030850菅原伝授手習鑑
 
                    参考:小学館発行「万有百科大事典」ほか
 
〈菅原伝授スガワラデンジュ手習鑑テナライカガミ〉
「菅スゲ」
 カヤツリグサ科スゲ属の草本の総称。種類が非常に多く、世界に千五百〜二千種、わ
が国に二百余種が自生する。断面が三角形又は円形の中実の茎を持ち、葉は細く先が尖
り、平行脈がある。葉鞘は管になり茎を囲む。花は単性で、普通上方に雄花穂、下方に
雌花穂が着く。夏、カサスゲ・カンスゲなどの葉を刈って、笠(菅笠)・蓑ミノを作る。な
お、ハマスゲなど別属でスゲと呼ばれるものもある。すが。
 
「菅原伝授手習鑑」
 浄瑠璃義太夫節。竹田出雲・並木千柳センリュウ・三好松洛ショウラク・竹田小出雲合作。時代物。
五段。延享三年(1746)八月大坂竹本座初演。通称『菅原』。菅原道真公に関する史譚・
伝説・民間信仰などを取り混ぜ、近松門左衛門の『天神記テンジンキ』を素に脚色。同じ合作
者による『仮名手本忠臣蔵』『義経千本桜』と共に浄瑠璃の三大傑作とされる。初演の
同年秋には早くも歌舞伎化され、その後も人形浄瑠璃と歌舞伎の両方で繰り返し上演さ
れ、代表的な演目になっている。
 
 菅丞相カンショウジョウこと右大臣菅原道真公は、左大臣藤原時平フジワラノシヘイの暴逆を制した
ことから時平の恨みを買う。皇帝斎世トキヨ親王の舎人トネリ桜丸は女房八重ヤエと共に加茂堤
カモヅツミで、親王と道真公の息女苅屋カリヤ姫の恋を取り持つが、これを種に道真公は時平に
よって謀反と讒言ザンゲンされ、筑紫へ流罪と決まる。道真公から菅家秘宝の書道を伝授
された武部源蔵タケベゲンゾウは、女房戸波トナミと共に、道真公の一子菅秀才カンシュウサイを時平
一味から守って立ち退く。 − 初段(大内・加茂堤・筆法伝授・門前)。菅丞相は筑紫への
途中、警護の役人判官代ハンガンダイ輝国テルクニの情けで河内国土師ハジの里の伯母覚寿カクジュ
を訪れることを許される。覚寿の婿宿禰太郎とその父土師兵衛ハジノヒョウエは時平に加担し、
道真公の命を狙う。しかし、道真公が心を篭めて作った木像が奇跡を起こし、悪人共は
滅び、道真公は無事出立、苅屋姫は余所ながら父を見送る。 − 二段目(道行詞コトバの
甘替アマイカエ・安井の浜・道明寺ドウミョウジ)。桜丸は菅家の舎人梅王丸ウメオウマル、時平の舎人松
王丸と三つ子の兄弟である。梅王丸・桜丸は主君の仇敵時平に恨みを晴らそうと、吉田社
へ参詣の車を襲うが、警護の松王丸に妨げられる。三兄弟は佐太村サタムラに住む父白太夫
シラタユウの七十歳の賀の祝いにそれぞれ女房を連れて集まるが、松王丸は自ら望んで父に勘
当され、桜丸は丞相流罪の責を負って切腹する。 − 三段目(車引・佐太村)。
 
 筑紫へ流された道真公は、時平が帝位を窺っていることを知って激怒し、雷神と化し
て都へ飛び去る。北嵯峨に身を隠していた菅丞相の御台所は、時平一味に襲われ、八重
はこれと戦って討死するが、御台は折から現れた山伏に救われる。武部源蔵は芹生セリュウ
の里で寺子屋をしながら菅秀才を匿っていたが、時平方に知られ、首打って渡せと命じ
られ、是非もなく弟子入りしたばかりの小太郎の首を打って渡す。首実検の役の松王丸
は菅秀才の首と認めて帰ったが、間もなく女房千代と共に再び訪れ、小太郎こそ我が子
で、菅丞相の旧恩に報いるための身代わりだったことを物語り、自分が山伏となって救
った御台を菅秀才に引き会わせ、一同で小太郎の遺骸を弔う。 − 四段目(天拝山・北嵯
峨・寺子屋)。時平一味は雷神と化した道真公や桜丸夫婦の霊のために滅ぼされ、秀才は
菅原家を相続、道真公は天神として祭られる。 − 五段目(大内)。
 
 合作者のうち松洛が二段目切キリ、千柳が三段目切、出雲が四段目切を分担して執筆し
たと云われる。その真偽は別としても、三通りの親子が別れを見事に書き分けているの
が特色で、それぞれ独立して上演されることも多い。「道明寺」は木像の奇跡と云う幻
想的な物語の中に、聖者菅公の人間的な悲しみを色濃く写し出したもので、古典劇中で
も有数の詩情と重厚さを備えた場面。義太夫では屈指の難曲とされ、歌舞伎でも菅丞相
や覚寿は最高級の難役とされている。「佐太村」は「賀の祝」とも云い、桜咲く春の農
家で若く美しい桜丸が哀れに死んで行く場面で、『菅原』中でも最も風情に富む。桜丸
の切腹は身分の低い牛飼舎人の感じを失わないように型が工夫されている。茲は白太夫
の見せ場でもある。
 
 「寺子屋」は全体の頂点となる場面で、いわゆる身代わりものの傑作と云うばかりで
なく、わが国の代表的な古典劇として常に上演の跡を絶たない。最高潮クライマックスの首実検
は、時代物にはよく使われる技巧だが、松王丸の場合、我が子の死顔を実検する悲痛な
感情が中心になっているだけに、他に見られない緊迫感がある。段切れで白装束になっ
た松王夫婦が小太郎を弔う下りは、いろは歌を詠み込んだ浄瑠璃の詞章のため「いろは
送り」と呼ばれる箇所で哀切を極める。別に三段目口クチの「車引」は、三兄弟が喧嘩を
するだけの単純な内容ながら、歌舞伎では全体を荒事の演出で統一し、様式美豊かな一
幕になっているので、独立して上演されることも珍しくない。その他、初段口の「加茂
堤」も仄かな詩情を持った場面で、切の「筆法伝授」も初世中村吉右衛門が復活して以
来、よく上演されるようになった。
 
 後世、この作品を基本として多くの書替え物が作られたが、中でも初世並木五瓶ゴヘイ
作の歌舞伎脚本『天満宮菜種御供ナタネノゴクウ』(1777、通称『時平の七笑』)が有名。な
お、「寺子屋」は翻訳されて欧米でも上演されたことがある。
 
関連リンク 「菅原道真公」
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