07a 海を渡ってきたお菓子「饅頭と羊羹」
〈初めは蒸羊羹から〉
羊羹ヨウカンは,饅頭と同じく鎌倉末期から室町時代に中国から伝来したものでした。初
めは点心の一つとして伝えられました。「羊」はヒツジ,「羹」はあつものを意味しま
す。羹は元々動物の肉を多めの汁に入れて煮たもので,味噌や塩で味付けしていたよう
ですが,わが国に伝わって以来,禅宗の下で肉の代わりに赤小豆,山の芋,葛粉,小麦
粉,砂糖など,植物性のものを合わせるようになりました。それを捏コね,蒸して練物
ネリモノ細工のようにして作ったのではないかと云われています。
中国から伝えられたこれら羹類が,どのように作られたかは正確には分かりませんが,
多くは動物の形からきた名称であったろうと思われます。
羹の中には鼈羹ベッカン,海老羹エビカン,猪羹チョカン,魚羹ギョカン,竹葉羹チクヨウカンなどがあり
ましたが,その食べ方は例えば鼈羹は「あし、て、尾、くびをのこして甲コウラより食う
」,海老羹は「ひげをのこし」,竹葉羹は「新葉をのこして枯葉を食う」などと書かれ
ていることから,動植物に見立てたものを作って食していたようです。
これらは次第に禅僧から武家の間にも広まり,饗応や儀式にも用いられ,やがて茶道
が始まる時代になりますと,汁に入れずに蒸し物のまま供されるようになったと思われ
ます。これが茶菓子として用いられる始まりで,実に素朴な作りでした。つまり,羊羹
の始まりは蒸菓子で,この時代は長く続きました。
室町時代の頃の羊羹は日持ちがよくなく,茶菓子とする程ではありませんでした。や
がて砂糖を混ぜて作るものが出てきますが,当時砂糖は輸入品で貴重であったため,砂
糖を入れた羊羹は特に「砂糖羊羹」と云っていました。砂糖は,初めは敷砂糖として用
いられる程度でした。元禄時代(1688〜1704)の頃になりますと,菓子もいろいろ作ら
れるようになり,砂糖も出回って来て菓子らしい形を表して来ます。しかしそれまでは,
一般的には甘味は代用甘味を使うしかなく,あとは塩加減の味でした。
宝暦ホウレキの頃(1751〜64)になって,甘味がはっきり出せるようになりますと,蒸羊
羹も変わったものを作るようになりました。
蒸羊羹の時代は未だ一般的な菓子とは云えませんでしたが,次の煉ネリ羊羹の時代にな
って,献上菓子ばかりでなく庶民の菓子としても作られるようになり,現在の羊羹に繋
がって行くのです。
当時の形や包み方については正確な記録が少ないのですが,江戸時代の『和漢三才図
会』には竹皮に包んだ絵が載っています。
〈煉羊羹の誕生〉
その後,寒天が製造されるようになって,羊羹は大きく変わって行きます。寒天を入
れて練り上げる「煉羊羹」が現れたのです。
寒天が作り出されるきっかけとなったのは,古くから食べられていた心太トコロテンでし
た。これには逸話が一つ残されていのす。
万治マンジ年間(1658〜61)の冬,薩摩藩主島津光久が山城国伏見に宿泊したとき,食
膳に供せられた心太の余りを放って置いたところ,数日してそれが乾燥しているのに気
付きました。冬の寒さに心太が凍り,それが解凍されて又凍ると云うことが繰り返され
たのでしょう。心太が寒天となったのでした。
寒天とは寒晒カンザラシ心太の略称ですが,隠元禅師が「寒天」と名付けたのであると云
われています。
煉羊羹は,寒天が考案されて直ぐに作られた訳ではなく,寛政カンセイ年間(1789〜1801
)に入ってから登場して来るのです。
『蜘蛛の糸巻』(1846年頃)に拠りますと,寛政の初め江戸日本橋で喜太郎と云う人
