11 新宿御苑の菊
新宿御苑の菊
参考「新宿御苑に於ける和菊の伝統的栽培
法写真図説」東京農業大学発行
菊は,日本を代表する花卉の一つであり,その栽培には多くの人々が親しみ携わって
います。
特に新宿御苑においては,和菊の伝統的な方法による栽培が長期間に亘って行われて
きました。すなわち,明治以降,宮内庁の管轄のもとに,独自の栽培技術の伝承,品種
の伝統的な保存と改良を行い,第二次世界大戦後もその努力が継続されてきています。
毎秋,御苑内の日本庭園では,各種の菊花壇が公開され,各作りごとに伝統的な花壇
が再現されています。
東京農業大学図書館では,新宿御苑における菊栽培が園芸史上における意義を重要と
認め,本学創立90周年を記念して,その栽培方法を忠実に記録し,広く社会へ紹介する
こととしたものです。
〈菊栽培圃場概要〉
菊の栽培圃場は,苑内の西南部の,日本庭園に隣接しており,広さは12,799u,菊の
栽培,品種の保存と改良を行っています。
圃場内には,親木圃場,実生圃場,苗床,各種型の仕立場・定植場とガラス室(栽培
室),交配室,土小屋(培養土調整舎)などがあります。
親木圃場では,底無鉢を用いて親株を系統保存しており,現在(昭和56年)約867種
3,947株が維持されています。冬期には,苗床に親株を植え,ヨシズを張って霜害を防
ぎ,春にここから根分用・挿穂用苗を採ります。一方,実生圃場では,交配による種子
から新品種を作り出すために,実生苗を栽培し,花型や花色,開花期,草勢などの目的
に合った株を選別しています。
交配室では,交配に必要な環境を設定,維持し,新しい品種を生み出しています。土
小屋には,本苑で作られた培養土が積み上げられており,その量は約50立米です。
定植場及び仕立場では,大作り,中菊作り,懸崖土手作り・鉢作り,肥後菊,大菊一
本仕立,伊勢菊・嵯峨菊箒作り,丁字菊一六作り,大菊盆栽作り,小菊盆栽作り,小菊
玉作りが行われています。その他,上家倉庫には各花壇の上家が納められており,菊花
壇公開時に組み立てられ,菊とともに伝統的な花壇を構成します。
@苗床 1,485 u
A実生苗圃場 1,160 u
B親圃場 1,000 u
C大作定植場 292.5u
D伊勢・嵯峨・丁字・肥後仕立場 193.2u
E中菊定植場 193.2u
F懸崖定植場 201.7u
G苗仕立場 170.1u
Hガラス室 79.2u
Iガラス室 121.5u
Jガラス室 121.5u
K交配室 69.7u
L土小屋 137 u
M培養土調整室 124.2u
N菊上家倉庫 106 u
O洗場 38.9u
Pヨシズ小屋 48.6u
Q農具小屋 23 u
R倉庫 51 u
S詰所
〈七花壇一覧〉
秋11月1日から15日まで,苑内日本庭園の周囲に七つの菊花壇を造って,入苑者に公
開しています。
1 大菊・中菊大作り花壇
大菊3株,中菊2株
一本の苗から数百の花を咲かせるように栽培し,篠竹や割竹,杉小貫などで骨組を作
り,御苑独特の方法により半円形に整然と結ユイ立てたものです。
作り始め:中菊大作り 明治17年
大菊大作り 同 20年頃
2 大菊手綱植花壇
大菊380株,40列,40品種
大菊の厚物と厚走りの品種を一本仕立とし,黄・白・紅の順序に一列一品種で植付け,
その配色が昔の駒の手綱に似ているところから手綱植と呼びます。御苑独自の方法です。
作り始め:明治17年頃
3 一文字・細管菊手綱植花壇
細管菊119株,一文字菊118株,27品種
大菊の細管菊と一文字菊を一本仕立として,一列一品種の手綱植えです。一文字菊は
平弁の一重咲,弁が巾広く長いです。細管菊は細く長く雄大な花容を持つ御苑の作出種
を用いています。
作り始め:大正14年(大菊一文字菊手綱植花壇は明治39年,大菊細管菊手綱植花壇は
明治42年から)
4 中菊篠作り花壇
中菊32株,1株27輪
圃場で栽培した中菊を花壇に「互の目」に植込み,篠竹を使って結立し,前植,中植,
後植の高低の差をつけた三段で構成します。花は一度開いた後,花弁が狂う江戸菊を用
います。
作り始め:明治11年
5 肥後菊花壇
肥後菊35株
肥後菊は熊本地方で発達し,一重で平弁と管弁があります。仕立方は長い歴史を持つ
秀島流をもとに,御苑の花壇に調和するように植付けました。
作り始め:昭和5年
6 懸崖作り花壇
小菊31鉢
栽培は土手状に定植場を築き,これに植付ける土手作りです。
小菊の一重咲きを岩間から垂れ下がって咲いているように仕立て,これを野趣に富む
古木の花台の上に配色よく配列します。
作り始め:大正4年
7 伊勢菊・嵯峨菊・丁字菊混植花壇
伊勢菊41株,嵯峨菊41株,丁字菊20株
伊勢菊と嵯峨菊は七輪付の箒作り,丁字菊は一株を心一本,周囲六本とした一六作で,
それぞれを一つの花壇に混植としました。
この混植の形態は昭和30年から行われています。
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