030650a漆工芸
〔中国の漆工芸〕
戦国時代(前403〜前221)の漆器が、河南省洛陽郊外金村・湖南省長沙などから出土し
ているが、かなり精巧なものであり、中国の漆工の歴史の古さが窺える。漢代の漆器は、
朝鮮楽浪ラクロウ郡の古墳群、モンゴルのノイン・ウラ、中央アジアの楼蘭ロウラン、南満州(中
国東北南部)の各地、山西省陽高などで発見され、中でも楽浪出土のものが名高い。楽
浪漆器は漢の蜀郡工官・広漢郡工官で作られたものが多く、年号・工人・監督官の名が記シル
されたものもあり、その種類は耳坏ミミツキ・盆・壺・奩レン(円形蓋物)・各種箱類などで、夾
紵キョウチョ・籃胎・木製・土器などに、黒漆や朱漆を塗り、色漆で文様を描いたものもある。
唐代になると漆工技術が著しい発達を見せ、殊に中央アジア・南方その他各地の工芸を
摂取して多様性を帯びたが、中国の出土例は少なく、伝世のものとしては正倉院宝物が
世界的である。
宋代には、螺鈿・平文、その他の加飾品に代わって、黒漆無文の漆器や、彫漆が作られ
たと思われるが、その遺例は極めて稀である。元代には更に沈金が盛んになったようで、
延祐二年(1315)在銘の沈金経箱とその類品がわが国に伝わっている。彫漆もより盛ん
になり、元末には張成・揚茂が堆朱の名工と云われた。明代になると、彫漆・沈金・螺鈿・
存星などの各技術が行われ、初期のものには技術・意匠共優れたものが見られ、わが国に
伝えられて唐物として珍重された。明代の後期から清代のものは次第に細密化し、やが
て形式化して行った。
清代螺鈿の精細な技法の影響を伝えたものに、富山の杣田ソマタ細工がある。
〔朝鮮の漆工芸〕
朝鮮の漆工芸についてはあまり明らかにされていないが、新羅シラギ統一時代には漆典
の官が置かれていた。高麗コウライ時代(918〜1392)には螺鈿が盛んになり、中尚署では宮
廷調度の螺鈿器が作られ、1272年には螺鈿器製作を監督する鈿函造成都監が置かれてい
る。高麗螺鈿は菊や花文の唐草が多く、銀や真鍮シンチュウの金属線を用いたり、貝の裏に黄
や赤の色彩を伏せ、鼈甲ベッコウを交えたりするのが特色である。李朝時代にも螺鈿は引き
続き行われているが、意匠は略画的な写生風のものが多く、技術も表現も非常に素朴で
ある。李朝螺鈿はわが国に伝えられ、近世初めの螺鈿に影響を与えている。
〔南方の漆工芸〕
南方の漆工芸の歴史は非常に不明確であり、時代を明らかにし得るものはあまり見ら
れない。タイやビルマ地方に産するキンマ塗は、タイ北部のチェンマイが主産地とされ
ている。キンマ塗は多く籃胎で、これに漆を塗り、文様を線刻して他の色漆を埋めて研
ぎ出したものである。金馬・蒟醤とも書かれ、茶道具として好まれている。江戸時代に四
国高松の玉楮象谷タマカジゾウコクがその技法を用い、高松の漆工の特技として伝えた。
〔ヨーロッパの漆工芸〕
ヨーロッパでも東洋の漆工を模倣したが、漆以外の塗料によるものが多く、漆を用い
たものは二十世紀になって初めて作られた。古いものでは、1616年コペンハーゲンのロ
ーゼンボリ宮内の羽目板に、黒漆に金で中国風の模様を描いたものがある。十七世紀後
半になると、いわゆるシノアズリーが流行したが、これは漆塗と金蒔絵の模倣にヨーロ
ッパ風のデザインを加味したものである。十八世紀には可成り精巧な模造が作られるよ
うになり、フランスのマルタン一家によるベルニ・マルタン(マルタン漆器)が名高い。
作風は蒔絵の模倣と云うより、ロココ風のデザインの特徴が見られる。二十世紀になる
と、スイスのJ・デュナン(1877〜1942)が金蒔絵と色蒔絵による装飾パネルを作った。
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