020265狐
 
                    参考:小学館発行「万有百科大事典」ほか
 
〈狐キツネ〉
「狐」
 イヌ科キツネ属の哺乳類。頭胴長70p、尾長40p程。イヌに似るが、体は細く、尾が
太い。耳は大きく、顔は尖る。毛はいわゆる狐色で、飼育品種には銀、黒などもある。
北半球の草原から森林に広く分布、主に夜行性。餌はネズミ・小鳥などで、植物も食べ
る。わが国では人を騙ダマすとされ、狡ズルいものの象徴にされてきたが、稲荷神の使い
でもある。毛皮用に飼育される。なお、広くはキツネ属及び近縁の総称。きつ・くつね。
 
「霊的な動物狐」
 狐と言えば、多くの人は直ぐ稲荷神を連想する。狐は稲荷神の使者として親しまれ、
稲荷神の本社・京都市伏見区の稲荷神社にも、境内末社の白狐社に狐が祀られている。こ
の神を専女トウメ三狐神と称し、山上にあった命婦ミョウブ社を、本社が山麓に下ったときに、
一緒に遷したものと云う。専女も命婦も稲荷の狐の呼称である。わが国には、主神の神
威の発現を特定の動物によって表現すると云う信仰が発達しており、稲荷の狐もその一
例であるが、農村の稲荷信仰などでは、狐そのものを稲荷神として信仰することも多い。
狐の生態に直接、神秘的なものを感じるからであろう。農村には、稲の種を外国から持
って来た狐を祀ったのが稲荷神であると云う伝説もある。
 
 稲荷の狐信仰で重要な点は、狐の棲む場所を信仰の対象としたことである。三狐社に
も、神霊を祀ると言いながら、社殿の後ろには狐の穴があった。狐の穴を供養する信仰
は東京の周辺などにも広く見られた。元羽田空港の処にあった穴森稲荷は、かつてはオ
アナサマと云って萱の原の中にある狐の穴の信仰であった。近畿から中国地方にかけて
寒施行カンセギョウ、穴施行などと云って、寒中に狐に食物を施す行事も、野外での狐供養の
一種であり、わざわざ狐穴の処に食物を供える地方もあった。全国的に分布している狐
塚にも、狐穴の伴っている例があった。狐塚は本来、稲の神の祭場であろうと云われ、
塚の上に稲荷の小さい祠ホコラを祀っているものなどもあるが、稲の信仰が狐を媒体として
行われているところに大きな特色がある。
 
 狐の霊力が、人間に憑ツいて威力を発揮すると云う信仰もある。平安時代初期の『日本
霊異記』に見える美濃国(岐阜県)の狐直キツネノアタエの由来譚タンは、その古い例である。狐
が女に化して人と結婚すると云う狐女房譚の一例であるが、その子孫は大力であったと
ある。
 中古以来、陰陽師オンミョウジが狐の霊力を統御すると云う信仰が発達し、陰陽師の祖神の
地位にある安倍晴明アベノセイメイは、狐女房の子供であると説かれている。陰陽師は狐の霊
力を身に憑けて、それを支配することを誇りとしたのであった。狐女房譚はいわば陰陽
師の神話であり、説経セッキョウ浄瑠璃の『信田妻シノダヅマ』はその文芸化であり、昔話の狐
女房も大体この系統に属する。かつて狐持ちと云って、狐を飼育することによって繁盛
している云われる家筋があったが、これは個人に狐が憑いて精神異常を起こす狐憑きと
共に、陰陽師の狐信仰の名残である。
 
 中国では古代から、狐の霊力を説く伝承が発達している。狐の霊性を語る化け狐の話
が豊富にある他、狐に対する信仰心も厚く、神として祀られることもある。これらはわ
が国の狐観に近く、丘に棲む狐を珍重する風があるなどは、狐穴の信仰を想わせる。陰
陽師の宗教には、中国の道教的思想の影響が大きく、怪異的な色彩の濃い狐譚には、そ
の跡がはっきりと窺われる。しかし、狐は我々にとって最も身近な、然も印象的な野獣
である。わが国の狐の信仰には、日本人の自然観照によって産み出され、或いは支持さ
れた部分が、なお相当あるに違いない。
 
関連リンク 「稲荷神社」
[次へ進む] [バック]