03a 天麩羅「味」の科学
 
〈揚げ油の酸化と香りの劣化〉
 油は空気に触れていなければ比較的安定で,酸化などの化学変化を起こしにくいが,
天麩羅の状態になりますと,油は天麩羅の表面に薄く拡がり,空気に触れる面積が大と
なります。因みに揚げ油は,空気に触れる面積が2倍,3倍になりますと,傷む速度は
その二乗に比例して4倍,9倍になります。
 オレイン酸のような酸化しにくい脂肪酸が主流のオリーブ油で揚げた場合は,可成りの時間,
風味の変化を防止出来ます。しかし一般に,天麩羅には酸化しやすい脂肪酸が多いので,
酸化による油の変化は防止しにくい現状です。
 油は酸化しますと,ペンキのような臭いが発生します。この臭いの出る油で揚げますと,
天麩羅の魅力ある香りは消え,粘性が高まって食べたときに油が口内にまとわり付く感
じになります。粘性のメカニズムは未だ解明されていませんが,おそらく酸化した脂肪酸が
お互いに化学的に結合し,大きな分子になるためと考えられます。また劣化した油で揚
げたとき,細かい泡が立って,なかなか消えないのは粘性が強いためです。
 
〈油と天麩羅の揚げ音の関係〉
 天麩羅を揚げるときの音は,衣や材料に含まれている水蒸気が油の中から出てくると
きに出る音です。
 衣や材料は油の中で熱せられますと,含まれている水分が水蒸気となります。油は水
よりも可成り粘性が高いので,出来た水蒸気には,周囲の油により相当の圧力がかかっ
ています。水蒸気が泡となって油の表面から出てくるときには,急激に圧力が下がるの
で,水蒸気の小さい爆発が起こり,これが揚げるときのパチパチと云う音として聞こえる
のです。
 この場合,水蒸気の出方が多いとき程爆ハぜる音が大きく,また激しくなります。ま
た,材料の水分と油の温度差が大きい程激しく爆ぜます。つまり天種を油に入れて,い
きなり大きな音がするのは,油の温度が高過ぎる場合が多い。
 衣の水分はだんだん少なくなって行くので,音もだんだん小さくなります。この音の
変化で,揚げ加減が判断できるのです。
 
〈ごま油が天麩羅に向く理由〉
 ごま油がよく揚げ油に使われる理由には,二つのことが考えられます。一つは酸化し
やすいリノール酸の比率を下げて,オレイン酸の比率を高く保つことです。例えばクルトン(スープの
浮き実)を60℃の比較的高温で保存したとき,リノール酸の含有率の高いコーン油の酸化度は急
速に高くなります。ごま油ではリノール酸とオレイン酸の含有率がほぼ等しいために参加度はあ
まり進みません。フライを揚げるときオリーブ油を用いるのは,リノール酸よりオレイン酸の含有率
が高いためです。
 もう一つはごまに含まれる天然酸化防止物質の利用です。ごまのみに含有するセサモリンの
加熱によって生成されるセサモール,更にセサモリンが変化して出来るセサミノールによって酸化防止性
が高まります。
 関東系の焙煎したごま油にはセサモリンが多く含まれ,この分解温度は200℃以上ですので,
天麩羅は油臭くなりません。関西系の太白ごま油にもセサミノールが出来るので,差し油をし
ていますと,長期間使用できます。
 なお,ごまは搾油(絞る)前に焙煎しますと,特有の濃厚な酷コクと強力な良い香りが
出ます。この香りの成分の中の一つであるピラジンは食欲をそそる働きがあり,ピラジンは
蛋白質と糖類が乾燥状態のとき180℃程度に加熱されると生じます。またごま油には加熱
されると変化しやすいリノール酸などの脂肪酸も可成り含まれていますが,これも香りにプラ
スされると考えられています。
 
〈天麩羅の小麦粉と衣の役割〉
 天種の材料に付ける小麦粉は,材料の表面の余分な水分を取り去り,揚げたときに材
料と衣の間に水蒸気によって気泡が生成されるのを防ぎ,衣が剥がれるのも防止します。
 衣は,専門店においては材料や嗜好の関係から,濃厚に感じる卵の比率を大幅に低く
し,水の比率を大きく,小麦粉も出来る限り僅かな量にして,材料に衣が厚く付かない
ように工夫しています。
 また天麩羅の揚げ上がりを上手に仕上げるには,衣を作るとき小麦粉に粘りを出さな
いようにします。粘りが出ると云うことは,小麦粉を掻き混ぜ過ぎて,小麦粉の蛋白質
によってグルテンが形成されるからです。グルテンが形成されると,揚げているとき衣の水分
が油とうまく入れ替わらず,サックリと揚がりません。グルテンの形成は小麦粉や卵,水の温度
が低いと起こりにくく,また強く掻き混ぜますとグルテンは形成されます。
 
【天汁テンツユの役割】
 
〈天麩羅の味に天汁の占める役割〉
 少し臭いのある冷凍海老や,鰯イワシ,鯵アジなど癖クセのある臭いを持つ魚介を天種に使
ったときは,天汁そのものの味によってその天麩羅の味をカバーし,生臭みを消したり,
旨味ウマミをプラスしたりします。また掻き揚げのように衣の比率の高い天麩羅のときは,天
汁による味付けが必要です。
 しかし,鮮度の良い良質の材料を使った天麩羅では,その風味を活かすためには,塩
やレモンが適しているようです。と云うことは,天汁そのものは良い味をしていますが,含
まれている醤油や出汁ダシは,旨味や香りが強いので,かえって天麩羅の風味を消しかね
ないからです。
 大根卸しも天麩羅の味を低下させかねない欠点を持っています。大根は水分が大変多
いので,折角カリッと揚がった天麩羅の口当たりを無くします。また大根卸しは,旨味の高
い天汁を薄めてしまうことになります。元々大根卸しは,その辛味で天麩羅を引き立て
るために使われますが,昨今の大根には辛味が殆どありません。

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