02b 和菓子の楽しみ方「四季の移ろいを彩る菓子」
 
△五月 立夏
 菖蒲饅アヤメマン
 五月の節句に用いる菖蒲ショウブは,あやめとは全く別の植物です。しかし古くは菖蒲を
アヤメグサ,あやめをハナアヤメと呼び,「菖蒲」と書いて「あやめ」と読ませたため,
混同が生じたようです。菖蒲饅も,昔に倣って「あやめまん」と読ませています。
 
 粽チマキ
 子供の成長を願う五月五日の端午の節句,この日は鯉幟コイノボリ,菖蒲湯と共に忘れて
はならないのが「粽」と「柏餅カシワモチ」でしょう。どちらも節句に欠かせない菓子ですが
関西地方では粽,関東地方では柏餅がより親しまれているようです。
 粽の歴史は古く,中国の戦国時代に遡ります。紀元前3世紀,楚国の賢人屈原クツゲンは
王の乱行を戒めますが聞き入れられず,失意のうちに汨羅ベキラの淵に身を投げました。
哀れんだ里人等は,命日の五月五日に竹筒の米を入れて供物としますが,淵に棲む蛟竜
が盗むので,厄除けの楝オウチ(栴檀センダンの古名)の葉で包み,五色の糸で巻きました。
これが粽の始まりと云われます。
 粽はわが国には平安時代には伝わっており,宮中での端午の行事に使われた記録があ
ります。当時は米を菰コモや菖蒲の葉で包み,蒸していましたが,現在では笹の葉で,羊
羹や外郎ウイロウ,葛などを巻き,様々な粽が作られています。
 
 柏餅
 一方,柏餅が現れるのは大分時代が下がり,江戸時代のことです。柏の葉は新芽が出
るまで落ちないため,家系が絶えないと云う縁起が好まれ,武家を中心に節句菓子とし
て広まったと云われています。
 江戸時代には節句になりますと家で作った柏餅を近所や親戚などに配る風習がありま
した。
 
△同 更衣
 八重山吹ヤエヤマブキ
 晩春から初夏にかけて咲きほころぶ山吹の花は,万葉時代から人々に愛され,歌にも
よく詠まれて来ました。花の色は「山吹色」の名が付く程鮮やかです。
 
 七重八重花は咲けども山吹の 実のひとつだになきぞかなしき
                           『御拾遺和歌集』兼明親王
 
 この歌は,後に太田道潅と八重山吹の故事により有名になりました。
 
 青楓アオカエデ
 唐の太宗の詩に「薫風南より来たり、殿閣微涼を生ず」と云う一節があります。青葉
を揺るがし,匂うように吹き渡る風は見た目にも清々しいものです。菓子の青楓は,そ
の薫るような風景を菓子に見立てたもので,青楓の図柄を型で押したねりきりです。
 ねりきりとは,餡の繋ぎに関西地方では小麦粉,関東地方では寒梅粉を入れて蒸し,
これを搗き混ぜたものです。関西地方では搗き混ぜることをこなすと云いますので,こ
れを「こなし」とも云います。
 繋ぎが関東と関西で異なるのは,気温や湿度などその土地の風土に合わせたものが用
いられて来たからで,それが菓子の伝統を創って来たものと思われます。
 
△六月 麦秋
 鏡草カガミグサ
 明けがたははづかしげなる朝貌アサガホの 鏡草にも見えてけるかな『蔵玉集』
 
 朝顔は古く「秋の鏡草」とも呼ばれ,その風情が歌にも詠まれました。
 ほんのりと紅餡が透ける様は,夏の朝に見事に開いた一輪の朝顔を想わせ,瑞々しさ
が涼を呼びます。
 
 深山躑躅ミヤマツツジ
 晩春の頃,深山にひっそりと咲く躑躅を菓子に表したもので,心の奥まで静けさが染
みているようです。滲みる緑の中に鮮やかな躑躅の紅が美しい対照を見せています。
 
 紅涼水コウリョウスイ
 紅色の葛生地で,白餡を包んだ清涼感溢れる菓子です。朝日を受けて涼しげに流れる
水や,夕日に照らし出される草葉の滴を想わせ,一時夏の蒸し暑さを忘れさせてくれる
ようです。
 
 水のおもにしづく花の色さやかにも きみがみかげのおもほゆるかな
                             『古今和歌集』小野篁
 
△同 夏至
 嘉祥菓子カジョウガシ
 現在,六月十六日は「和菓子の日」とされますが,これは陰暦六月十六日に餅や菓子
を食べ,災いを除ける嘉祥の祝いがあったことに因んでいます。嘉祥の祝いの紀元や由
来は諸説ありますが,江戸時代の図説百科事典『和漢三才図会』(1712)では,朝廷に
白亀が献上されたことを祝い,六月十六日に嘉祥と改元(848)し,仁明天皇が群臣に十
六に因んだ食物を賜ったことに始まると記しています。
 嘉祥の儀が宮中や武家の間において盛大に行われ,民間にも浸透するようになったの
は,室町から江戸時代にかけてのことです。特に武家においては当時流通した宋銭の嘉
祥通宝の「嘉通」が「勝」に通じることから,嘉祥通宝十六枚で菓子を求めたり,主君
から家臣に嘉祥米が下賜され,これを菓子と交換することが行われました。また民間で
も十六に因んだ個数,或いは16文に相当する菓子や餅を供え,食べる風習が広まりまし
た。
 一方,江戸時代末期の宮中においては,親王摂関家以下諸家へのお祝いとして,玄米
1升6合が下賜され,それを七種の菓子に換えることが行われました。この七種とは,
一六の十を一に換え六を足して七としたものです。
 宮中に納められる嘉祥菓子は,桔梗餅,源氏幡マセ(草冠+幡),伊賀餅,武蔵野,豊
岡の里,浅路飴,味噌松風(以上虎屋による)と云います。
 
△同 半夏生
 紫陽花アジサイ
 あぢさゐのかくまで藍を深めしよ 安住敦
 梅雨空の下,艶やかに咲き誇る紫陽花は,六月の季節を代表する花と云えるでしょう。
 一般には黄身餡を葛で包んで瑞々しい葉に載せ,移ろい行く花の色の変化を道明寺乾
飯ホシイイで濃淡を付けた,如何にも涼しげな菓子です。
 
 沢辺の蛍
 もの思へば沢の蛍もわが身より あくがれ出づる魂かとぞ見る『後拾遺集』和泉式部
 
川縁カワベリに仄かに明るい神秘の光を宿す蛍に,心ときめいた思い出のある人は少なくな
いでしょう。菓子では,きんとんに琥珀糖を配して蛍の飛び交う情景を表しています。
夢幻の光がたゆたうような風情ある意匠です。
 
 水無月ミナヅキ
 外郎ウイロウに小豆を散らし,三角に切ったもので,夏越ナゴシの祓いや氷室ヒムロの節会に関
連のある菓子です。
 水無月の晦日(六月三十日)に一年の罪や穢ケガレを祓い,残る半年の無病息災を祈る
夏越しの祓いが行われ,その時に縁起菓子として食べたものでした。小豆は魔除けの力
があると信じられ,この日に水無月を食べる風習は今でも関西地方に残っています。
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