物が初めて煉羊羹を作って売ったとあります。それは「喜太郎羊羹」と呼ばれ,「重箱
を持たせて買いにやっても今日は売り切れというので、賞味するために招いた客を帰す
」と云う程大好評であったようです。『嬉遊笑覧』(1830)には,紅谷志津麿が作り始
めたものであるとあります。
やがて江戸においては,鈴木越後,金沢丹後,船橋屋織江など,高級煉羊羹を売る店
が現れて,大いに繁盛しました。
現在でも寒天を用いた煉羊羹が羊羹の主流となっていますが,実はそんなに古いもの
ではないのです。
当時の煉羊羹の値段は,従来の蒸羊羹に比べて2倍の額でしたから,高級品として珍
重されたのも当然です。蒸羊羹のことを「煉羊羹より下品なり。価およそ半ナカバなり」
と言い切っている記録もあります。
羊羹を数えるときの単位は「棹サオ」を使いますが,当時は縦36p,横18p,深さ3p
の銅の容器に羊羹を流し入れていました。これを槽フネと呼んでいました。槽に固まった
羊羹を取り出して切った訳ですが,この一本を棹と称して売ったのです。これは船橋屋
の創製であると云われています。
船橋屋織江が『菓子話船橋』の中において「一日に煉羊羹のみ八百棹,千棹の商あり
しも、手製の煉羊羹、中興権興の功によるものなし」と自慢する程,江戸の羊羹はよく
売れたようです。
その後,人気と共に創意が凝らされ,いろいろな種類や名称のものが現れました。
伏見の駿河屋,大坂の鶴屋八幡の煉羊羹も高級品として知られ,また信州小布施オブセ
の栗羊羹などは独特の風味で喜ばれ,現在も賞味されています。また東京の虎屋の煉羊
羹は,今では煉羊羹を代表する一つであり,海外でも知られています。
〈羊羹いろいろ〉
江戸末期に完成された煉羊羹の流れを汲むものを始めとして,今では羊羹と名の付くも
のは数え切れない程あります。茲に幾つかを挙げてみましょう。()内は特に有名な地
方です。
○栗羊羹 小豆の煉羊羹の中に,蜜漬けの栗を入れたものと,栗の実だけを煉って作る
ものとがあります(長野県)。
○柚羊羹 白小豆漉粉に蜜漬けの柚を切って入れたもので,香りが良い。
○柿羊羹 柿の実を入れて煉ったもので,柿の甘さがよく出ます(岐阜県)。
○林檎羊羹 林檎リンゴの酸味を生かしたものです(青森県)。
○花梨羊羹 花梨カリンを入れたものです。
○梅羊羹(茨城県)
○ゆのみ羊羹 ハスカップの実を入れたものです(北海道)。
○茶羊羹
○胡麻羊羹
○芋羊羹 薩摩芋を裏漉しして入れます(東京都)。
○百合羊羹 蜜漬けの百合根を入れます。
○昆布羊羹
○その他 ワイン羊羹,胡桃羊羹,薄荷ハッカ羊羹など,珍しいもの,懐かしいものが沢山
作られています。
旅先でまず目に付く菓子と云いますと,饅頭と羊羹と云っても決して云い過ぎではあ
りません。また和菓子と聞いたとき,直ぐに羊羹の数々を思い浮かべる人も多いでしょ
う。
羊羹の素材,種類は,これからも増えて行くことでしょう。その土地の産物を生かし
たり,伝統の味を受け継いだりしながら,羊羹は各地の名物菓子として,或いは水羊羹
に代表されるような季節菓子として,益々生活に溶け込んで行くようです。一方,贈答
用や引出物など,一寸余所行きの顔を持った高級菓子として欠かせないのも羊羹なので
す。
和菓子はその殆どが植物性の素材が用いられていますが,その典型である羊羹が元を
辿れば羊の汁物とは意外なことです。茲に食文化の不思議さがあり,今後の発展と広が
りも予感させます。
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