020255桂離宮
 
                    参考:小学館発行「万有百科大事典」ほか
 
〈桂離宮カツラリキュウ〉
「桂」
 @カツラ科の落葉高木。わが国特産。樹皮は灰色を帯びる。高さ約30m。葉は心臓形。
雌雄異株。春先に葉に先立って暗紅色の小花を着ける。果実は円柱形をなし湾曲。材は
腐朽しにくく、船材・建築用・器具用。
 A中国で、月中にあると云う想像上の樹。転じて、月。
 
「桂離宮」
 京都市西京区桂にあり、わが国の建築と庭園の独自の美しさを示した傑作として有名
な建造物。江戸時代には桂宮カツラノミヤ家の別荘で、明治十四年(1881)に宮家が絶家にな
った後、宮内省(現宮内庁)の所管となった。
 
〔沿革〕
 その創立は、桂宮初代の八条宮ハチジョウノミヤ智仁トシヒト親王(1579〜1629)によるもので、
古く王朝時代から月の名所として有名であった土地を選び、元和六年から寛永元年
(1620〜24)頃に工事が行われた。また、二代智忠ノリタダ親王(1619〜62)によって正保
二年(1645)頃に再び工事があった。この離宮の造営を小堀遠州の指導によるとする説
が古くからあるが、その確証はなく、寧ろ茶道や文芸などの教養に長じていた二人の八
条宮の指導によることが大きいと考えられる。
 
〔構成〕
 離宮の敷地は桂川に望み、東西約230m、南北約218mの境域を持つ約二万坪の大きさで、
中央に入り組んだ池があり、その周りに築山を造り、周囲全体を笹垣ササガキ、桂垣などと
呼ぶ竹垣で囲んでいる。中心となる建物は書院で、古書院コショイン、中チュウ書院、楽器の間、
新書院の四棟が雁行ガンコウ形に連続し、池に面して立つ。古書院と中書院は離宮の中でも
特に古い建物で、中書院は床トコ、棚を備えた親王のための御座所であり、古書院には池
に向いた広縁と、月見台と呼ぶ竹を並べた露台テラスがある。新書院は行幸を迎える御殿
で、桂棚カツラダナと呼ばれる有名な組棚を備えた上段ジョウダンの間、御寝ギョシンの間、御化
粧オケショウの間があり、他の建物より華麗に造られている。以上の四棟とも床ユカは可成り高
く、屋根は柿葺コケラブキで、外観が大変美しい。
 
 庭園の中には、御茶屋と云われる遊興のための各種の小建築が巧みな配置で建てられ
ている。中でも松琴亭ショウキンテイは三方を池に囲まれた眺望の良い位置にあり、深い土庇
ツチビサシに囲まれた続き座敷と、三帖台目の茶屋、水屋などからなり、茅葺、入母屋造の
外観が優れている。床の間の市松文様の貼付の斬新さは有名である。月波楼ゲッパロウは池
に面した高い石垣の上に立ち、L字形の座敷に接し広い土間と板の間があり、田舎風の
炉や棚が設けられている。屋根は柿葺で、内部は天井を一部しか張らず、梁や束ツカの構
成が巧みな意匠になっている。笑意軒ショウイケンは茅葺、寄棟造の農家のような外観で、離
宮の南の境界に近く立ち、その座敷からは外の田園風景を見る。室内も質素であるが、
窓の腰下には天鵞絨ビロードの布張りがしてある。
 
 賞花亭ショウカテイは築山の上にある小憩用の小さな茶屋で、竜田屋タツタヤとも云う。茅葺、
切妻屋根の、恰も峠の茶屋のような趣向を盛り込んだ建物である。卍亭マンジテイは、林間
の小道の傍らに、腰掛を卍状に配した小建築である。その他庭園内には、桂宮家及び細
川幽斎の位牌を祀った園林堂エンリンドウと云う仏堂、御待合、舟小屋があり、また表門から
古書院入口の御輿寄ミコシヨセまでの通路には御幸門ミユキモン・中門チュウモンがある。
 庭園は建築内部からの眺望と共に、池の周囲や築山を巡る小道を歩きながら、様々な
風景を眺められるように造られた、いわゆる回遊式である。主な見所としては、御待合
の前の蘇鉄ソテツ山、松琴亭前面の洲浜スハマと天の橋立、神仙島と呼ばれる小松を植えた中
島、花林、紅葉山があり、書院前庭の石組も有名である。また各所にいろいろな形式の
石灯篭や手水鉢チョウズバチが配置されている。
 
〔意匠の特色〕
 この離宮は、各種の建築と庭園を巧みに組み合わせて造り上げた総合的な作品で、そ
の全体計画と個々の意匠の優秀さにより、緊密な作品として纏められている。特に建築
は数寄屋造スキヤヅクリとして最も古いものの一つで、広縁や土庇を利用した自然との繋が
り、古書院などに見る軽快・簡素な空間構成に、住宅建築としての優れた良さがあり、ま
た各種の棚、窓などの部分的意匠にも鋭い構成美が見られる。庭園の様式は、王朝時代
以来の洲浜や名所を模した造庭、禅宗寺院風の石庭、茶室の露地庭など、それまでの各
時代のものが総合されており、また四季それぞれの自然美が味わえるようになっている。
その他庭路の所々にある飛石、手水鉢には近代的な意匠に似た優秀に造型美がある。
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