08a [国譲り]
さて、天若日子アメワカヒコに先立たれた妻の下照比売シタテルヒメの嘆き悲しむ声は、風に乗っ
て天にまで届きました。
この声で天若日子の死を知った父の天津国玉神アマツクニタマノカミや、彼の元の妻子たちは驚
いて、泣きながら下界へ降りました。
そうして、悲しみに暮れながら、下照比売を励まして、そこに喪屋モヤを造って、葬儀
の支度を始めました。
葬儀に奉仕する者として、
雁カリは死者に供える食物を持つ役
鷺サギは箒を持つ役
翡翠カハセミは死者に供える料理を作る役
雀スズメは米を搗ツく女
雉キジは泣き女
と、それぞれに役を定め、八日八晩の間、死者の魂を呼び戻すため、歌ったり舞ったり
しました。
このとき、下照比売の兄の阿遅志貴高日子根神アヂシキタカヒコネノカミが遣って来て、天若日子
の死を弔問されました。
すると、その姿を見て、天上から降って来た天若日子の父や妻子たちは、吃驚ビックリし
て、
「おお、天若日子。お前は死んではいなかったのだな。」
「あなた、やっぱり生きていていらっしゃったのですね。」
と、泣きながら左右から、その身体に取り縋スガりました。
彼は、天若日子とそっくりの容貌風采をしていましたので、天上から来た父や妻子は、
てっきり天若日子が生き返ったと思い込んでしまったのです。
だが、驚いたのは阿遅志貴高日子根神です。
突然死者と間違えられて、酷ヒドく腹を立てて、
「何をするんだ!」
と、父や妻子らを突き飛ばし、
「私は、天若日子が親しい友人だったからこそ、わざわざ弔問に遣って来たんだ。それ
を何だと。天若日子が生きていただと。冗談じゃない。何だって私を汚らしい死人と一
緒にするんだ。」
と、怒鳴り付けるなり、いきなり腰に着けていた長剣を引き抜いて、喪屋をばっさばっ
さと切り倒し、御負けに足で思い切り蹴飛ばしてしまいました。
この蹴飛ばされた喪屋が、遠くへ飛んで今の美濃の国の長良川の上流の藍見アイミ川の河
上にある喪山と云う山になりました。
そのとき彼が持っていた長剣の名は、大量オホバカリと云い、別名を神度剣カムドノツルギとも
云います。
こうして、阿遅志貴高日子根神が怒って稲妻にように飛び去った後で、彼の同母妹の
高比売命タカヒメノミコト(下照比売)は、兄神の名を、人々に明かそうとして、こう歌いまし
た。
天上界の若い機織女ハタオリメが首に懸けている玉の飾り。その玉飾りの大きな穴玉のよう
に、二つの谷を一つにお渡りになる阿遅志貴高日子根神なのです。
この歌は、夷振ヒナブリと云う歌曲です。
〈建御雷神の勇武〉
こうして、二度に亘る葦原の中つ国への使者の派遣が、何れも失敗に終わってしまっ
たので、天照大御神アマテラスオホミカミは、
「今度は、誰を遣わしたら良いだろうか。皆でよく考えて欲しい。」
と、仰せられました。
思金神オモヒカネノカミを始め多くの神々は、また、額を集めて相談した結果、
「天の安河の上流の天の岩屋に居られる伊都之尾羽張神イツノヲハバリノカミを遣わされるのが宜
しいと思います。もし、この神以外と云うなら、彼の子の建御雷神タケミカヅチノカミの他にあ
りません。」
「なる程、彼等父子なら武勇に優れているし、きっと、役目を果たせるだろう。では、
早速彼等を喚び寄せよう。」
と、大御神が直ぐ使いを出そうとなさると、思金神は手を挙げて、それを制しました。
「いえ。ところが今、尾羽張神は、天の安河の水を逆に堰上げて、道を塞いでいますの
で、尋常の神ではとても行かれますまい。天迦久神アメノカクノカミならば、行けるでしょうか
ら、特に彼を遣って、尾羽張神イツノヲハバリノカミが下界への使者の役目を承知するかどうか、
お尋ねになられてはどうでしょうか。」
と、申し上げました。
そこで、天迦久神を使わして、天尾羽張神アメノヲハバリノカミに、二度も下界に使者を出して
失敗している事情を告げ、更に、
「これは大変重要な役目だから、是非引き受けるように。」
と、仰せられました。
尾羽張神は即座に、
「畏れ多いことです。お役目は勿論務めさせてさせて頂きます。けれども、使者となる
のは、私よりもわが子建御雷神タケミカヅチノカミの方が、相応しいと存じます。どうぞ息子を
お使い下さい。」
と云って、息子を迦久神に同行させ、大御神の許に差し上げました。
そこで、大御神は、副使として天鳥船神アメノトリフネノカミを添えて、建御雷神を葦原の中つ
国へ派遣されました。
建御雷神、天鳥船神の二柱の神は、忽ち空を飛んで、出雲の国伊那佐イナサの浜に天降り
ました。
そうして、建御雷神は腰の長剣を引き抜き、波頭に逆さまに突き立て、その剣の刃の
先にどっかと胡座アグラを組んで、大国主神オホクニヌシノカミと談判されました。
「大国主神よ。私は天照大御神と高木神タカギノカミの仰せで、お前の気持ちを問い質しに来
たものである。
お前が領有している葦原の中つ国は、『わが子が治めるべき国である』と大御神が、
御子に統治権を委任なさったものなのだ。
御子にこの国を献上するかどうか、お前の意志を聴こう。」
建御雷神は、直ヒタと大国主神を見据えて尋ねました。すると、彼は、
「その件に関しては、私ワタクシにはお答え出来ません。私に代わって息子の八重事代主神
ヤヘコトシロヌシノカミがお答えするでしょう。けれども、今、彼は生憎鳥や魚を捕ると言って、美
保の崎まで出掛けてしまいまして、未だ帰っておりません。」
「よし。それならば迎えにやろう。」
建御雷神は、早速天鳥船神を美保の崎まで迎えに遣り、事代主神を呼び戻しました。
訳を聞いて急いで戻って来た事代主神は、父の大国主神に向かって、
「父上。畏れ多いことです。天つ神の仰せの通りこの国は御子に差し上げましょう。」
と、きっぱり言い切りました。
そして、直ぐに、乗って来た舟を足で踏み傾けると、呪文を唱えながら、ぱんぱんと
逆手を打ちました。すると、舟は忽ち青葉の柴垣に変わり、事代主神は、すっとその中
に隠れてしまいました。
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