かの土
くれだけが爪の間に残っていた。この土を使って、神は水の上に小さな丘を造り、その
上に横になって休んだ。これを見て神が眠っていると信じた悪魔は、陸地を自分一人の
ものにするため、神を海中に突き落とし、溺死させようとした。すると、悪魔が神の身
体を転がすにつれて、陸地はどんどん面積を増し、終いには海は陸地によってすっかり
覆われてしまった」
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