07 松のこと
参考:吉川弘文館発行「古事類苑」
『大和本草ヤマトホンゾウ』とは、本草学の対象
となる和漢の本草1362種を収録・分類し、解
説した書で、貝原益軒著、1709・1715年刊行。
「マツタケ」については、[01/33森の中の
可愛いコビト軍団]を参照して下さい。SYSOP
「松」について、『大和本草ヤマトホンゾウ』では次のように紹介しています。
マツは、タモツの意の上略なり、モトマと通ず、久く寿を保つ木なり。
史記亀策伝ふ、「松柏、為百木長、而守門閭モンリョ(村里の入口門)」。
松にも雌雄あり。
雌松は其の葉美なり、葉小く木皮赤し。
茯苓ブクリョウは雄松より生じ、松蕈マツタケは雌松より生ず。
西州には雄松多き故、茯苓多し、雌松少き故に松蕈まれなり。
畿内には雌松多く、雄松少き故に、松蕈多く、茯苓少しと云ふ。
また合璧事類に、「松に二針三針五針あり」と云ふ。
名山記云ふ、「松有両鬣リョウ三鬣五鬣」。
是皆其の葉の数を云へり。本邦にも五鬣松あり、五葉の松なり、葉小にして短し。また
三鬣松あり。
肥松は油松と云ふ、常の松の肥たるなり、よく燃ゆ、牙杖とすれば歯堅くして不動、歯
の薬なりと俗に云へり。
貧民これを焼きて燭とし、また夜作に用ゆ。民用に、利あり、油多きは石より重し。
松を栽るに正月を用。大なる根を切り、四傍の小根を留め、根土を不破して、其のまゝ
移し植れば無不活。
高さ一二丈と云へども、如此すればよく活く。
根土を破れば小木も枯る。此の栽法種樹書に見えたり。
今試みに如此、史記に「秦始皇、上泰山、風雨暴至、休于樹下、遂封其樹、為五大夫、
史初、不言何樹、応劭始言、為松」、始皇、松に大夫の官を贈られし事、本邦の俗、松
の名誉のやうに云へど、左にはあらず。
秦皇は悪王なれば、松のために不足為栄、却て辱とすべし。
李誠之が松の詩にも、「一事頗為清節累、秦時曽受大夫官、梁書陶弘景色、特愛松風、
庭院皆植松、毎聞其響、欣然為楽」。
程子曰ふ、「雑書、松脂入地、千年為茯苓、万年為琥珀、之の説有り。以て塗棺。古人
已有用之者」。
篤信曰ふ、「本草に此の説なし、故にこゝに記す」、
食物本草註曰ふ、「松花一名松黄、味甘温、無毒、潤心肺、益気、除風、止血、また可
醸酒、払取酒服」、また曰ふ「和白沙糖米粉、作羔(食偏+羔)コナモチ、尤佳也」。
綱目にも此事を云へり、「久しく不堪と云へり、若緑の黄花なり、国俗にも松餅を作
る」。
ソナレ松、藻塩草曰ふ、「生傾たる也、またひねたる松を云ふとも云へり」。
愚謂、磯に慣れて久しき松なるべし、イソナレ松なり。
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