12a 太古の面影探索への誘い〈化石採集〉
スミスと同じころフランスにいたジョルジュ・キュビエは,現在生きている生物の体
の造りと化石を比べながら研究する方法を築きました。
地質累重の法則と化石による地質同定の法則という二つの原理をよく理解しますと,
化石を勉強することの意も,自ずからはっきりしてくるでしょう。私たちは,例えば郷
土の地層と化石を調べることによって,大昔からの生物の遷り変わりの一班を窺うこと
ができます。さらに,ある時代のある化石生物が海に棲むものであるかというようなこ
とから,当時の郷土は海に覆われていたのだとか,あるいは大陸と陸続きであったのか
というように,郷土の生い立ちの歴史を推察するきっかけがつかめるでしょう。
また,大昔わが国がアジア大陸と陸続きだったことがあるのでしょうか? 大昔の大
陸に棲んでいた脊椎動物の化石が日本でも発見されています。実例の一つを挙げてみま
すと,今から15万年から5万年ほど前,氷河時代の氷期と氷期の間のやや暖かかった頃,
今の東京付近はナウマンゾウがのし歩いていました。ナウマンゾウの化石は,静岡県の
浜名湖,長野県の野尻湖,千葉県の印旛沼,瀬戸内海,琉球列島の宮古島など各地から
発見されています。ゾウの仲間は,海を泳いで渡ることはできませんので,陸伝いに移
住してきたはずであると考えられます。当時の琉球列島は,今のように離ればなれの島
でなく,陸地だった台湾や黄海などと陸続きの時代があって,ナウマンゾウの仲間は大
陸と日本との間を往来していたのだと考えられます。
大昔に棲んでいた生物の記録は,地層の重なりの順序と,地層に含まれている化石を
細かく調べることにより判明します。今から30億年〜20億年前の時代に,既にバクテリ
アや藍藻にようなものが存在していたことは,最近の電子顕微鏡による研究で次々に確
認されています。6億年以上昔の地層から,サンゴの祖先・ワマシの仲間・クラゲの仲
間や所属不詳の生物の化石など,無殻・無脊椎の動物化石が発見されています。5億年
ほど昔には,海中に三葉虫をはじめほとんどの無脊椎動物の祖先が現れていました。4
億年ほど昔の川や湖には,鎧兜ヨロイカブトを着けたような甲冑魚が栄えました。3億年ほ
ど前には,地球上にはシダに似た大きな林が沢山あって両生類の好んだ沼や湖が多くあ
りました。その後2億数千万年から7千万年前に至るまでの間爬虫類の全盛時代に移り
ましたが,6千万年ほど昔からあと哺乳類時代になって,現在では特に人類が繁栄して
います。
ヒマヤラ山脈のように何千メートルも高いところでも,大昔には海底だったところが
あります。ヒマヤラの中心部から北の方には,1億年以上昔の地層が分布しています。
その地層の石灰岩中から海生貝化石が発見されます。だから,あのように高いヒマヤラ
山脈も大昔にはそういう貝の棲む海底だったと考えられるのです。ヒマヤラだけでなく,
アルプス,ロッキー,アンデスなどの世界の大山脈は,みな昔の海底が盛り上がってで
きたということが分かっています。
白亜紀恐竜イグアノドンは,イギリス,ベレギー,北アフリカはおろか北極海のスピ
ッツベルゲンやオーストラリア大陸から発見されています。だが,現在はなればなれの
場所であるこれらの土地に,イグアノドンはいったいどうして分布することができたの
でしょうか? 白亜紀のはじめ頃,スピッツベルゲンは現在の位置よりもかなり南にあ
ったのでしょうか。北極の位置が現在とは違っていたのかどちらかでしょう。過去の地
質時代に大陸が移動しており極が彷サマヨっていたことが示唆されます。
以上のようにして,化石の研究からは,生命の歴史,古地理・古気候の復元,過去の
大陸の移動などについての情報が得られます。これは,私たちの社会観や人生観の基礎
としての自然観の一部を体験的に構成することになるでしょう。
ここで初歩の化石研究者,愛好家がまずぶつかるのが,化石の鑑定をどうやるかとい
うことです(略)。
ここで特に付言しておきたいことがあります。その第一は,化石を決して私財の財源
として金銭に換算した対象物としてはみないことです。昨今の日本の例でいいますと,
博物館にはしばしば例えば巨大アンモナイトが持ち込まてきます。鑑定をして意味を説
明したしたあとで彼らが発する質問は,これを売買するための鑑定書を書いてくれとい
うことです。著者はこの場合,鑑定はお断りすることにしています。
第二に,化石を骨董品と同一視しないこと,ただいたずらに採集化石の数を誇ったり,
化石の新奇を誇ったりしないことです。今から240年ほど前のことでした。ドイツのビュ
ルツブルグ大学の先生をしていたベリンガーという学者がいました。ベリンガーは,化
石にとても興味を持っていて,いろいろと集めていました。彼は掘りだした化石を見つ
めては喜んでいました。彼は得意の絶頂でした。そして自分が集めた2000個以上の採集
品のイラストを一冊の大きな本にまとめて出版しました。ところが,その本の中には本
物の化石のほかに,太陽・月・エジプトの古文書などの「化石」の図が書かれた変な本
だったのです。そのうち,なんとベリンガーと書かれた偽の化石が見つかりました。化
石マニアのベリンガー教授にも,自分がペテンにかかっていたことが分かり,さすがに
「これは大変なことをしてしまった」と気付き,全財産をはたいて自分の著書を買い戻
しては焼いてしまったという有名な話があります。これは,化石をただの宝物と同じよ
うに考えて,化石の本当の意味を理解していなかった点に過ちの元があったのです。化
石は,常にそれが発見される地層のことと一緒に考えてこそ意味があるということの教
訓でもありましょう。
第三に,化石の採集は,新奇をてらって,世間を驚かせるためにするのではないとい
うこと,いたずらに虚名を追わないという心がけが必要です。ロンドンの博物館にエオ
アントロプス・ドーソニィというラベルの付いたピルドダウン人の頭骨があります。こ
の「化石」は,1911年から1915年にかけて,イギリスのドーソンがサセックス州から発
見したものといわれ,当時の有名な人類学者ウッドワード教授により今の人類の祖先だ
と発表されました。頭骨が今の人間に似て容積が大きいのに下顎の骨は類人猿に似た奇
妙な「化石」でありました。ずっとあとに疑わしく思った学者たちが,詳しいいろんな
方法で調べた結果,これはにせ物の化石だと判明しました。オランウータンの下顎骨に
薬を塗り,人類の頭骨と対になっているように見せたというインチキでありました。人
間の名誉欲というものは恐ろしいものです。
参考 「化石鑑定のガイド」朝倉書店発行
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