03b わが国の神話「天地創成」
 
  [高天原の神]
 
 やがて、伊邪那美命は、子供を生みました。しかしその子供は、水蛭ヒルのような手足
も骨もない水蛭子ヒルコでしたので、生まれたばかりのその子供を、葦の葉で作った葦舟に
入れて、川に流して捨ててしまいました。
 次に生んだのは、淡島アワシマと云う頼りのない子供だったので、この子供も、二人の御
子ミコの数には入れませんでした。
 そこで、伊邪那岐命は伊邪那美命と相談をして、
「これまで、私達の生んだ子供は、よくない子供ばかりでした。 どうしてこう言うこ
とになったか、天の神の処へ行って、よくお伺いして来ましょう。」
と言って、一緒に天の浮橋を渡り、天上の高天原に昇って行き、天の神のご意見を伺い
ました。
 
 すると、天の神のご命令で、鹿の骨を焼いて、その裂け目の形で神意を知ると云う占
いを立て、その結果、天の神は二人に向かい、
「お前達二人の中で、女の方から先に声を掛けて契ったと云うことであるが、それが良
くなかったのだ。もう一度地上の淤能碁呂島へ戻って、今度は間違いないように遣り直
したらよい。」
と、仰いました。
 そこで二人は、再び地上へ戻って来て、また御殿の中央の柱を、右と左から回り始め
ました。今度は、男の伊邪那岐命から、
「あなたは、何と美しい女でしょう。」
と声を掛けますと、その後から伊邪那美命が、
「あなたは、何と立派な男でしょう。」
と、声を掛けました。
 それから二人は、また御殿の中へ入り、一緒に寝て、契りを結びました。
 こうして、今度は何事もなく、立派な国々を生むことが出来ました。
 
 まず初めに生んだのが、淡道之穂之狭別島アハヂノホノサワケノシマと云います。これは今の淡路
島のことです。
 次に伊予之二名島イヨノフタナノシマを生みました。これは今の四国のことですが、この島は、
体が一つなのに、顔が四つあって、その一つひとつに名前が付いています。即ち、伊予
国イヨノクニは愛比売エヒメと云い、これは立派な女と云う意味です。讃岐国サヌキノクニは飯依比古
イヒヨリヒコと云い、これは、食物の霊が依り憑く男、と云う意味です。粟国アハノクニは大宜都比
売オホゲツヒメと云い、これは穀物を司る女、と云う意味です。土左国トサノクニは建依別タケヨリワケ
と云い、これは健々しい霊の依り憑く男と云う意味です。
 
 次に、隠岐之三子島オキノミツゴノシマを生みました。これはいまの隠岐の島のことで、沖合
にある三つの島と云う意味です。この島の別名を天之忍許呂別アメノオシコロワケと云いますが、
これは、より固まった島と云う意味です。
 次に、筑紫島ツクシノシマを生みました。これは今の九州のことです。この島も、体が一つ
であるが、顔は四つあって、それぞれに別の名前が付いています。即ち、筑紫国ツクシノクニ
は白日別シラヒワケと云い、豊国トヨノクニは豊日別トヨヒワケと云い、肥国ヒノクニは建日向タケヒムカ日豊久
士比泥別ヒトヨクジヒネワケと云い、熊曽国クマソノクニは建日別タケヒワケと云います。これらの国の別名
は、何れも燦々と輝く太陽に因んで名付けられたものです。
 
 次に、伊伎島イキノシマの島を生みました。これは今の壱岐の島のことです。この島の別名
を、天比登都柱アメヒトツバシラと云いますが、これは海中の離れ小島と云う意味です。
 次に、津島ツシマを生みました。今の対馬のことです。この島の別名を天之狭手依比売アメ
ノサデヨリヒメと云います。
 次に、佐度島サドノシマを生みました。今の佐渡の島のことであるが、別名はありません。
 次に、大倭豊秋津島オホヤマトトヨアキツシマを生みました。これは今の本州のことで、穀物が豊
かに稔る大和の島と云う意味です。この島の別名を名天御虚空アマツミソラ豊秋津根別トヨアキツネ
ワケと云って誉め讃えています。
 以上に挙げた八つの島は、伊邪那岐命と、伊邪那美命が初めに生んだ島々であって、
これらを総称して、大八島国オホヤシマグニと呼んでいます。
 
 さて、これらの八つの島を生んだ伊邪那岐命と伊邪那美命は、再び淤能碁呂島オノゴロ
ジマへ帰ることになりましたが、その途中瀬戸内海で、吉備児島キビノコジマを生みました。
これは今の岡山県の児島半島です。この島の別名を建日方別タケヒカタワケと云います。
 次に小豆島アヅキシマを生みました。これは今の瀬戸内海にある小豆島ショウドシマのことで
す。この島の別名を大野手比売オホヌデヒメと云います。
 次に西へ云って大島オホシマを生みました。これは、今の山口県の東方海上にある大島(
屋代島)のことです。別名を大多麻流別オホタマルワケと云います。
 
 次に、更に西へ行って女島ヒメジマを生みました。これは今の大分県の国東クニサキ半島の東
北海上にある、姫島のことを云います。別名を天一根アメヒトツネと云いますが、これは沖の
孤島と云う意味です。
 次に、更に西の果ての海の中に、知訶島チカノシマを生みました。これは今の長崎県の五島
列島のことで、別名を亦名天之忍男アメノオシヲと云い、多くの島々から成る、と云う意味で
す。
 次に、その遥か西の果てに、両児島フタゴノシマを生みました。これは五島列島の南の方に
ある、男島と女島のことを云い、別名を天両屋アメフタヤと云いますが、これは、海中に家が
二つ並んでいるようだ、と云う意味です。
 
  吉備の児島から、天両屋島合わせて六島です。
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