0701松風
 
                    参考:小学館発行「万有百科大事典」ほか
 
〈松風マツカゼ〉
「松」
 マツ科の一属。北半球の温帯を中心に約百種が分布。常緑の高木。葉は針状、2〜3枚
又は5枚。雌雄同株。花は春に咲き、雌花は毬状で新芽の頂に生じ、雄花は新芽の下部に
穂状に密生。球果はいわゆる「まつかさ」。日本にはクロマツ・アカマツ・ゴヨウマツな
どがあり、長寿や節操を象徴するものとして古来尊ばれる。天然記念物の大木も多い。
 
「松風」
 能の曲名。三番目物(鬘物カズラモノ)。古い作品の『汐汲シオクミ』を素モトに、観阿弥が『
松風村雨ムラサメ』を作り、それに世阿弥が改修を行った曲。古くは『松風村雨』とも云っ
た。『撰集抄』『源氏物語』『古今集』から素材を得る。
 まず、松の立木台が舞台正面先に出される。津の国須磨の浦である。一人の旅僧(ワ
キ)が、磯部の松の謂れなどを浦の者(アイ)に尋ねる。夕暮れどき、二人の水衣
ミズゴロモ姿の女(シテ・松風とツレ・村雨。ツレは水桶を持つ)が現れ、辛い汐汲の境涯を
嘆きつつ汐汲車を曳く。二人は共に汐を汲んで、折しも秋の月が桶の中に映るのを見入
り、その桶を車に載せて塩屋へ帰る。僧は一夜を請う。僧の話す在原業平の「わくらは
に問ふ人あらば須磨の浦に藻塩モシオ垂れつつ侘ワぶと答へよ」の歌を聞いて涙する二人は、
やがて松風村雨の幽霊であることを告げ、行平に召され寵愛を受けた昔を偲ぶ。形見の
狩衣カリギヌを胸に抱いて涙に沈んだ松風は、やがて立烏帽子タテエボシと狩衣(小立烏帽子又
は風折カザオリ烏帽子の長絹チョウケン)とを身に着け(物着)、「立ち別れ稲葉の山の峯に生
ふるまつとし聞かば今帰り来コん」の歌を誦じつつ舞(中チュウ之舞と破ハ之舞)を舞い、夜
明けと共に去って行く。
 
 シテとツレの登場の囃子は真ノ一声シンノイッセイであるが、この形式は脇能以外では本曲の
みで類例がない。汐を汲む場面(ロンギ)は物尽くしとなっており、作曲も特色があっ
て聞き所である。殊に「灘ナダの汐汲む憂き身ぞと・・・・」を繰り返して謡う小書「灘返
ナダガエシ」がある程である。軽快な中之舞は、普通の「破掛ハガカり」に対して「イロエ掛
り」と云い、本曲と『熊野ユヤ』の二曲のみにある。舞の終わりに松の周りを回り、松に
付けた短冊を手に執って「立ち別れ・・・・」と謡う小書「戯タワムレ之舞」がある。また、破
之舞の終わりに橋掛一ノ松で扇を翳カザすか袖を被カズくかして舞台の松を見る「見留ミトメ
」は各流に行われる洒落た演出である。物着の直前に形見を抱き、「破之舞」の前には
松を抱擁する型など、鬘物には珍しく思い切った演出で、この部分は狂乱とも言え、四
番目物に近い能とさえ言える。春の能『熊野』に対して、秋の能を代表する名曲とされ
る。
 
〔松風物〕
 松風物とは、 海女松風・村雨の姉妹と在原業平の情話伝説に取材した戯曲・歌曲など
を云う。謡曲の『松風』から室町時代の御伽草子オトギゾウシ『松風村雨』を経て、江戸時
代に流行。浄瑠璃では近松門左衛門の『松風村雨束帯鑑ソクタイカガミ』(1694?)を初めと
して、文耕堂・三好松洛等の『行平ユキヒラ磯馴松ソナレノマツ』(1738)、「蘭平ランペイ物狂
モノグルイ」で知られる浅田一鳥等の『倭仮名ヤマトガナ在原アリワラ系図』(1752)などの作品を
生んだ。歌舞伎にも採り入れられたが、殊に舞踊には多く、長唄の『浜松風恋歌コイノヨミウタ
』(1808)、『汐汲』の通称で知られる長唄『七枚続シチマイツヅキ花の姿絵スガタエ』(1811
)、清元の『今様須磨の写絵ウツシエ』(1815)などが有名。箏曲にも生田・山田の各流に作
曲されている。
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