020262菊水
 
                    参考:小学館発行「万有百科大事典」ほか
 
〈菊水キクスイ〉
「菊」
 キク科キク属の多年草。自生種のハマギク・ノジギクなどの総称。また、特に観賞用に
作られた園芸品種の総称。原産は中国大陸、わが国には奈良時代以後に渡来、江戸時代
に改良が進む。梅・竹・蘭と共に四君子の一。品種が非常に多く、花色は白・黄・桃・紅な
ど。園芸上は大菊・中菊・小菊に、花の形状により管物・厚物・平物などに分け、嵯峨菊・伊
勢菊・肥後菊・美濃菊・江戸菊・奥州菊などの系統がある。観賞用に世界各国で栽培。
 食用菊の食用になるのは主に花の部分(葉の天麩羅も美味しい)で、花弁に苦味がな
く、香りの良い品種が選ばれ、東北地方や長野県などに生産される。大輪で厚物の黄菊
が多く、白・紅色のものもある。
 
〔民俗〕
 中国では菊に関わる伝説に長寿の花の話が多いが、わが国で初め薬用として用いたの
も、長寿の観念と関係があるようである。
 菊が観賞用として文芸作品に出て来るのは十世紀初頭からで、『古今和歌集』や『源
氏物語』に見ることが出来る。中世の宮廷の菊花の宴は「重陽チョウヨウの宴」とも呼ばれ、
九月九日(旧暦)に行われた。
 「菊合キクアワセ」は菊を題としての歌合もあるが、寧ろ作った実物の菊を比べ合う行事
で、江戸時代の大名の間で品評会が行われた。
 
 このように上層階級で行われた菊の行事が次第に民間に採り入れられ、観賞用の菊の
栽培が盛んになり、菊の名所や菊人形展、菊の品評会が各地で催され、現代のような盛
行を見るに至ったのである。特に江戸初期に定められた五節句の中では、重陽が最も重
んじられたので、民間への流行は早かったようである。民間では重陽の頃が秋の収穫期
でもあり、古来の農耕行事と結び付いて定着したとされる。鹿児島県では秋祭をホゼと
呼ぶが、多くは九月九日であり、その他九州でも東北地方でも、クンチと呼んで九月九
日を当てている。長野県伊那郡地方では、収穫祭である十月十日(元は旧暦九月九日と
考えられる)を「菊の節句」とも呼び、餅に色付いた菊の花を一本添えて親方の許に贈
ると云う。東北地方には、十月十日の天候が晴か曇かによって翌年の農作の豊凶を占う
処がある。
 
〔菊紋〕
 
「菊水」
 菊水とは、中国河南省内郷県にある白河の支流。古名は鞠水。この川の崖上にある菊
の露がこの川に滴シタタり落ちてその水極めて甘く、水辺に住むものがその水を飲めば長
命すると云う。
「菊慈童キクジドウ」
 @菊慈童とは、周の穆王ボクオウの侍童の名。南陽郡のレキ県に流されたが、その地で菊
の露を飲んで不老不死となったと云う。
 A能の一。枕慈童に同じ。
 枕慈童マクラジドウとは能の一。レキ県山に流された少年が、経文の映った菊の葉の露を
飲んで七百歳まで若さを保ったことを脚色。観世流では「菊慈童」。
 B歌舞伎舞踊の一。長唄。初世杵屋忠次郎作曲。1758年(宝暦8)初演。本名題「乱菊
枕慈童」。
 
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