08 はて,面妖なやつ〈きのこを食うきのこ〉
 
         はて,面妖なやつ〈きのこを食うきのこ〉
                                       
〈きのこを食うきのこ〉
 「キノコナカセホコリ」という変形菌がいます。名前の示すとおり,きのこに感情が
あれば,困らせて泣かせる変形菌です。泣かせるばかりではありません。最終的にはき
のこを殺し,食ってしまうのです。
 キノコナカセホコリの本体は,他の変形菌と同様,変形体と呼ばれるアメーバ状の原
形質です。黄色くて,どろどろしています。カビのように一カ所に這いつくばっていま
せん。自由に行動します。ちゃんとした口があり,食べ物を取り込みます。バクテリア
が最良のご馳走です。森の落ち葉の下や腐朽木の上を這い回り,貪欲に食い漁ります。
 普通のアメーバもバクテリアを食べて生長しますが,変形体と違う点は,ある大きさ
になりますと二つに分裂することです。1匹の親アメーバから2匹の子供ができ,人間
の体の細胞分裂と同じです。分裂してしまうため,普通のアメーバは,直径1oを超え
ることはありません。
 もう一つ,アメーバが変形体と大きく違う点は,指令室ともいうべき核が教科書どお
り,1個しかないことです。一つの細胞に一つの核が当たり前で,この点でもアメーバ
は極めて普通の細胞と同じです。
 変形体は,分裂しませんし,沢山の核を持っています。
 変形体は,単細胞のまま,どんどん大きくなります。幅が1oから1p,10pを超え
ることも珍しくありません。ごく希には1mを超え,超々巨大な”アメーバ”になりま
す。こうなりますと1個の指令室では統制がとれません。指令室は,体が大きくなるに
つれて次々に増設されます。10pほどの変形体には1千万個以上の核が含まれています。
 アメーバに似て非なる変形体は,さらに想像し難い可能性を秘めています。
 変形体は,二つに切っても四つに切っても死にません。それぞれが独立して1個の変
形体となり,1千万個の核を持つ変形体は,1千万匹のクローン変形体として生存する
能力があります。そればかりではありません。クローン変形体同士は,くっつくと融合
して1匹の変形体となり得ます。
 分身の術ばかりか合体の術も使える変形体は,最後に変身の術を使います。
 変身の術は,霧に覆われた静寂な暗闇の世界で繰り広げられます。落ち葉や倒木の上
でアメーバのように動き回っていた変形体は,成熟しますと這うことやめ,自ら10万個
以上の核を含む小塊に分かれます。小塊は,一夜のうちに,核の数だけの胞子を袋に詰
め込んだ子実体に変わります。朝,明るくなる頃には,もう変形体の姿は跡形も見られ
ません。露に濡れたキノコナカセホコリが木漏れ日を受けて輝いています。
 青味を帯びた黒っぽい子実体は,大きさが1oにも満たない,まるで虫の卵が押し合
いへし合い群生しているみたいです。
 太陽が昇るにつれて,次第に乾き,胞子を飛ばす準備を始めます。
 動から静へ,陰から陽へ,百八十度の転換を果たしたキノコナカセホコリは,日中の
風に胞子を委ね,胞子は,落下したところで新しい変形体に生まれ替わり,再び活動を
始めます。
 以上述べたキノコナカセホコリの生活は,普通の変形菌と違うところがありません。
どの変形菌もバクテリアを食って生長し,最後には子実体に変身します。
 キノコナカセホコリが他の変形菌と異なるところは,腐ったキノコの上によく見つか
ることです。どうもキノコを食っているらしいと分かったのは百年ほど昔のことです。
ハラタケやナラタケなどがよく食べられたとのことです。
 最近,ナメコの栽培産業に大被害を与えた変形菌は,このキノコナカセホコリです。
黄色い変形体は,ナメコの白い菌糸体を覆って溶かしてしまいます。菌糸体から咲いた
花であるきのこそのものにも這い上がり,食ってしまいます。食い跡がへこむので,食
われたナメコの形が崩れることになります。完全にナメコを覆った変形体は,次のター
ゲットに向かってゆっくりと移動を開始します。
 キノコナカセホコリに限らず,変形体時代の変形菌は,まったく逞タクマしく,食欲旺
盛です。カビの胞子を食べ,酵母を食べ,藻も食べます。いろいろなものを口に入れ,
食いきれないものは吐き出します。何でも覆ってしまい,向かうところ敵なしです。
 
 閑話休題。民族学者として著名な南方熊楠ミナミカタクマグス氏は,変形菌学者としても知ら
れています。氏は庭で研究中の変形体を食うナメクジを追い払うため,ネコに番をさせ
たといわれています。変形体を食う動物を調べたら面白いかもしれません。変形体は人
間の筋肉と同様のタンパク質を多量に持っていますので,動物がこれを見逃す訳があり
ません。また,変形体といえども生き物ですので,病気になるはずです。病気を調べる
ことも,変形菌を正しく知るためには大事なことです。
 ところが,子実体となった変形菌は弱いです。手足をもがれたと同然になります。敵
に抵抗することも,敵から逃げることもできません。カビに侵され,胞子の中身を吸い
尽くされます。いろいろな虫にたかられむしゃぶり食われます。
 ダニ,小さい甲虫,ナメクジ状の幼虫などが寄ってたかって食い散らし,胞子と同じ
色をしたうんこを大量に残します。累々としたうんこの山に,ここで仇討ちとばかりに
バクテリアが繁殖します。
 
 再び閑話休題。変形菌を食うダニの糞を研究した暇?人がいます。自然の不思議さを
解く鍵が見つかるかもしれないからです。ダニに食われた胞子は,どれもこれもぺちゃ
んこに潰れ,厚い胞子壁を残すのみでした。しかしながら,中身のある胞子がごく僅か
ですが見つかり,しかも生きていたのでした。エジプトの聖なる虫,スカラベは”糞こ
ろがし”とも呼ばれ,ウマの糞をボールにして転がしながら巣に運び込み,上手に加工
して,その中に卵を産みます。かえった幼虫は周りの糞を食べて大きくなります。同じ
ように,ダニのうんこの中で辛うじて生きていた変形菌は,うんこに繁殖したバクテリ
アを食べ,ぬくぬくと育つことができるというわけです。
 
 数年前の秋の初め頃,著者(萩原博光氏)は奥日光にある湯ノ湖の付近で変形菌を探
していました。しばらくして,1本のブナの倒木の上に奇妙な形をした子実体を見つけ
ました。黄色くて丸い本体は,直径が1oほどでした。その頭に1本の白い飾りを直立
させています。飾りの高さは0.3oぐらいで,先端が丸く膨らんでいます。群がり生え
ている子実体のどれもこれも,この飾りを付けていました。今までに見たことのない新
種,大発見と思って大事大事に採集し,喜び勇んで研究室に持ち帰りました。早速顕微
鏡で観察したところ,驚いたことに飾りは子実体のアクセサリーでなくて,きのこであ
りました。
 変形菌は,白いきのこに食われていたのでした。このようなきのこの逆襲もあるので
す。
 
                     参考 「キノコの不思議」光文社発行

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