0309助六由縁江戸桜
参考:小学館発行「万有百科大事典」ほか
〈助六由縁江戸桜スケロクユカリノエドザクラ〉
「桜」
バラ科サクラ属の落葉高木又は低木の一部の総称。同属でもウメ・モモ・アンズなどを
除く。中国大陸・ヒマラヤにも数種あるが、わが国に最も種類が多い。園芸品種が非常に
多く、春に白色・淡紅色から濃紅色の花を開く。八重咲きの品種もある。古来、花王と称
せられ、わが国の国花とし、古くは「花」と云えば桜を指した。材は均質で器具材・造船
材などとし、また、古来、版木に最適とされる。樹皮は咳止薬(桜皮仁)に用いるほか
曲物マゲモノなどに作り、花の塩漬は桜湯、葉の塩漬は桜餅に使用。また桜桃オウトウの果実は
食用にする。ヤマザクラ・ソメイヨシノ・サトザクラ・ヒガンザクラなどが普通。
「助六由縁江戸桜」
歌舞伎劇。時代世話物。一幕。「歌舞伎十八番」の一つ。通称『助六』。元禄(1688
〜1704)頃京坂で作られた『助六心中』と云う情話の人物名を借りて、江戸の侠客劇に
書き替えたもの。正徳三年(1713)四月江戸山村座で二世市川団十郎が演じた『花館愛
護桜ハナヤカタアイゴノサクラ』が最初で、以後多くの変遷を経て、現在の脚本・演出に定まった。
侠客花川戸ハナカワド助六、実は曽我五郎時致トキムネは宝刀友切丸トモキリマル詮議のために吉原
へ入り込み、客に喧嘩を仕掛けていたが、やがて愛人の三浦屋揚巻アゲマキに懸想する金持
の武士髭の意休イキュウの持っている刀こそ友切丸と知り、意休を斬って刀を奪い、揚巻の
助けを借りて逃れて行く。
二世団十郎が正徳六年、二度目の助六を演じた『式例和曽我シキレイヤワラギソガ』(津打治
兵衛ツウチジヘエ作)以来、曽我狂言の一部として『助六』が扱われるのが慣例になった。従
って、筋の上では曽我五郎が名刀詮議のために助六と名を変えたと云う構成になってい
るが、内容は江戸最高の歓楽場吉原をし背景に江戸っ子の生態を描いているのだから、
脚本の性質としては世話物に属する。享保十八年(1733)に市村竹之丞が助六を演じた
『英分身ハナブサブンシン曽我』から、地に河東節の浄瑠璃を使うようになり、現在の「由縁
江戸桜」という狂言名題は、そのときの浄瑠璃名題『助六所縁江戸桜』に基づく。「歌
舞伎十八番」に選ばれたのは、天保三年(1832)三月市村座で七世団十郎が演じたとき
からである。
揚巻・意休の他、助六を巡る主な登場人物は、和事ワゴト役の白酒売新兵衛と身をやつし
た兄の十郎、揚巻の妹分の傾城白玉シラタマ、助六の身を案じる母の満江マンコウ、意休の子分
のかんぺら門兵衛モンベエ・朝顔仙平センベイなど。きらびやかな吉原仲の町を舞台に華やかな
扮装の人物達が織りなす絵模様と、助六・揚巻始め登場人物が吐く数々の啖呵タンカと悪態
の痛快さは観客を恍惚とさせる。物語は単純だが、揚巻・白玉など豪華な傾城の道中姿、
助六が河東節の音楽に乗って花道で幾つもの美しい姿勢ポーズを見せる「出端デハ」の振
り、意休一味との威勢の良いやり取り、助六と白酒売が遊客に喧嘩を売って股を潜らせ
る滑稽味、助六を意見する母の情愛、また省略されることも多いが、意休を斬った助六
が本水ホンミズの入った天水桶に隠れる「水入り」のスリルなど、終始変化に富んだ構成で
見所は尽きない。江戸時代には江戸の観客の嗜好とぴったり結び付いた人気狂言で、上
演に際しては吉原・魚河岸・蔵前などの後援団体から、舞台で用いる諸道具類や劇場前を
飾る積荷などの贈られることが習わしになっていた。
別に尾上菊五郎家では河東節に代えて他の浄瑠璃を使う『助六』を考案、近世では清
元を地にした『助六曲輪菊クルワノモモヨギク』を上演するのが例になっている。また、『助六
』の風刺物パロディーとして河竹黙阿弥が四世市川小団次のために書いた『黒手組クロテグミ助
六』がある。
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