02 天満宮の創始

 菅公が九州筑紫の太宰府に流されたのは、紀元一五六一年昌泰四年正月二十五日でし
た。
 太宰府に於ける菅公は所職もな無い故、門戸を閉ざして、敢えて人に接しようとはせ
ず、詩作と読書に日を送っていました。
 紀元一五六三年延喜三年正月から病に罹り、二月二十五遂に薨じ年五十九歳、其の地
に葬られました。今の安樂寺は其の廟です。
 菅公は、讒構に依って貶謫されたまゝ恩赦もなく、遂に配所に薨ぜられましたので、
其の寃を慨くと同時に死を悼み必ず後日何事かあるであろうと、当時密かに私語し合っ
たのは当然の事で、次第に伝播するに従って、遂に京都の藤原時平等の耳にも入りまし
た。
 同延喜三年六月から炎旱数旬続いたので、諸社諸寺に祈雨の御祈りを上げました。続
いて七月中旬からは大雨雷鳴数日に渉って止まなかったので、今度は止雨の御祈りを上
げました。翌延喜四年四月七日には雷が紫宸殿はじめ所々を震わし、七月から八月の間
毎日雷雨がありました。このような雷雨を、菅原道真公の祟りと言い囃したものとみえ、
延喜五年八月十九日、初めて筑紫安樂寺に菅公の廟堂を建て、味酒の安行という人が之
を奉行しました。
 然るに延喜六年四月にも雷雨暴風数日、更に雹さえも降り其の大いさ梅実の程で、そ
の為に人畜の死傷さえありました。京都の鴨川は洪水になり洛中の往来ができず、天皇
から延暦寺法性房僧正に止雨御祈の勅がありましたが、其の宣旨三度目に漸く参内でき
たと言われており、如何に雷雨が甚だしかったかが察しられます。
 延喜八年十月七日また雷雨があって、菅公を讒構した一人である参議藤原菅根が薨じ
ましたので、之は菅公の靈に蹴殺されたものであると俗傳されました。
 翌延喜九年四月四日に藤原時平が年三十九で薨じました。時平は菅公と対比され、世
に愚物の如く伝わっていますが、詩作に巧みで政治の方も凡ではなかった事は古書にも
書かれています。時平の薨去までは、正史に菅公の祟りを言いませんでしたが、延喜十
三年三月十二日右大臣源朝臣が狩猟のとき、泥中に入って遂に骸を見つけ得ませんでし
た。源朝臣は、時平と共に菅公讒言の主謀者であった故、かような不良の死をしたのは
当時としては、菅公の祟りと言ったに相違ありません。
 延長元年四月二十日、皇太子保明親王薨去に際し菅公に正二位贈位の御沙汰がありま
した。この皇太子の女御は時平の女(娘)であります。此の月、故皇太子の御子慶頼王
を皇太子に立てました。延長三年六月十九日、皇太子また薨去しました。尋いで、御母
(時平の女)女御も薨去しましたのも不思議でした。時平の子女は此の外にも相続いて
不幸がありましたので、朝野とも、菅公の祟りと喧伝されることによって、時平の弟忠
平は兄に継いで左大臣となってから、弥々恐怖の念を増し、同時に悔非の念も起こって、
菅公の子孫は悉く赦免されました。その上官位も復させられるなど、専ら怨念を宥める
に勉めましたが、延長八年六月に又々大雷震があって、菅公左遷の議に与ずかった殿上
の卿のうち死する者が数多ありましたので、是また菅公の怨念によるものとされました。
 是等の事の為、忠平弥々安樂寺の廟所を崇敬し、第六十一代朱雀天皇の天慶三年(紀
元一六〇〇年)七月、右京七條の多治比文子なる者が菅神の託宣を蒙ったとして、朝日
寺の僧最珍と計って、京都北野に祠を建てましたところ、一夜千本松の希瑞等がありま
した。朝廷即ち、天満天神の号を賜り、尋いで第六十七代一條天皇の正暦四年(紀元一
六五三年)、菅公に左大臣正一位、更に太政大臣を贈り、天満宮との号宮を允して聖廟
と称しました。そして文学、学問の神と崇めました。
 其の斯くまでに御崇敬あらせられましたのは、みな例の祟りの唱道から漸々にこのよ
うになったものであります。
 忠平忠頼父子は尤も菅神を崇敬し、太宰府の宮殿例祭の荘厳から北野天満宮の社殿等
まで、悉く此の父子の創立造営にでたものであります。
 
 
 記  事       紀  元  西暦   天   皇         年 号
 
菅公薨去       一五六三  903 第六〇代醍醐天皇 延喜三年二月二十五日  
                           年五十九
 
太宰府安樂寺に菅公の 一五六五  905 第六〇代醍醐天皇 延喜五年八月十九日
 廟建つ
 
菅公元の右大臣に復し 一五八三  923 第六〇代醍醐天皇 延長元年
 正二位に叙す
左遷の宣明を破棄す  同 年
 
北野に祠を建て菅神を 一六〇〇 940 第六一代朱雀天皇 天慶三年七月
 祭る
天滿天神の号を賜る  同 年
 
左大臣正一位を贈らる 一六五三 993 第六七代一條天皇 正暦四年五月
太政大臣を追贈さる  同 年             同十月
天満宮の宮号を賜る  同 年
 
                     昭和九年春祭日(旧三月二十五日)
                        菅原神社社掌 櫻 田 勇太郎 調

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