020280熊野三山
 
                    参考:小学館発行「万有百科大事典」ほか
 
〈熊野三山クマノサンザン〉
「熊」
 ネコ目クマ科の哺乳類の総称。アジアにヒマラヤグマ・マレーグマ・ナマケグマ、北米
にアメリカクロクマ、南米にメガネグマ、更に北極周辺にホッキョクグマ(シロクマ)
とヒグマの7種がいる。体は太く、四肢は短い。わが国本土産はヒマラヤグマの亜種で、
毛は一般に黒、喉に三日月形の白斑を持つのでツキノワグマと呼ばれる。広葉林を好み、
よく木に登る。雑食性だが、植物質をよく食べる。北海道のクマはヒグマで、ツキノワ
グマより大形、毛は赤褐色から黒。
 
「熊野三山」
 和歌山県の熊野地方にある本宮(熊野本宮大社)・新宮(熊野速玉大社)・那智(熊野
那智大社)を併せて熊野三山と称する。
 熊野本宮大社は和歌山県東牟婁郡本宮町本宮にあり、元は熊野川・音無川・岩田川が合
流する地点にあったが、明治になって大水のため社殿が流され、現在地に移された。た
だし第一殿と第四殿は江戸時代の建築で熊野造の古式を伝えている。木造家津御子ケツミコ
大神坐像など数体の神像彫刻が祀られている。
 
 熊野速玉大社は新宮市新宮にあり、延喜の神名帳に速玉大社と記され、古くから天皇・
皇族を始め貴神の信仰の厚い社であった。木造夫須美フスミ神坐像を始めとする七躯の神像
彫刻を御神体として祀り、公開は許されないが、何れも平安期の作で、中でも重文の熊
野速玉大神坐像は、神像彫刻として極めて優れたものである。当社には、これらの神像
の他に、古神宝と称せられる工芸品が数多く伝えられている。その大部分は、鎌倉時代
から室町時代にかけて奉納寄進されたもので、衣料(袍・袙・唐衣・袴など)・髪飾(挿頭
華カザシ)などの染織品、手鏡・太刀などの金工品、鏡箱・手箱・化粧具などの漆工品など、
何れもその時代の美術工芸の粋を揃えたものである。中でも当社の御神木である梛ナギの
木を文様にあしらった蒔絵手箱や、大和絵の技法を用いて描かれた彩りの美しい彩絵檜
扇は、日本美の典型を物語るものとして注目される。また神幸用船は天和二年(1682)
江戸が造られ、熊野川の神幸祭のため当社へ奉納されたもので、軸に鍍金の竜頭を立て、
中央に神輿型の屋形を組み立てて神座とし、その後ろに帆柱を立て、内部や外部に朱漆
を施し、全体の意匠に細かい心が配られている。
 
△因みに
 「梛ナギ」とは、マキ科の常緑高木。暖地に自生。高さ約15m。葉は披針形で、多数の
平行脈を有し、強靱で光沢がある。雌雄異株。花は夏開き、雄花は淡黄色で小さく、雌
花は球形の種子を結ぶ。材質は緻密で床柱・家具用、樹皮を染色及び鞣皮ジュウヒ剤とする。
熊野地方で神木とされ、竹の葉に似る葉は古く鏡の裏や守り袋に入れて災難除けにした。
 
 熊野那智大社は東牟婁郡那智勝浦町大字那智山にあり、渓を隔てて、那智滝を望む台
地に社殿がある。金銀装の宝剣は、寛永十三年(1636)徳川頼宣が寄進したもので、そ
の拵コシラエは後藤琢乗の作、熊野修験の修法に用いたものらしい。『那智山熊野権現曼陀
羅』は、縁起絵巻のようなもので、熊野那智の御師・山伏・比丘尼ビクニ達が弘教のため、
諸国に持ち歩いたものと考えられ、室町時代の説話画として貴重な資料である。また那
智山経塚は、わが国でも代表的な経塚遺跡で、小金銅仏を始め数多くの遺品が知られて
いるが、それらは那智大社の隣の青岸渡寺や、国の所蔵になっている。
 
関連リンク 「熊野神社」
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