08 発酵の力で心身豊かに〈アジアに広がる熟鮓文化〉
 
                     参考:NHK人間講座「発酵は力なり」
 
〈アジアに広がる熟鮓ナレズシ文化〉
 
△熟鮓の起源
 熟鮓については、わが国では滋賀県の鮒鮓や、和歌山県の秋刀魚の熟鮓などが有名で
す。
 中国では紀元前4世紀から3世紀、周から漢の時代にかけて熟鮓が生まれたと云われ
ていて、中国で最も古い辞書『爾雅ジガ』には、「鮓サ」は魚の塩蔵品、「鮨シ」は魚の
塩辛、「醢カイ」は肉の塩辛と説明されています。その材料には、鯉や鯰ナマズなどの川魚
や鹿、兎、野鳥などが使われていたとされ、要するに魚や肉の漬物が「すし」と云われ
るものの原型と云うことになります。
 熟鮓は、わが国へは、弥生時代初期には稲作の伝播と共に伝えられたとの説が大方の
見方です。
 伝来ルートは、一つは中国大陸からの直接経路ルート、もう一つは中国雲南省南部からメ
コン川(中国名瀾滄ランツァン江)を下り、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムをメコン川
沿いに伝わって、南シナ海経由であると考えられます。
 これらの地域には多種多様な熟鮓があり、魚の熟鮓のほか、肉の熟鮓が3割も占めて
いるように思われます。
 
 前述の滋賀県の鮒鮓、福井・富山県の鯖の熟鮓、秋田の鰰ハタハタ鮓、金沢のブリとカブを
使った蕪カブラ鮓など、主に日本海沿岸に多く根付いていることは特筆すべきことです。
その理由の一つは、熟鮓は大陸から日本海を渡って来たためです。もう一つは、日本海
側では冬は海が荒れて魚が捕れないので、そのため保存方法が必要になったのです。
 なお、熟鮓文化は日本海側だけでなく、和歌山県(前述)や、沖縄を除く全国各地に
もあったとの調査報告があります。
 
△熟鮓の作り方
 鮒鮓の例では、4〜6月頃の産卵直前の煮頃鮒ニゴロブナをよく洗って鱗を除き、鰓エラを
取ってから、鰓のある部位トコロから上手に千枚通しを差し入れて、卵巣はそのままに、そ
れ以外の内臓を千枚通しに引っ掛けて全部抜き出します。次にその腹の中に塩を詰めて、
その鮒を桶に入れて塩を振り、そのようにして鮒を順次重ねて行き、一番上に塩を載せ
て落とし蓋をします。水が上がって来たら重石を更に掛け、7月の土用付近までこのよ
うに塩漬けして置きます。
 土用を過ぎたら本漬けします。即ち水で鮒の塩抜きしてから、硬めに炊いたご飯と鮒
を交互に重ね、内蓋をして更に重石を載せて1日置きます。
 次にこの鮒鮓が空気に触れないように桶に塩水を張ります。これは酸化を防ぎ、乳酸
菌の発酵を促すためです。
 この後はじっくりと発酵させ、正月頃には食べられます。付着しているご飯を削ぎ落
として薄切りにし、ご飯のお数や酒の肴、吸物やお茶漬けにして戴きます。
 
△熟鮓の保健的機能
 日本一の熟鮓村である滋賀県朽木村クツキムラのある家の熟鮓は、ゴルゴンゾーラと云うイ
タリアの有名なチーズの風味によく似ており、またある家の熟鮓は、イギリスのスチル
トンと云う臭くて有名なチーズと瓜二つの香味をしています。つまりチーズも熟鮓も優
れた乳酸菌の食品と云うことになります。
 
△熟鮓から生まれた魚醤と塩辛
 秋田県の塩魚汁ショッツルは主に鰰ハタハタを、石川・富山県の魚汁イシルはイカの内蔵を、香川・
岡山県の玉筋魚イカナゴ醤油はイカナゴ(コウナゴ)をそれぞれ塩漬けにした魚醤です。
 昔中国では、大豆から作る調味料や、肉又は魚の塩辛を総称して「醤ジャン」と呼んで
いましたが、その後大豆や麦、魚介類を塩と一緒に漬けて発酵させたものが「醤」、そ
れを搾ったものが「醤油ジャンユー」と分けられました。今では小魚の魚醤を「魚醤ユージャン
」、小海老の魚醤を「蝦醤シアジャン」と云います。
 ベトナムでは「ニョクマム」、タイでは「ナム・プラー」、ラオスでは「ナム・パー」、
カンボジアは「マム」や「プラ・ホック」、ミャンマーでは「ガピ・ガゥン」と云う魚醤
があります。
 
 北海道の名物「メフン」は、鮭の腎臓の塩辛です。『本朝食鑑』と云う江戸時代中期
の文献には、「背腸、セワタと訓す、ミナワタとも訓す。丹後、信濃、越中、越後とも
にこれを貢す。今のシオカラにして味もまた佳なり」と記載されています。鮭の背骨の
内側には、凝固した血液のような腎臓(メフン)が付いていて、これを薄い塩水で洗っ
てから、メフンの重量の30%程の塩水で塩漬けにして30時間ほど置きます。浸出液が流
れ出して固まって来たメフンを今度は陰干しして、蓋のある桶に密封して2週間程発酵
させれば、美味しいメフンの出来上がりです。
 
△北極の発酵食品「キビヤック」
 カナディアン・イヌイットの食べるキビヤックも発酵食品です。夏に北極地方には、ム
クドリ位の大きさのアパリアスという海燕が沢山飛来します。5月末から8月末頃、蚊
が沢山発生し、その蚊を食べにアパリアスがやって来るのです。霞網や散弾銃で捕った
アパリアスを、肉や内蔵、皮下脂肪を取ったアザラシの腹中に詰め込むのです。アザラ
シ1頭に60〜70羽を羽根付きのまま詰め、釣り糸で縫い合わせます。
 地面に大きな穴を開けて、その中にこのアザラシを埋めて土を掛け、オオカミやシロ
クマから守るために大きな重石を幾つも載せます。地中のアザラシは密封されて乳酸菌
が発酵し、それを2,3年置きます。
 
 食べ方は、アパリアスの羽根をむしり、肛門に口を付けて、中のドロドロの体液を吸
い出すのです。これが海燕の塩辛「キビヤック」で、多量のギンナンにくさやの漬け汁
を掛けたような、強烈な臭みです。
 またキビヤックは、肉を焼いたり煮たりしたときの調味料として用いますが、生食の
ときは用いません。肉を加熱するとビタミンは半分位失われるので、それを補うために
キビヤックを用います。
 元々イヌイットは生肉を食べて来た民族ですが、毛皮の交易が行われるようになると、
しばしば肉を加熱して食べるようになったので、キビヤックが必要となったのです。
 なお、冒険家の植村直巳さんも、キビヤックは好物であったと云われます。
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