05a [須佐之男命]
 
〈誓約ウケヒ〉
 
 天照大御神と、建速須佐之男命は、愈々、高天原を流れている天の安河ヤスノカハを挟ん
で、神の御意を尋ねる誓約の儀式を執り行うことになりました。
「それでは、私から始めましょう。あなたの持っている十挙剣を、私に貸して下さい。」
 天照大御神はそう言って、須佐之男命が腰に帯びている長い剣を貰い受けると、それ
を忽ち三つに折りました。そして、その剣の柄の緒に連なっている玉飾が、きららかな
美しい音色を響かせている間に、その剣を、天の安河の中の、天の真奈井マナイの清らかな
水で洗い清めて、それを口の中に入れて噛みに噛みました。そうして、口の中から、ふ
うっと吐き出すと、その息が清らかな霧となって、その中から三柱の神が現れました。
 
 初めに現れたのは、多紀理毘売命タキリビメノミコトと云う女神で、この名は、川の急な流れ
を意味しています。別の名を奥津島比売命オキツシマヒメノミコトと云いますが、これは、沖の島に
住んでいる女神、と云うことです。
 次に現れたのは、市寸島比売命イチキシマヒメノミコトです。この名は、尊い島に住んでいる女神
と云う意味です。別の名を狭依毘売命サヨリビメノミコトと云い、この名は船が寄る処に住んで
いる女神と云う意味です。
 次に現れたのは、多岐都比売命タギツヒメノミコトと云い、この名は、早瀬に住んでいる女神
と云う意味です。
 
 こうして、天照大御神が誓約の儀式を終えますと、須佐之男命が、
「今度は、私が行います。姉君の、左の角髪の巻いている玉飾をお貸し下さい。」
と言って、五百箇の勾玉が連なっている玉飾を貰い受けました。
 それから、その玉飾が、きららかな音色を響かせている間に、天の真名井の清らかな
水で洗い清め、口の中に入れて噛みに噛んでふうっと吐き出しました。
 すると、その息が清らかな霧となって、その中から、正勝吾勝勝速日マサカアカツカチハヤビ天
之忍穂耳命アメノオシホミミノミコトと云う神が現れました。この名は、稲穂と太陽を現している男
神です。
 更に、天照大御神の右の角髪に巻いている玉飾を貰い受け、同じようにして口の中に
入れ、噛みに噛んで吐き出した息の霧の中から現れたのは、天之菩卑能命アメノホヒノミコトで
す。この名も、稲穂と太陽を現している男神です。
 
 次に、天照大御神の髪の鬘カヅラに巻いている玉飾を貰い受けて、同じようにして、噛
みに噛んで、吐き出した息の霧の中から現れたのは、天津日子根命アマツヒコネノミコトです。こ
の名は、太陽の子の神と云う意味です。
 更にまた、天照大御神の左の手に巻いている玉飾を貰い受けて、同じようにして、噛
みに噛んで吐き出した息の霧の中から現れたのは、活津日子根命イクツヒコネノミコトです。この
名は、生き生きとした太陽の子と云う意味です。
 次に、天照大御神の右の手に巻いている玉飾を貰い受けて、同じようにして、噛みに
噛んで吐き出した息の霧の中から現れたのは、熊野久須毘命クマヌクスビノミコトと云います。こ
の名は、熊野に住んでいる不思議な霊、と云う意味です。
 須佐之男命の、誓約によって現れた神は、以上合わせて五柱です。
 
 ここにおいて、天照大御神は、須佐之男命に向かって、
「後から生まれた五柱の男神は、私の身に着けているものから生まれたのです。ですか
ら、当然この五柱の男神は、私の子供と云うことになります。先に生まれた三柱の女神
は、お前が持っていた十挙剣から生まれました。従ってその三柱の女神は、お前の子供
たと云うことになります。」
と、仰って、その区別をはっきりと明らかにされました。
 
 さて、先に生まれた、三柱の女神のうち、多紀理毘売命は筑紫の国の宗像ムナカタの奥津
オキツ宮に鎮座しておられます。
 次の、市寸島比売命は、同じ宗像の中津ナカツ宮に鎮座しておられます。
 次の、多岐都比売命は、同じ宗像の辺津ヘツ宮に鎮座しておられます。
 この三柱の女神は、筑紫の国の一族である宗像の君らが、大事にお仕えしている三座
の大神です。
 後から生まれた五柱の男神のうち、天之菩卑能命のことですが、その子供は、建比良
鳥命タケヒラトリノミコトと云い、その名は、天降って辺境を平定する、と云う意味です。
 
