08b [国譲り]
 
 こうして事代主神が素直に国を譲り渡しましたので、建御雷神はほっとしながら、な
お、
「このほかに意義を申し立てるような子はいないか。」
と、大国主神に尋ねますと、
「はい。もう一人、建御名方神タケミナカタノカミと云う息子があります。このほかには異議を称
えるものはいないのですが、彼が、何と申すでしょうか。」
「そうか。ではその神と話をしよう。何処に居るのだな。」
「はい。」
と、大国主神が答えようとしたとき、浜辺の向こうから、千人もかかってやっと動かせ
るような巨大な岩を、軽々と両手の先に差し上げ、地を轟トドロかしてこちらへ遣って来
る、猛々しい若い神がありました。
「おお、あれが、私の息子建御名方神です。」
「うむ。彼か。どうやら腕自慢のようだな。」
 
 建御雷神が見通したように、建御名方神は、高天原の使者が父大国主神に領土のこと
で談判に来たと知って、追い返して遣るつもりで駆け付けて来たのです。
 彼は、建御雷神をじろじろと無遠慮な目で眺めると、担いで来た岩をどしんと傍らに
放り出し、
「誰だ。わしの国に来て、こそこそおかしな話をする奴は。国が欲しければ腕ずくで取
れ。さあ、力較べだ。来い。その腕を掴み潰して遣る。」
と、大声で叫びました。
 建御雷神は、にっこり笑うと、
「よし、相手になって遣ろう。それ、この腕、出来るものなら掴み潰してみるが良い。」
と、ぐいと自分の腕を差し出しました。
「おのれ。」
 建御名方神は、怒りの色も物凄く、使者の腕をぐっと掴みました。
 すると、どうだろう。それは忽ち冷たく鋭い氷柱と化し、更に剣の刃と変わりました。
 ぎょっとした建御名方神は、思わず手を離して、たじたじと二、三歩後ろへ退きまし
た。
 
 それを追うようにして、建御雷神は、
「今度は、わしの番だ。腕を出せ。」
と、建御名方神の腕を捉えて、ぐっと力を入れました。
「うう!」
 建御名方神の口から悲鳴が漏れました。
 千引きの岩も差し上げるその逞しい腕は、まるで、萌え出したばかりの葦の葉を摘む
ように、やすやすと掴み潰されて、そのまま、どうっと投げ飛ばされてしまいました。
 これは適わぬとばかり、建御名方神は転がるようにして、後をも見ずに逃げ出しまし
た。
「おのれ、逃さぬ。」
 建御雷神も、直ちにその後を追いました。
 建御名方神は、直走りに逃げて逃げて、遠く信濃の国まで辿り着きました。
 だが、それを追った建御雷神は、遂に諏訪スワの湖の辺に彼を追い詰め、一息に打ち殺
そうとしました。ここに至って建御名方神は、とうとう恐れ入って、
「どうぞ、死罪だけはお許し下さい。もう、私はこの諏訪の地以外何処へも参りませぬ。
また、父の大国主神の命令にも背きません。兄の事代主神の言葉にも従います。この葦
原の中つ国は、天つ神の御子の仰せのままに差し上げましょう。」
と、全面降伏しました。
 
 さて、こうして荒振る建御名方神を降伏させた建御雷神は、再び出雲の国に戻って来
て、改めて大国主神に問いました。
「さあ、お前の息子の事代主神も建御名方神も、天つ神の仰せに従い、背かぬことを誓
ったぞ。
 だが、お前の気持はどうなのだ。」
「はい。」
 大国主神は、今はもう、清々しげにさえ見える表情で、
「私の二人の息子が申し上げた通り、私もまた、背きますまい。この葦原の中つ国は、
天つ神の仰せのままに全て献上しましょう。
 ただ、最後に一つだけお願いがございます。私の住む所を、天つ神の御子が皇位をお
継ぎになるその神聖な光り輝く御殿のように、地底の岩盤に太い宮柱を建て、高天原に
届くまでに高く千木を聳えさせて、立派にお造り下さい。
 そうすれば、私は幾重にも曲がりくねった道を辿って行くような、遠い処に隠れてお
りましょう。
 また、私の大勢の子供たちは、事代主神に統率させれば、背く者はございますまい。」
 こう答えました。
 
 そこで、天つ神は、彼の言葉通り、出雲の国の多芸志タギシの小浜に、壮大な宮殿を建
て、水戸ミナトの神の子孫である櫛八玉神クシヤタマノカミを料理人として、ご馳走を供え、祝福の
詞を唱えさせました。
 すなわち、櫛八玉神は、鵜に姿を変えて海に潜り、海底から粘土を銜クハえて来て、そ
れで沢山の平皿を作り、それに御馳走を盛って、大国主神に供えました。
 それから、海草の茎を刈り取って、それで燧杵ヒキリキネを作って、神聖な火を切り出し
て、
 
 この私ワタクシが切り出した火は
 高天原に向かっては
 高御産巣日神の御祖神ミオヤガミのおわす光り輝く新宮殿に 煤が長々と垂れ下がる程焼
 け上げ
 地に向かっては
 地底の岩盤にまで届く程に焼き固まらせましょう
 楮コウゾで作った千尋チヒロもある長い綱を延ばして釣りをする海人が
 口も大きく尾鰭ヒレも張った立派な鱸スズキを
 その綱でさわさわと引き寄せ釣り上げました
 その魚をこの火で焼いて
 割竹の簀スの子も撓タワむ程どっさりと
 浄らかな魚料理を差し上げましょう
 
と、唱え事を申し上げました。
 こうして、遂に、葦原の中つ国の諸問題を全て片付けた建御雷神タケミカヅチノカミは、堂々
と高天原に帰って、この情況を、具ツブサに報告しました。

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