35a 盆栽と宮殿(史)
 
〈盆栽と宮殿〉
 
 皇居の新春には,皇室の古い仕来りに則り,盆栽の「春飾り」が奧宮殿の正月を飾り
ました。こうした仕来りは古くから皇室に伝えられたもので,既に孝明天皇の頃には年
末行事として「春飾り」の準備がありました。貞明皇后は盆栽がお好きであり,この「
春飾り」の正月らしい雰囲気を殊の外お好みになったとも云われています。
 「紅白梅」と云って紅白対の盆栽に,日の出蕪カブ(赤蕪のこと),ふきのとう,福寿
草,南天,春蘭を,伊万里の錦手ニシキデの鉢に下植えし,那智黒の玉石を敷き詰めて「春
飾り」は出来上がります。
 暮の30日には「大祓」と云って,1年の穢を祓った御幣ゴヘイを,神主のような装束を
した侍従が品川の沖に流す年末の行事もあります。
 政府高官も30日頃には年末の挨拶に参内しますので,それを済ませた大晦日の午後4
時過ぎ,両陛下を始め,皇太后,皇太子,各宮様のお居間には,一斉に正月の「春飾り
」が置かれることになります。
 明治以来のこうした仕来りの中には,何時か取り止められたものもあります。
 
 今は春飾りとして「松竹梅」の寄植が,昔通り大道盆栽仕立場において立派なものが
作られています。
 盆栽置場の一角に,1m70〜80pから2mはある紅梅,白梅の盆栽がずらりと数多く並
び,ほうおう竹,ひめくま笹,ちご笹,ほうび竹と云った笹の種類も,これは培養鉢に
入って育てられています。12月を迎える5〜6日になりますと,未だ蕾も固く小さい梅
は室ムロに入れられて,春を迎える準備に入るのです。毎年この春飾りを作る仕立場の専
門職員の手で,暮の28日のご用終いまでには約40鉢の「松竹梅」寄植が完成されます。
吹上御所を始め,宮殿,各宮家にもお届けして,大道盆栽仕立場は新春を迎えることに
なります。
 
 今,皇居の盆栽のうち,何時も使用されているものは全体の約半分の300鉢程になりま
すが,両陛下のお住居の吹上御所では1週間に1回ずつ盆栽をお取り替えになります。
お住居に5鉢,玄関や階段の踊り場に置かれているものが7鉢あり,次々と季節の盆栽
をご覧に入れるようにと係の人達は計画しています。
 新宮殿の表後座所には比較的小振りの盆栽が四季を飾り,宮殿の車寄せには石敷きの
エントランスホールがあり,此処には皇居独特の大盆栽がその時々に合わせて置かれま
す。
 参殿者は思わずこれに目を見張りますが,大盆栽の風格,気品,年輪の重々しさと,
石敷きの周辺の環境とが一つに融け合ってた調和を,車寄せの第一歩で味わうのは,参
殿者にとって皇居への新鮮な感動となりましょう。
 
 現在の新宮殿の工事に着工したのは昭和39年6月末でした。4年4ケ月の歳月を費や
して進められた工事は,同43年10月に完成し,その年の11月13日に落成式が挙行されま
した。新宮殿は鉄筋コンクリート建で,屋根はコンクリート陸屋根ロクヤネの上に鉄骨の小
屋組みをして銅葺きになっています。建築面積は12,949u,延床面積22,949uと云う壮
大さです。内装は全て国産銘木による美しい木肌を見せたもので,塗装はしていません。
床は正殿を除いて絨毯を敷き詰め,壁面は大体において無地に近い文様織出しの裂キレ張
りです。建具は横桟の舞良マイラ形式を盛った紙の明障子アカリショウジです。建物の外周は大ガ
ラスなので,外光は十分に取り入れられています。
 新宮殿造営の構想が,合理性,機能性,簡潔性の三つを主眼にした現代の理念で貫か
れたものであり,宮殿と云うものに伴い勝ちな装飾的要素は最小限に押さえたものです。
 
 明治宮殿の内部とは本質的に違う新宮殿の場合,盆栽を装飾として生かす場は減少し
ています。豪華で多彩な明治宮殿の空間では,盆栽の単純,明快な色と姿が一際浮き立
って素晴らしい調和を見せました。それも今は,新宮殿の持つ現代建築の粋とも云える
構造美の世界に変わりました。皇居の盆栽が,旧宮殿の頃と同じようにその装飾的役割
を大きく考えますと,新宮殿には盆栽の背景として調和,融合出来る部分は大変少ない。
しかし,皇居の盆栽の真価は,その装飾的効果にある訳ではありません。長い歴史の変
転を潜り,戦争の洗礼にも耐え抜いた鉢の中の植物の生命が,平和と共に花開いた,雄
々しく厳しい気品にこそその真価を見るのです。皇居の盆栽が皇室や皇居に直結するも
のと云う意味を離れても,その特殊性の貴重さに変わりはないのです。
 
 恐らく諸大名は座右に盆栽を置いて楽しんだに違いありませんが,そうした盆栽で今
はっきりした形で残っているのは,皇居にある「三代将軍遺愛の松」位のものです。こ
れも,偶々タマタマ盆栽を広く趣味とした明治大正の政治家伊東己代治氏の手に入ったもの
が献上されたことで,今日名品としてその立派な姿を留めている訳です。
 有名な東海道原宿植松家の盆栽にしても,植松家の衰退で離散したまま,その後の盆
栽の消息を知る人は居ません。
 
 盆栽の寿命は,適切な管理によって半ば永遠のように,500年,1000年とその長さは驚
異でさえあります。ですが,それだけの年月を生き続けるには,周囲にどれ程か多くの
人々が長い歳月の日々に登場し,深い愛情を尽くしての培養が続けられたことでしょう。
皇居の盆栽の今日の姿は,ある意味では日本人の歴史の凝結した一齣コマとも考えられま
す。これだけ数多くのものを,自然の気象条件からも,また物理的なあらゆる障害も乗
り越えて,力強く生命の限り生き続けて来た姿は,ほかでは絶対に見られないものです。
 
 盆栽は敏感な反応で人の心に応えるものであると云うことを,一度でも心篭めた培養
の経験を持つ人ならば分かることです。
 皇居の盆栽は,かつて明治宮殿に繰り広げられた西欧風の華麗な晩餐会に,内外の貴
賓等の目を奪い,感嘆させたときの多くの賛辞よりも,第二次世界大戦の最中に,炎上
する皇居の火の粉を浴びつつ,水を掛けては守り抜いてくれた園丁等の心に,精一杯の
反応を示そうと生き続けて来たのかも知れません。
 新宮殿の装飾に盆栽の場が減っても,皇居の盆栽そのものは,それを愛する多くの人
々と共に,其処に存在することだけで十分意義を感じているに違いありません。
 最近では,一般の盆栽への認識もわが国の伝統文化と受け取られ,創造芸術としても
その価値を高く評価されるようになりました。その頂点にあってわが国の盆栽の真価を
象徴しているのが,皇居の盆栽なのです。

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