32 植物の世界「神事とヒカゲノカズラ」
植物の世界「神事とヒカゲノカズラ」
参考:朝日新聞社発行「植物の世界」
『古事記』の天アマの岩屋戸イワヤトの項に「・・・・・・天宇受売命アメノウズメノミコト,天アマの香山
カグヤマの天アメの日影ヒカゲを手次タスキに繋カけて・・・・・・」とありますが,この「日影」はヒカ
ゲノカズラのことです。太陽の復活を願って,天宇受売命の胸に襷タスキ掛けされたヒカゲ
ノカズラは,岩屋戸から覗いた天照大神アマテラスオオミカミの目にはどのように映ったことでし
ょうか。常緑で,刈り取った後も長い間枯れることなく緑色を保ち,長く伸びた異様な
姿に,古代から日本人は生気あるものとして霊力を感じ取っていたのでしょう。ヒカゲ
ノカズラと云う和名は「日陰葛」を当てて陰地に生じる蔓植物を意味とする説と,「日
影葛」を当てて光の存在を示す影から向陽の地に生じることを強調したと云う説の,相
反する二つの説があります。『古事記』から考えますと「影」説の方が相応しいかも知
れません。
△舞姫の簪カンザシや神酒に
その後の時代の大嘗祭ダイジョウサイを始めとする各種の節会セチエにおいても,ヒカゲノカ
ズラは登場します。『万葉集』には「あしひきの山下日蔭蘰ヒカゲカズラける上にやさらに
梅を賞シノはむ」と云う,大伴家持オオトモノヤカモチが新嘗祭ニイナメサイにおいて詠んだ歌がありま
す。藤原永手フジワラノナガテ朝臣アソンから梅の花見に誘われての返歌です。「山の下陰のヒカ
ゲノカズラを髪に飾っている,その上更に梅の花を見て楽しもうと云うのですか,なん
とまあ」と云う歌意で,神事に参列するものが髪飾りにしていたことが窺われます。大
伴家持は「見まく欲ホり思ひしなへに蘰カズラ懸けかぐはし君を相アイ見つるかも」と云う歌
も詠んでいます。「かねがねお逢いしたいと思っていたところ,今ここで立派なヒカゲ
ノカズラを髪にお付けになったあなた様にお逢い出来て,本当に幸せです」と云う歌で
す。ヒカゲノカズラはまた,『源氏物語』『枕草子』『新古今和歌集』などの王朝文学
にも度々登場します。
神事に用いられた伝統は,今でも引き継がれています。京都の伏見フシミ稲荷大社の大山
祭オオヤママツリにおいては,斎土器イミドキに入れた濁り酒を供え,五穀豊饒ホウジョウが祈願され
ます。神事の後,参拝者には若返りの象徴と云われるヒカゲノカズラと神酒が授与され
ます。また,奈良県にある率川イサカワ神社の三枝祭サエグサマツリにおいては,ヒカゲノカズラ
を頭に挿した4人の舞姫が「五節ゴセチの舞」を奉じます。その他,注連シメ飾りなどの新
年の飾り物や,目出度い席に飾る風習があちこちで残っています。
△馴染み深い「立桂」や「石松子」
ヒカゲノカズラは「ヤマノカミサマノフンドシ」「キツネノクビマキ」「キツネノタ
スキ」「サルノタスキ」「ウサギノネドコ」など沢山の呼び名があり,里人等に親しま
れて来ました。鮨屋のネタ・ケースには,同じヒカゲノカズラ属のマンネンスギが飾られ
ていることが多い。業界においては「立桂タチカツラ」と称し,東京築地の中央卸売市場に隣
接するマーケットにおいて手に入ります。何時頃から用いられているのかは定かではあ
りませんが,比較的最近らしい。
ヒカゲノカズラの胞子を集めたものは「石松子セキショウシ」と呼ばれ,油脂50%と糖分3
%を含んでいます。湿気を吸収しない性質を利用して,丸薬の衣に用いられたり,皮膚
のただれや湿疹に薬品を混ぜて撒布したりしました。石松子はまた,研磨ケンマ剤,花火の
発火剤,リンゴの人工授粉の際に花粉と混ぜて用いるなど,様々な形で私共の生活に入
り込んでいます。ですが今や,ヒカゲノカズラ科の多くの種は絶滅が心配される状態で
す。
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