12e わが国の神話「神武東征」
 
 [東への道]
 
〈雲たちわたり〉
 
 さてさて、天皇がお亡くなりになった後、御子たちの異母兄である当芸志美美命タギシ
ミミノミコトが、今度は大后の伊須気余理比売イスケヨリヒメを妻に迎え、こともあろうに三皇子を謀
殺しようとされました。
 これを覚った母君である大后の伊須気余理比売は、あまりなことに怒り悲しみ、そっ
と歌を以て、皇子たちに知らせました。
 
 狭井河よ雲たちわたり畝火山 木の葉さやぎぬ風吹かむとす
 (狭井河の辺りから雲が湧き上がり、こちらに迫って来る。ほら、畝傍山の木の葉が
  騒がしい。嵐になりますぞ。気を付けなされよ。)
 
と。続いての歌 − 。
 
 畝傍山昼は雲とゐ夕されば 風吹かむとぞ木の葉さやげる
 (畝傍山には、昼間から雲が騒いでいる。この様子では、夕方になると、愈々風が出
  て来そう。木の葉がさやさや騒ぎ立てるよ。)
 
 こうした二首の歌に隠されたものを、はっしと覚った皇子たちは、夢にも思わぬ驚き
振り。
「そうと知っては、ぐずぐずしてはいられない。こちらから攻め込んで、直ぐさま当芸
志美美命を討ち果たすに限る。」
と真っ先に決意を固めた神沼河耳命カムヌナカハミミノミコトは、更に続けて、兄の神八井耳命カムヤイ
ミミノミコトに向かって進言されました。
「さあ兄君が先頭に立って、武器を執り、当芸志美美命を殺してしまいなされよ。」
 
 ところが、大刀タチを執って向かってはみたものの、手足がぶるぶる震えてどうにもな
りません。
 それを見ていられなくなった弟の神沼河耳命は、やにわに兄君の持っている大刀を執
って斬り付け、立ち所に当芸志美美命を殺してしまいました。以来、その勇気を称えて、
建沼河耳命タケヌナカハミミノミコトと申し上げるようになります。
 そこで、兄の命ミコトは、弟に全てを譲って任せることにしました。
「私の力では、仇を殺すことが出来なかったのに、そなたは、よくぞ果たして呉れた。
さあ、最早私は、兄とは名のみ、そなたの上に立つことは出来ない。これからは、そな
たが天皇の位クライに就いて、天下を治めなされ。私は、そなたの命ずるままに、神事を営
む忌人イハヒビトの職に就いてお仕えしよう。」
 こうして、長兄の日子八井命ヒコヤイノミコトと神八井耳命は、後に、それぞれ優れた部族の
先祖となられました。
 神沼河耳命は、快く天皇の位を引き継ぎ、綏靖スイゼイ天皇として天下を治められまし
た。
 先に亡くなられた初代の神武天皇、即ち神倭伊波礼毘古命の天皇の御年は、そのとき
百三十七歳。御陵は、畝火山の北の方、白檮尾カシノヲの辺ホトリにあります。

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