21 滅び行く低地の湿原 参考:鹿角市発行「鹿角市史」 人里近くに小規模の、いわゆる「谷地」と呼ばれる湿原をよく見かける。このような 湿原は、山麓や沢合いの地下水の高い処や、伏流水の湧き出ているような処にあり、其 処には環境に応じた草地の発達が見られる。 これらの湿原は、その地域の採草地として利用された処が多く、常に人々の働き掛け の繰り返しが行われることによって、大型草本や木本類の侵入が抑えられてきた結果、 ミズゴケ・モウセンゴケを始めトキソウ・ミミカキグサなどの小型湿原植物群落の植生が 成立し、保たれてきた。しかし最近は、農作業の機械化が進み、家畜が姿を消し、こう した湿原も殆ど放置された状態となっている処が多く、その結果、ヨシの類やハンノキ などの侵入が著しく、次第に衰退の一途を辿タドっている。 〈大谷地〉 鹿角におけるこうした湿原の代表的なものは、草木クサギ地方に数ケ所見られる。その 一つは、大湯中通の宮ノ平から草木への途中に見られる湿原、俗称大谷地である。此処 ココは、両側のなだらかな低い丘の谷間に広がる幅20~30m、長さ200~300mの、採草地と して利用された細長い湿地帯である。此処には、昭和三十五年頃までにはミズゴケの中 に、モウセンゴケ・ミミカキグサなどの食中植物が豊富に見られ、その他、カキラン・サ ワラン・ミズトンボ・ミズギクなど多くの湿原植物を伴った低層湿原であったが、人為的 遷移の抑制がなくなった結果、現在(昭和五十年代)ではヨシやハンノキの侵入によっ て全く姿を変えてしまった。その遷移の進行が遅く一部残っていた区域も、最近ヨシや 低木類の侵入が進んでいるところから、やがて草木大谷地の多くの湿原植物は、全く姿 を消してしまうものと思われる。 〈菩提野湿原〉 菩提野ボダイノ湿原については、鈴木広司氏が「菩提野・蛇沢湿原」について、として調 査報告を発表しているので、それに基づいて概要を記す(『上津野』六月号1981)。 位置は花輪の北東部、奥羽山脈の麓に広がる菩提野扇状地の中央寄りの、雁府ガンブと 云う部落の近くにある。菩提野扇状地の伏流水の地表に湧き出た水が、その下流一帯を 浸すように流れ、其処に幅約50m、長さ70~80mの広さで湿原が成立している。 周辺は低木の侵入が著しく、ハンノキ・ヤマウルシ・レンゲツツジ・ハイイヌツゲ・ノリ ウツギなどの中高木、低木類が密生しているが、これらの木本類の侵入以前は、これら 周辺も含んだ広い湿原があったものと考えられる。また湿原内にも、ツルヨシ・ヤマウル シ・ハイイヌツゲ・レンゲツツジ・アカマツの幼木などが散生し、乾いた処にはヤマドリゼ ンマイなども見られ、遷移が進行していることをはっきり示している。それでも一帯は よく湿原としての面影を保っており、湿原内には、オオミズゴケを始め多くの湿地性草 本が繁茂しており、それらの遺体の堆積で厚く被われ、その厚さ30~50㎝にも達して、歩 くと弾力があり、ふわふわしていて場所によっては膝ヒザまで埋まる程深い処もある。い わゆる典型的な低層湿原である。[次へ進む] [バック]菩提野・蛇沢湿原 H17.11.14 湿原内に見られる主な植物として、ショウジョウバカマ・トキソウ・サワラン・ニガナ・ シロバナニガナ・ノハナショウブ・タチギボウシ・モウセンゴケ・ミズギク・カキラン・コオ ニユリ・エゾリンドウ・サワギキョウ・ミミカキグサ・ムラサキミミカキグサ・ホザキノミミ カキグサ等があり、これらの中でも特にモウセンゴケ・ミミカキグサなどの食中植物の豊 富な生育が見られるが、暖地産の食中植物とされるミミカキグサが北国のこうした湿原 に群生していることは、興味深いことでもあり、貴重な植生と考えられる。また此処に は、湿原特有の昆虫ハッチョウトンボが見られることも、この湿原の価値を高めるもの である。 こうした種類の湿原は秋田県内にも未だ多く見られ、珍しいものとは云えないが、鹿 角市の低地に見られる湿原としては、これが現在では唯一の場所であり、特にミミカキ グサ類の生育、ハッチョウトンボの生息地として、極めて貴重な湿原である。しかしこ の菩提野湿原も、放置された状態になってから可成りの年数を経ており、年々現存植生 の衰退が見られるところから、この湿原をみだりに荒らすことなく、極力大切にして行 くと共に、今後何等かの有効な保護対策が望まれる。 [関連リンク(蛇沢湿原のハッチョウトンボ)]![]()
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