30b 盆栽
 
 江戸時代の園芸は,家康以下の「御三家」の通有した無類の花好き,大名・旗本の追
随,「参勤交代」が派生増幅させた奇を誇り異をてらう風潮などによって,奇樹異草を
主体に展開していきました。その中で,大名・旗本は,自慢の佳品を「お留花」(門外
不出)とし,市井の四民(士農工商)は,江戸中期から後期にかけ,奇品絶品を,もの
に拠っては1両から3両2分(例えば享保のキクは約5〜15万円),果ては100両から
300両(例えば文化文政のカラタチバナは約500〜1500万円)にも評価して,世上を狂騒
に巻き込みました。好事コウズの徒輩は,奇品の法外な評価に見合う精良高価な鉢を求め
ましたが,その動向を傍証するものとして,歌麿の錦絵にみる盆栽数点は,陶器ながら
竜文の浮彫りをした深鉢であり,次いでその直後,瀬戸の窯業が陶器から磁器に転進し
た享和以降,多くの浮世絵師は「染付ソメツケ」の深鉢に納まる盆栽を採り上げました。即
ちそれらの錦絵は植木鉢の変遷を示唆し,ひいては奇品用に開発された深鉢が盆栽にも
供用され,其処に品格を欠く「錦絵的盆栽」(仮称)が存在したなどの事情を物語りま
す。
 一方江戸中期の頃,上方カミガタ(京・大坂)を中心にして成立した文人の領域では,中
国の文人が古来相伝した方式に即して,「文房」(書斎)の机上や床脇などに,閑雅な
風姿の盆栽,俗称「文人植木」を飾り,煎茶に纏マツわる中国流の雅境にひたりながら名
琴を奏で,碁ゴ(棋キ)に興じ,詩文を詠み・書き,文人画を描くなどして,清修好古の
境地「文房清玩」・「琴棋キンキ書画」を展開していました。その文人の煎茶は,上方にあ
っても,本来町衆や公家クゲには無縁でありましたが,文政の頃大坂と京都で芸能化され
た煎茶の流派が創始されて以来,文人以外の上下各層に浸透し,ひいては席の構成要素
である「文人植木」と,その一部となる簡素な平鉢(宜興窯の「泥物デイモノ鉢」)が,京
・大坂の市中に出回っていました。
 維新後,新政府の要職についた勤皇派の公家・大名・志士たちは,かつて上方で嗜タシナ
んでいた煎茶の雅境を東京に持ち込み,それに伴って「文人植木」を生産地摂津池田か
ら取り寄せ始めました。なおその裏には,織田信長以降,武人の間に占有されてきた「
茶の湯」が,見る影もないほど転落し,替わって在野人の煎茶が高位者に欠かせない教
養とされて,にわかに社会の表側に現れた,との逸事が介在したのでした。その延長と
して,文人盆栽は宮内省・宮家・華族や多数の高官へ,続いて新興した財閥の当主に及
び,また中小の企業主や商店主などにも広まりました。
 明治11年(1878)に来朝したアメリカ人アーネスト・フェロノサは,世上を荒れ狂う
文明開化・廃仏毀釈の時流によって,多数の由緒ある建造物や美術品などが惜し気もな
く打ち壊されるのを見て,日本古来の文化遺産を再認識させるべく,岡本天心の協力を
得て,「美術運動」を強力に展開しました。その情勢を受け止めた東京の証券取引業者
田口松旭は,一部の盆栽家とともに,文人盆栽を基調としながらも,南宗画の修習帳「
芥子カイシ園画伝」に依拠し,また宜興窯のいわゆる「泥物デイモノ鉢」の風趣を生かして,
盆内に美術(芸術)性を盛る式の「美術盆栽」を,同20年(1887)頃社会の一隅に登場
させました。次いでその「美術盆栽」は急速に輪を広げましたが,その間,中国雑貨の
貿易商木曽庄七らは,「画伝」を脱して,自然の佳景から受ける感興を幅広く採り入れ
る動向「自然美盆栽」を創案して,以降における盆栽の急騰を発端しました。現代,「
席陳列」の常法とされています「主木」と「下草」の取り合わせは,「自然美盆栽」の
成立過程で創意されましたが,その過程ではまた,現代の盆栽にみられる各種の整姿形
(前掲)が次々と考案されていきました。なお,その種の新運動が社会に広く行き渡っ
たのは大正年間(1912〜26)であり,そこに盆栽と鉢植えを区別する社会通念が成立し,
また「錦絵的盆栽」は,その年代までにほぼ影をひそめました。
 幕末に相当して,イギリスその他の欧米諸国に運ばれた盆栽は,悪戯イタズラに奇異観の
対象とされ,加えてそれらは奇を誇り異をてらう姿態に偏していましたので,「自然に
反するもの」と軽蔑され,ただ,日本人が盆上に傾注した積年の努力 − 樹齢 − のみ
が強く印象に残りました。しかし欧米人はその後,盆栽に接する機会を増し,一方,日
本国内でも,「美術盆栽」・「自然美盆栽」へと向上したので,外国人の盆栽観は,「
日本人の民族性を具現する生きた芸術」とする方向に改まっていきました。なおその種
の認識を急昇増幅させましたのは,戦後日本に駐留した多数の外国将兵であり,更に国
際語bonsaiを成立させたのは,東京オリンピック(1964)と大坂万国博覧会(1974)に
際して,会場の近隣に特設した名品盆栽展に訪れた膨大な数の諸外国人でした。そこで
受けた強い印象(自然物の本性を生かし,僅かに手を加えて,美的な境地を創造すると
の,日本人に固有な民族性への開眼)が核となって,世界各国に渡り,趣味家・同好会
・盆栽商が輩出しています。
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