〈須佐之男命の乱暴〉
 
 さて、誓約の儀が終わった後、須佐之男命は、大層嬉しそうな顔をして、天照大御神
に向かい、
「私が、姉君に対して、何も邪な心を持っていないことが、これでお分かりでしょう。
私の心は清らかなのです。だから、私の生んだ子供は、ご覧の通り、心の清らかな優し
い女の子供たちだったのです。こういう結果になったのですから、この誓約の勝負は、
当然私が勝ったことになりますね。」
と言って、躍り上がって喜び、勝った勢いで、あちこち荒々しく飛び回った末、天照大
御神が、自分の手で自らお作りになっていた、大事な田圃の中へ踏み込んで、畔アゼ路を
滅茶苦茶に壊してしまったり、田圃に水を注ぎ入れる溝を埋め立ててしまったり、更に
また、その年の新穀を捧げてお祭りをする神聖な御殿の中に上がり込んで、あちこち糞
を垂れて回るような、酷ヒドい乱暴を働きました。
 
 天照大御神は、須佐之男命のこんな乱暴な振る舞いを見ても、子供のような可愛い弟
のすることだから、と思われたのか、少しも咎めようとしませんでした。
 そればかりか、ほかの神々が、
「いくか弟君だからと云って、目に余ります。あんな乱暴な振る舞いをするのを、どう
して黙っておいでになるのですか。」
と、眉をひそめて言うのにも、
「御殿の中に糞を垂れたと言いますけれども、あれはきっと、弟が酒に酔って具合が悪
くなり、あちこち吐き散らしたまでのことでしょう。子供のようなあんな弟のことてす
から、許して上げて下さい。それに、田圃の畔路を壊したり、溝を埋めたりしたと云う
ことですが、畔路や溝も、耕せばまた新しい田圃になると思って、遣ったことでしょう
。」
と、弟の振る舞いを、全て良い方に執って言い訳をし、庇カバっておられました。
 ところが、須佐之男命は、姉君がそう言って自分を庇ってとると云うことを聞いても、
少しも反省せず、益々乱暴な振る舞いを続けました。
 
 ある日のこと、天照大御神は、忌服屋イミハタヤと云う御殿の中に入って、織女オリメたちが、
神々に献上する尊い衣を織っている姿をご覧になっていました。そこは神聖な御殿で、
ほかの者は誰も入ることを禁じられている処です。
 そこへ、乱暴者の須佐之男命が現れ、御殿の屋根に這い上り、大きな穴を空けて、斑
駒フチコマと云う、いろいろな毛が斑に交じっている馬の生皮を、逆剥ぎに剥いだものを持
って来て、その屋根の穴から、どさっと投げ込みました。
「ああーっ」
 突然、血まみれになった斑駒の生皮を投げ込まれた織女たちは、悲鳴を上げて、怖れ、
慄オノノきました。そして、織女の中の一人が、驚きのあまり、機を織るときに使う梭ヒの、
鋭った先で、自分の陰処を突き刺してしまい、それが因で死んでしまいました。
 天照大御神は、弟のこんな恐ろしい振る舞いを見て、自分も怖ろしくなってしまわれ
たのか、遂に、天の岩屋戸イハヤドを開けて、その中に身を隠してしまい、その岩屋戸をぴ
ったりと閉じ、外からは開けられないようにしてしまいました。
 
 高天原の昼の世界を治めている、日の女神の天照大御神が、天の岩屋戸の中に身を隠
されたので、忽ち、高天原の太陽が沈み、地上の世界の葦原の中つ国までも、悉く真っ
暗闇となってしまいました。
 こうして、暫く日が経ちましたが、天照大御神は、どうしても岩屋戸から、その姿を
現そうとしませんでした。そのため、天上の世界も、地上の世界も夜が明けず、何時ま
でも真っ暗闇の日が続きました。
 そうなると、これまで日の光を忌み嫌って窃ヒソカに隠れていた悪い神たちが、このとき
とばかり、姿を現して騒ぎ出し、その声は、五月の蝿が唸り声を上げて湧き出すように、
辺り一面に満ち溢れ、禍いと云う禍いが、一遍に起こり出してきたのです。
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