23b 四季の鳥
 
【夏】
 朝に夕べに霖雨リンウが続く六月の梅雨季にはいるとアカショウビンのさえずりが,ここ
かしこの山林から聞こえてくるので,古人は水恋鳥という優雅な名でこの鳥を呼び,幾
多の和歌の対象にもなった。
 やがてうっとうしい梅雨がいつともなく終り,紺碧の夏の空に眩しく太陽が輝く七月
も半ばを過ぎると,ミズキ・コバノトネリコ・ハクウンボクなどの白いそれぞれに特徴
のある花が,山の林の梢をほのぼのとした朝もやか,棚引く白雲のように飾り立てる。
ミズキの白い繖房花サンボウカにはシロトラカミキリ・ジャコウハナカミキリなどの小甲虫
類がうごめいて蜜を吸い,育雛に忙しい小鳥たちが枝わたりしてこれらの昆虫類をつい
ばむ。山林の梢に垂れる淡紫のフジの花房にはトラフシジミがエメラルドのように美し
い緑の小卵を無数に産みつける。新湯近くの八郎ガ原の牧場では,カシワの枝でウラジ
ロミドリシジミやハヤシミドリシジミの蛹サナギから美しい蝶が羽化し始めて梢近くを活
発に舞う。やがてミズナラやコナラなどからジョウザンミドリシジミ・ウスイロオナガ
シジミ・ムモンアカシジミ・ダイセンシジミ・ミズイロオナガシジミなどが続々と羽化
し始める。
 新湯付近はこの種の蝶が多いところで,ミドリシジミ・メスアカミドリシジミ・アイ
ノミドリシジミ・ウラキンシジミ・カラスシジミなども多い。
 晩春まで盛んだった野鳥の歌声もしだいにとだえ勝ちとなり,多くの小鳥たちは育雛
に余念ない。野鳥たちはこの豊富な昆虫類をとってそのヒナを養い続ける。
 野山が紫紺にけぶる黄昏タソガレどき,源三窟あたりの鍾乳洞の奥深くからは,キクガシ
ラコウモリやコキクガシラコウモリがたくさんに舞い出て夕空をぬって乱舞し,夜の昆
虫類をとらえるが,夜も八時ごろになると何所ともなく姿を消してしまう。やがて夜毎
に渓谷をわたって鳴くホトトギスのテッペンカケタカの声とジュウイチの激しい叫び声
とが聞こえる。夜がふけるにつれて温泉街の街灯には数々の美しい蛾が光を中心にして
初夏の夜のワルツを踊り続ける。
 近くの軒端の下には夕暮れどきに新しく網を張り終えたオニグモがひそんでいて,網
に可憐な蛾の踊子たちがかかるとたちまち現れてその体液を吸ってしまう。ここにも生
物界の弱肉強食の一例がまざまざと見せられる。
 奥塩原の高原山(1500〜1800m)一帯の山地はなおも春浅く,山の中腹の枯木沼の湿原
を囲むカラマツ林は若葉が萌え出たばかりで,レンゲツツジの燃え盛る赤や朱の花とカ
ンボクの純白な花とが,その林縁を賑やかに飾り立てている。弁天池付近の残雪が融け
たばかりの跡にはゼンマイやオニゼンマイの若々しい茎が,褐色の綿毛に包まれてにょ
きにょきと競い立つ。カラマツの林の中ではコルリがさえずり,アカハラ・マミジロ・
クロツグミの声も聞こえ,林縁の笹原ではウグイスがホーホケキョ,ケキョケキョを繰
り返している。アオジやビンズイの歌も聞こえる。枯木沼の湿原ではモウセンゴケが点
々と彩り,池塘チトウの水面をオゼイトトンボが,その細い尾にある鮮やかな青空色の横縞
を見せてすいすいと飛ぶ。雌は水草にとまって,からだを水に沈め水草に産卵を続けて
いる。
 この付近の水の底には葛餅クズモチのような感じのバナナ形をしたクロサンショウウオの
卵塊が,ヒツジグサやタヌキモの根茎についているのを見かける。夏はルリボシヤンマ
やタカネトンボなど高山性のトンボが多い。
 森林にはテン・モモンガ・ヤマネなどの獣類が多く,ときにはカラマツの地上から2m
ぐらいの高さの梢に,蘚コケでつくった球形で横口のヤマネの巣を見つけ,杉並木の梢で,
杉皮を集めてつくったモモンガの楕円形に近い巣を見ることもある。
 高原山の主峯である鶏頂山や釈迦ガ岳は標高1800m前後で,いずれも古くは高原火山の
外輪山の一つだ。明神岳と前黒山は寄生火山だが,これも尾根伝いで主峯に連なってい
る。弁天の湿原から上は亜高山帯の樹林で,コメツガ・トウヒなどの針葉樹が主で,ダ
ケカンバのような広葉樹も混じる。ここにはシラネマツハダという珍しい針葉樹もある
が,これはここがその水平分布の最北限になっている。林間にはチシマザサなどの笹原
が茂り,ゴヨウツツジ・サラサドウダン・シャクナゲなどの潅木も多く,高山植物では
ゴゼンタチバナ・ズダヤクシュ・ツバメオモトなどを見る。野鳥では高山鳥のメボソム
シクイ・ルリビタキが多く,ホシガラスもすみ,コマドリのさえずり声も聞く。オオル
リ・キビタキも登山口あたりのダケカンバの林では多く,ウソ・ヒガラ・ミソサザイも
このあたりで繁殖する。鶏頂山の裏側にあたる旧噴火口の絶壁にはイワツバメやアマツ
バメの繁殖するものも多い。
 やがて塩の湯奥の八方ガ原ではレンゲツツジの花盛りとなって,赤や朱,濃淡さまざ
まの花が一面に緋毛氈ヒモウセンを延べ,高原一帯は燃え盛る火焔のような感じになる。この
高原ではオオジシギが繁殖をする。巣や卵のある縄張りの大空では,このシギがジュビ
ジュビジュビ,ドドドドという激しい羽音と鳴き声とで円を描いて高原の上を乱舞する。
かみなりシギという俗名そのままの飛翔ぶりだ。この高原に多いシモツケの葉には昨秋
からこの春まで三令で葉を巻いてその中で越冬したホシミスジが,すでに四令となり,
五令となって,今や盛んにその葉を食って育っていく。はるか渓間の鹿叉川のあたりか
らは,雄飛の滝の瀬の音に混じってカッコウとツツドリののどかな声が谷風で高原まで
もはこばれる。
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