04b [伊邪那岐命・伊邪那美命]
 
 その有様を見ていた伊邪那美命は、益々憤って、今度は自分の腐れた体から生まれ出
た、八柱の恐ろしい雷神たちに命じて、これに、黄泉の国の千五百人もの軍勢を従わせ
て、伊邪那岐命を追い駆けさせました。
 伊邪那岐命は、もう死に物狂いになって腰に帯びていた十挙剣を抜き放ち、後手ウシロデ
に持って打ち振るいながら、なおも夢中になって逃げ続けました。
 こうして漸く、黄泉の国と、この世の境にある、黄泉比良坂ヨモツヒラサカと云う坂の麓まで
辿り着くことが出来ましたが、その時、伊邪那岐命は、坂の麓に生えている桃の木に気
が付き、その桃の実を三つ採って、追い駆けて来る雷神亡軍勢をめがけて投げ付けまし
た。
 黄泉の国の者たちは、桃の実を忌み嫌っているので、忽ち怯ヒルみ、悉く逃げ帰ってし
まいました。
 
 やっとのことで、危ない生命を助けられた伊邪那岐命は、その桃の実に向かって、
「お前は、私の生命を助けてくれたが、もし、この葦原の中つ国に住む人々が、辛い苦
しい目に遭うようなことがあったならば、どうか私にしてくれたと同じように、それら
の人々を助けておくれ。」
と、懇ろに言って、意富加牟豆美命オホカムヅミノミコトと云う名前を授けられました。この名
は、邪気を祓う大きな威力を持ったもの、と云う意味です。
 
 さて、一方の伊邪那美命は、自分が追跡を命じた雷神たちや軍勢が、悉く失敗して逃
げ帰ったことを知ると、益々怒りに燃え、最後は自ら、伊邪那岐命の後を追い駆けて行
きました。
 かつては愛する妻でしたが、黄泉の国の怖ろしい魔女に変わってしまった、そんな妻
に捕まったら大変なことになります。
 そこで伊邪那岐命は、千人の力でやっと動かすことが出来る大岩を引きずって来て、
黄泉比良坂の真中にどっかりと置き据え、道を塞いでしまいました。
 
 伊邪那岐命は、その大岩を間にして、追い駆けて来た伊邪那美命と向かい合いました。
 それから、伊邪那岐命は、黄泉の国の妻に向かって、はっきりと夫婦の離別を言い渡
しました。
 それを聞いた伊邪那美命は、悲しみと憤りの声で、
「愛しい私の夫よ、あなたが、そのように酷ヒドいことをなされるなら、私は、黄泉の国
の威力を持って、あなたの国の人々を、一日に千人ずつ絞り殺してしまいますよ。」
と、叫びました。
 それを聞いた伊邪那岐は、
「愛しい私の妻よ。あなたが、そんな酷いことをするならば、私は、一日に千五百の産
屋ウブヤを建てて、子供を生ませるようにしますよ。」
と、言い返しました。
 
 こういうことがあってから、この世の国では、一日に必ず千人の人が死に、その代わ
り一日に必ず千五百人の人が生まれるようになったと云うことです。
 こうして、遂に黄泉の国から出ることが出来なくなった伊邪那美命は、黄泉大神ヨモツオホ
カミと呼ばれるようになり、また、夫の後を追い駆けて行ったので、道敷大神チシキノオホカミと
呼ばれるようになりました。
 また、黄泉比良坂の道を塞いだ大岩は、伊邪那美命を追い返すことが出来たので、道
反大神チガヘシノオホカミと名付けられ、またの名を、黄泉の国の入口を塞いでしまったことか
ら、黄泉戸大神ヨミドノオホカミと呼ばれるようになりました。
 なお、黄泉比良坂と云う処は、今の出雲の国の、伊賦夜坂イフヤザカであると云われてい
ます。
 
〈禊ミソぎ祓ハラい〉
 
 伊邪那岐命イザナギノミコトは、黄泉の国から、漸くのことで逃れ、この世の国へ帰ること
が出来ました。
 思えば何と怖ろしいことであったろうか。
「私は、どうしてあんな醜い、汚らしい国へ出かけて行ったものだろう。お陰で、私の
体はすっかり穢ケガれてしまった。この穢れを清めるため、禊ぎ祓いをしなければならな
い。」
と、仰って、筑紫ツクシの国の日向の海に近い川口の辺りにある、阿波岐原アハギハラと云う処
に出かけて行きました。
 そこは、朝の光が燦々と射していて、橘タチバナの木の実が、青々と生い茂っている処で
した。
 
 伊邪那岐命は、その辺りの川辺に来て、これまで手に持っていたもの、身に着けてい
たものを全て棄て、穢れた体を、禊ぎ祓いをして、清めることになりました。
 まず、手に持っていた杖を投げ棄てました。するとその杖から、衝立船戸神ツキタツフナドノ
カミが生まれました。この神の名は、悪霊の禍いはもうここに近付くな、と云う意味です。
 次に、腰に巻いていた帯を解いて投げ棄てました。すると、その帯から道之長乳歯神
ミチノナガチハノカミが生まれました。この神の名は、長い道中の安全を司る神と云う意味です。
 次に、腰の下に着けている裳を投げ棄てました。すると、この裳から、時置師神トキオカシ
ノカミが生まれました。この神の名は、解いて置く、と云う意味です。
 次に、上体に着けていた衣を投げ棄てました。するとこの衣から、和豆良比能宇斯能
神ワヅラヒノウシノカミが生まれました。この神の名は、煩わしいことから免れる、と云う意味で
す。
 次に、裳の下に着けていた袴を投げ棄てました。するとその袴から、道俣神ミチマタノカミが
生まれました。この神の名は、道の分岐点を司る神と云う意味です。
 
 次に、頭に被っていた冠を投げ棄てました。するとその冠から、飽咋之宇斯能神アキグヒ
ノウシノカミが生まれました。この神の名は、罪穢れを飲み込んでしまうと云うことで、穢れ
が無くなったと云う意味です。
 次に、左の手に巻いていた玉飾を投げ棄てました。するとその玉飾から、次々と神々
が生まれました。
 初めに奥疎神オキザカルノカミ、次に奥津那芸佐毘古神オキツナギサビコノカミ、次に奥津甲斐弁羅神
オキツカヒベラノカミ、これらの三柱の神は、何れも海の神で、それぞれ沖と、渚と、その中間の
海を守り司る神です。
 次に、右の手の巻いていた玉飾を投げ棄てました。するとその玉飾から、次々と神々
が生まれました。
 初めに辺疎神ヘザカルノカミ、次に辺津那芸佐毘古神ヘツナギサビコノカミ、次に辺津甲斐弁羅神ヘツ
カヒベラノカミ、この三柱の神は、何れも海路の安全を守り司る神です。
 
  以上述べた船戸神より、辺津甲斐弁羅神まで合わせて十二柱の神は、全て身に着け
  ていたものを脱ぎ棄てることによって生まれた神です。
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