020220花鳥画
参考:小学館発行「万有百科大事典」ほか
〈花鳥画カチョウガ〉
「花」
@種子植物の有性生殖に係わる器官の総体。その各要素は葉の変形である花葉と、茎
の変形である花軸から成る。花被(萼と花冠)は形・色とも多様で、合弁花・離弁花があ
り、全く花被を欠くもの(裸花)もある。雄蘂・雌蘂の揃った花を両性花、何れか一方を
欠くものを単性花と云う。なお、俗にコケなどの生殖器官を花と云うこともある。
A特に、梅又は桜の花。平安後期以降は桜の花。
B仏に供える樒シキミなどの枝葉。
「鳥」
@鳥類の総称。
鳥類とは、脊椎動物の一綱。温血・卵生で、体制は爬虫類に近い。角質の嘴クチバシを持
ち、歯はない。体は羽毛で覆われる。前肢は翼に変じ、多くは飛ぶのに用いる。世界中
至る所に分布し、約9000種。わが国では500種以上が記録される。
A(「鶏」と書く) 特にニワトリの称。
「花鳥画」
東洋画の画題。花や鳥の佇タタズまい、遊ぶ様を描いたもの。
花鳥図は人物画の背景として漢時代には描かれているが、自然の風物を愛好する思想
が生まれた六朝リクチョウ時代から絵画の一部門として注目されてきた。人物・動物(牛・馬な
ど)・山水画の発達よりは遅れて、唐時代になって初めて名のある専門画家として辺鸞
ヘンランが出た。彼は孔雀・花木・蝶・蝉などを能く描いたと云われる。五代時代になると南唐
の徐煕ジョキ一派の写実的没骨花卉モッコツカキ画と、蜀の黄筌コウセン一派の鈎勒コウロク花卉画が興
隆してきた。そのため、花鳥画は五代を統一した宋時代に始まるとも云われる程に、こ
の時代になると一般に流行した。殊に院画人は宮廷に奉仕しているので、宮廷の貴人が
求めるのは鮮麗な花鳥絵画であることも発達の一因となっていると考えられる。また、
徽宗キソウ皇帝は自らも花鳥画を最も好んで描いている。北宋・南宋時代共に花鳥画で名を
なした画家は非常に多い。
元時代には銭選、王淵が大家として知られ、明時代には画院に林良、呂紀ロキがいて花
鳥画で名声を得た。清時代には軍(立心偏+軍)格ウンカクが正統派画人として専ら花卉を
描き、その他にも蒋廷錫、鄒一桂等は官僚として花鳥画の名人であった。また在野の花
鳥画家には明の沈周シンシュウ、陳道復、徐渭、朱耳(大冠+耳)シュトウ等があり、清朝では華
品(山冠+品)カガンや李單(角偏+單)リゼン、趙之謙、近代では斉白石が最も名のある
花鳥画家である。
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