12d わが国の神話「神武東征」
 
 [東への道]
 
〈大后オホキサキ選び〉
 
 さて、神倭伊波礼毘古命カムヤマトイハレビコノミコトが未だ日向の高千穂に居られたとき、阿多アタ
の小椅君ヲバシノキミの妹の阿比良比売アヒラヒメと結婚なされ、その間には多芸志美美命タギシミミノ
ミコトと、岐須美美命キスミミノミコトの二柱がお生まれになっていました。
 しかし、今や広く天下を治める王者となり、改めて大后とする乙女を探されることに
なりました。
 そこで、早速大久米命オホクメノミコトが進言されました。
「ここに、一人の乙女が居られます。神の御子でございます。その訳は、抑も三島湟咋
ミシマノミゾクヒの娘で、名前を勢夜陀多良比売セヤタタラヒメ、それはそれは美しいお方でございま
して。
 そこで、三輪山に居られた大物主神オホモノヌシノカミが、すっかり姫に見惚れてしまわれまし
た。あるとき、その乙女が厠カハヤに入られたとき、こっそり赤く塗った丹塗矢ニヌリヤの姿に
変身して忍び込まれます。大便をする厠の下を流れ下って、そっと乙女の秘所を突かれ
たのでございます。
 乙女は、一瞬雷神に撃たれたように吃驚ビックリして、大慌てに慌ててその場を走り回る
ばかり。それでも、訳も分からないまま、その赤い矢だけは放さず持ち帰り、寝床の側
に置きますと、矢は忽ち素晴らしい若い男の姿に戻られました。
 
 忽ち乙女の胸が火のように燃え盛ったのも、無理のないことでした。
 そこで乙女は、この三輪山の男神と目出度く結ばれ、生まれた子の名は富登多多良伊
須須岐比売命ホトタタライススギヒメノミコト。その富登多多良ホトタタラの秘所を表す『ホト』の名を『ヒ
メ』にして、比売多多良伊須気余理比売ヒメタタライスケヨリヒメと改めなされました。真に神の御
子と申し上げるのは、このような訳でございます。」
 さて、篤とこのような話を聞かれた後、ある日、七人の乙女が高佐仕野タカサジヌに出て、
野遊びをしていると云う知らせが届きました。その中に伊須気余理比売イスケヨリヒメも居る言
います。
 そこで既に天皇スメラミコトとなられている神倭伊波礼毘古命のお出ましとなりました。大
久米命は、姫を認めますと、早速にお歌を差し上げ、天皇のお気持ちを尋ねられました。
 
 倭の高佐士野タカサジヌを七ナナ行く 媛女ヲトメども誰タレをし枕マかむ
 (大和の高佐士野を行く七人の乙女たちのうちの、どなたがお気に入りで、妻となさ
  れますか。)
 
 見ますと、伊須気余理比売は乙女たちの先頭に立っています。天皇は、七人の乙女を
ご覧になって、予て心に留めていた先頭の姫に頷かれ、直ぐにお歌を返されました。
 
 かつがつもいや先立てる兄エをし枕マかむ
 (まあ、どちらかと言えば、一番先を歩いて行く年上の乙女を妻に迎えよう。)
 
 どうやら承知なされたお言葉です。
 大久米命は、直ぐに天皇のご命令と云うことで、伊須気余理比売に伝えました。
 しかし姫は、大久米命の入れ墨をした険しい目を見て、不思議に思い、さりげなく歌
で問い掛けます。
 
 あめつつちどりましととなど黥サける利目トメ
 (アマドリ、ツツドリ、チドノ、シトトそっくりに、あなたの目は、どうしてそんな
  に入れ墨までして、険しく光っているのですか。)
 
 大久米命も、
 
 姫女ヲトメに直タダに遇はむと我が黥サける利目トメ
  (それはその、美しい乙女のあなたを見つけようと、あんまり大きく目を見開いてい
  たからよ。)
 
と、さらっと歌を返されます。姫も快く納得しました。
 こうして話は、その場で纏まりました。
 伊須気余理比売の家は、狭井河サイガハの辺にありました。天皇は案内されるままに、そ
こで一晩お過ごしになられます。
 この川を狭井河と呼んでいる訳は、川の近くに山百合草が一杯咲いていたので、その
名前を採ったからです。元々山百合草は佐葦サイと云われていましたが、転じて狭井とな
ったものらしい。
 その後、伊須気余理比売が大后として、宮殿に参られたとき、天皇はそのときのこと
を懐かしんで、
 
 葦原のしけしき小屋オヤに菅畳スガダタミ いや清サヤ敷きて我が二人寝し
 (一帯葦の茂る周り中草ぼうぼうの小屋で、菅で編んだ敷物を、音もさやさや敷き延
  べて、私と二人、よく睦まじく寝たことじゃわい。)
 
と歌われました。
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