0105靭猿
 
                    参考:小学館発行「万有百科大事典」ほか
 
〈靭猿ウツボザル〉
「猿」
 サル目(霊長類)のヒト以外の哺乳類の総称。特に、ニホンザルを云うこともある。
 
「靭猿」
 狂言の曲名。太郎冠者を連れ、弓矢を携えて野遊びに出掛けた大名(シテ)が、道中、
猿引きに出会う。毛並みの良い猿に目を付けた大名は、その猿の皮を靭(矢を入れて背
負う用具)に張りたいから猿を貸せと所望する。猿引きは一旦は断るが、大名は弓に矢
を番ツガえて威嚇し、無理矢理承諾させてしまう。猿引きは覚悟を決めて、猿に因果を含
めてから、一打ちに殺そうと杖を振り上げる。ところが、猿は主人の振り上げた杖を取
って、舟の櫓ロを押す真似をする。無心な猿は芸の稽古と思ったのだ。猿引きはそのいじ
らしさに落涙し、どうしても殺すことが出来ない。この様子を見ていた大名は貰い泣き
して、猿の命を助ける。喜んだ猿引きは、猿歌を謡い、猿に舞を舞わせる。大名はその
猿舞が面白いので、扇や太刀、着ていた素袍スオウ・袴まで褒美に与え、猿の真似をしては
共に戯れる。
 
 大名狂言。大蔵・和泉両流共筋立ては同じ。大きく三場面からなり、構想の妙を示して
いる。即ち、前半の大名対猿引きの白熱した応酬には緊迫感が漲ミナギり、中盤の猿引き
が猿に別れを告げる愁嘆場ではしんみりした情緒が漂い、最後に一転して賑やかな猿舞
となって狂言特有の和楽の気分が流れる。短気で横暴な反面、情に脆モロい一面を見せ、
猿に絡んで戯れる大名に一貫した性格は、天衣無縫と云うべきだろう。花笠と殿中羽織
を着て御幣を持って舞う猿舞には本来、猿が日吉ヒエ山王の神の使者であるところから、
祝言・祈祷の意が篭められていたらしい。この舞は、猿引きが笞ムチで床を叩いて調子リズム
を執りながら謡う猿歌(地謡によることもある)に合わせて舞う。猿歌は、中世から近
世にかけての流行歌謡を採り入れた踊り節型の歌謡。ツヨ吟・ヨワ吟を交錯させ、速度
テンポの緩急を種々に変化させながら謡う。猿(子方)の扮装は、モンパと称する縫い包
みを着て、子猿の面を懸ける。
 
 本曲は古くから邦楽に採り入れられ、義太夫・常磐津・長唄・一中節などがあるが、中で
も俗に『新うつぼ』と云われる常磐津の歌舞伎舞踊劇が有名。これは本名題を『花舞台
霞の猿曳』と云い、天保9年(1838)江戸市村座で初演されたもの。作詞は中村重助、
作曲は四世岸沢式佐で、すっかり歌舞伎化されている。長唄は二世杵屋勝三郎作曲の明
治二年(1869)の作がある。
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