12c わが国の神話「神武東征」
 
 [東への道]
 
〈久米クメの子ら〉
 
 弟の弟宇迦斯オトウカシのお陰で、危うく難を逃れ、兄宇迦斯を退治した神倭伊波礼毘古命
カムヤマトイハレビコノミコトは、休むことなく宇陀を抜けて、やがて忍坂オサカと云う処まで軍を進め
ました。
 其処には、大室オホムロと呼ばれる大きな穴倉が、まるで命ミコトの軍勢を飲み込もうとする
ように、奥深く広がっています。家来たちが、
「なにやら不穏な気配が致します。」
と言って、偵察に向かいます。
 案の定、その大室の中には、この辺りに昔から住み着いていた尾のある土雲ツチグモ族
が、猛り狂い、わんわん騒いで待ち受けている様子です。猛々タケダケしい土雲たちの数
は、大変なもの。察するところ八十は下らない。
 真面マトモにぶつかっては面倒なことになりそう。そこで命は、謀り事を巡らしました。
「まずは、腹を空かしている土雲たちに、たっぷりご馳走して遣ることだ。」
 
 天つ御子として、命ミコトのご命令が下りました。兵士たちは、八十に余る土雲たちに一
人一人ご馳走の膳を配って回りました。
「いいか、それぞれがしっかりと刀を隠し持って、もてなし役の振りをするのだぞ。
 一人が一人に付いて、側を離れるな。潮時を見て、室ムロの外から合図の歌を送るから、
それを聞いたら、一斉に斬り掛かれ。」
 こっそり兵士たちに命令が伝わりました。
 そうとは知らず、ご馳走を目の前にしますと、
「こいつは、美味そうだぞ。ひょひょーい。」
 暗がりの大室の中で、土雲たちの歓声が響動ドヨめき渡ります。
 一人残らずご馳走が行き渡り、土雲たちが夢中で武者ぶり付いている最中、俄に勇ま
しい歌が、大室中に鳴り響きました。
 
 忍坂オサカの大室屋に
 猛々しい奴が一杯一杯
 どんなに数が居ようとも
 みつみつし命ミコトの命を受けた
 久米の子らのこっちゃ
 ばっさり斬れる大刀オホダチの頭椎クブツツイ石椎イソツイ
 みんな持ってるぞ
 それやっつけろ
 みつみつし久米の子らが
 頭椎石椎振り下ろせ
 さあよし今だやっつけろ
 
 土雲たちが、何のことか分からず、あっけに取られている間に、兵士たちは一斉に、
さっと刀タチを構えて斬り掛かりました。
 流石八十に余る猛々しい八十建ヤソタケルたちも、忽ち一人残らず打ち殺されてしまいまし
た。
 さて、まんまと謀り事が効いて、土雲を退治することが出来たものの、未だ命の軍勢
を阻む最大の敵が残っています。
「あの兄五瀬命イツセノミコトに矢を射掛け、遂に命イノチを奪った憎い奴。今度こそ、那賀須泥
毘古ナガスネビコの登美毘古トミビコをやっつけるのだ。」
 命ミコトの厳しい命を受け、全軍が復讐心に燃え立ちました。
 登美毘古も然サる者。元より激しい抵抗を繰り返して来ましたが、命の軍勢は土雲を退
治した勢いに乗っています。
 そこへ、命のご命令が、又もや勇ましい歌となって伝えられます。
 
 みつみつし久米の子らの
 粟畑にゃつーんと匂う
 韮ニラが一本生えているぞ
 こいつはじゃまっけ
 その根もその芽もそっくり一息
 えいやと引き抜き
 とことんとんまでやっつけろ
 
 士気大いに上がり、快進撃を続ける軍勢に、また、新たな歌が届きます。
 
 みつみつし久米の子らの
 垣根の下に植えた山椒サンショウの木
 ひりひりぴりっと舌に来る
 兄を亡くしたあのときを忘れもしない
 仇アダを返すぞいざやっつけろ
 
 未だ未だ続く、次の歌。
 
 神の風吹く伊勢の海の
 大岩の周りに這い回る
 数知れぬキサゴのように取り囲み
 一人残らず
 えいえいおうとやっつけろ
 
 こうして、勝ち鬨ドキを上げながら突き進み、遂に登美毘古を討ち果たすことが出来ま
した。
 ところが、其処へ兄師木エシキ、弟師木オトシキの兄弟が立ち向かって来ました。
 戦は思うようには進まず、遂には命ミコトの軍勢にも一時イットキ、疲れが見えて来ました。
 目指す登美毘古を討ち取り、やれやれと云うところへ、新たに手強い敵が刃向かって
来たので、手こずってしまいます。そこで、神倭伊波礼毘古命は、兵士の身を気遣い、
これまでと違う歌の命令を伝えて来ました。
 
 経タテの並べ伊那佐イナサの山の
 木々の間を掻い潜り
 守りを固めて戦っていれば
 如何に我らも腹減り申した
 されば鵜飼いの者共よ
 獲物を持って大急ぎ
 力チカラを借カして今真っ直ぐに助けに来てたもれ
 
 すると、歌に篭めた命ミコトの祈りが天に通じたものか、此処に、邇芸速日命ニギハヤビノ
ミコトが陣中に駆け付けるように現れました。
「天つ神の御子が、天降りなされたことを耳にしたので、後を追って天から降りて参り
ました。」
 邇芸速日命は、自身も天つ神の御子であると云う瑞シルシの神宝を差し上げ、早速お仕え
することになりますと、さしも長く続いた戦いも収まりました。
 そこで、邇芸速日命は、先頃捕らえて味方に引き入れた登美毘古の妹登美夜毘売トミヤ
ビメを妻に迎えます。その間に生まれた子は、宇摩志麻遅命ウマシマヂノミコトと申し上げます。
 このお方は、後に物部連モノノベノムラジ、穂積臣ホヅミノオミ、采(女扁+采)臣ウネベノオミの先
祖となられます。
 さて、このようなことがあって、愈々邇芸速日命の力を加え、神倭伊波礼毘古命は、
残る荒々しい神々を次々と平定し、命令に従わぬ者共を討ち破ります。
 最早広くこの地方に、命ミコトに向かうものはいません。遥かな東への道は、ここに終着
の所と時を迎えました。そこで、畝火山の麓の白檮原カシハラに宮殿を造って、国中を治め
ることにしました。
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