27 植物の世界「水草の適応戦略」
 
            植物の世界「水草の適応戦略」
 
                      参考:朝日新聞社発行「植物の世界」
 
 水中において進化の道を歩んで来た藻類が陸に上がり,維管束イカンソク植物(シダ植物と
種子植物)が起源したのは,今から約4億年前と考えられています。その後の陸上植物
の適応放散の歴史の中において,一部の植物が再び水中生活に舞い戻ります。こうして
起源したのが,今日水草ミズクサと呼ばれている植物です。
 水草は水中生活に入り込んで行く過程において,形態や生態を大きく変化させました。
葉の表面に,水中では役に立たない気孔が痕跡コンセキ的に見られたり,多かれ少なかれ退
化していますが道管や仮道管カドウカンも残ります。また,すっかり水中生活をするように
なった種の中にも,花だけは水面上に出して,虫媒チュウバイや風媒と云う陸上植物の受粉
様式を維持している種が多いことなど,陸上生活の名残を留める性質もあります。
 しかし,水中生活への新たな適応を発達させることで,今日の水草の世界が出来上が
って来ています。本稿においては,そのような適応の一端を,形態の適応性と繁殖様式
から概観してみましょう。
 
〈異形葉と陸生形〉
 水中生活への舞い戻りに伴う変化は,上陸のときと逆のものでした。水を運んだり体
を支える維管束の役割は,小さくなり退化します。気孔も,水中にある葉には不要にな
ります。代わって,水中の乏しい酸素を効率よく貯蔵したり,弱い光でも十分な光合成
が行えるように適応して行きます。水中生活に深く入り込んだ種ほど,このような適応
が発達します。しかし,それは最早空気に晒された状態では生きられません。と云うこ
とでもありました。いわば,適応性を犠牲にして特殊化すると云う選択です。しかし,
水辺と云うのは増水や渇水によって水位が変動するなど,不安定な環境でもあります。
このような環境変化への対応の仕組みを備えていることは,多くの水草が生き延びるた
めに必要な戦略でした。その典型的な例が異形葉イケイヨウと陸生形リクセイケイでしょう。
 異形葉(異葉形とも云う)には,個体の発育に応じて形態の異なった葉が付くことを
指す場合と,同じ種においても,生育する環境によって葉の形や生理的特徴が大きく変
わることを指す場合とがあります。水草にもこの両者が見られますが,適応戦略として
特記すべきは後者です。
 
 キクモ(ゴマノハグサ科),タチモ(アリノトウグサ科),スギナモ(スギナモ科)
などは,水中において形成される葉と空気中において形成される葉とでは,これが同種
かと疑いたくなる程,形が異なります。水中葉は繊細で薄く,細裂するものもあります。
羽毛ウモウ状に細かく切れ込む形は,体積当たりの表面積を最大にする構造です。葉肉細胞
は僅か数層しかない程葉が薄くなっています。表皮のクチクラ層は発達せず,気孔も分
化しません。これらの特徴は,弱い光によって光合成を効率よく行うのに都合がよく,
また表皮細胞から酸素などを効率よく吸収し,葉の内部において容易に拡散させるため
の適応でもあります。
 
 それに対し,気中葉は葉が厚く,内部は陸上植物と同様に柵状サクジョウ組織と海綿状組
織が分化しています。表皮には気孔もクチクラ層も発達し,水分の保持とガス交換の役
割を果たしています。このように,葉が展開する環境が水中か空気中かによって,対照
的な特徴を持つ水中葉か気中葉に,自在に切り替わります。環境の変化に機敏に対応出
来る適応性は,常に水位変動に晒される水辺に生きる種にとっての,極め付きの特性で
す。
 水辺の水位変動に対応したもう一つの戦略は,陸生形の形成です。どの水草にでも出
来る芸当ではありませんが,水位低下によって干上がったときに枯れてしまわずに,空
気中に適応した植物体に変化して,したたかに生き延びます。乾燥に対する耐性は種に
よって異なりますが,矮性化ワイセイカしながらも水が戻って来るまで耐えて待ちます。この
ような姿を見ますと,水草の祖先は陸上植物であったことに納得がいきます。
 
〈栄養繁殖の巧みな戦略〉
 水草の繁殖様式の一つの特徴として,多様な栄養繁殖の発達が挙げられます。
 植物体の断片(切れ藻モ)が発根して何処かに定着する方法は,最も単純な栄養繁殖の
様式ですが,いろいろな水草の生活の中においても重要な役割を果たしています。日本
各地に分布を広げ,湖沼や水路にびっしりと蔓延ハビコる帰化植物のオオカナダモやコカ
ナダモの繁殖は,全て断片が各地に運ばれたり,流れ着いて定着したものです。これは,
親植物から離れて浮遊フユウ状態になっても,干しからびる心配のない水中なので成り立つ
と云えます。
 島根大学気水域キスイイキ研究センターの国井秀伸氏は,コカナダモの生態を研究しまし
た。コカナダモの切れ藻が,明るい水面近くに浮遊した状態で光合成産物が溜まります
と比重が大きくなって水底に沈み,暗所において貯蔵物質を消費しますと浮き上がると
云う現象を見出して,浮き沈みを繰り返しながら適当な場所に辿り着き,定着すると云
う仕組みを解明しました。水槽において観賞用に栽培される水草の中にも,浮遊状態で
発根しているものをよく見かけます。これを不用意に野外に捨てますと,何処かに定着
して野生化する恐れがあります。従来の水辺の生態系を保全すると云う観点からは,気
を付けて欲しいことです。
 
 異常繁茂がときどき話題になるホテイアオイは,枝元から走出枝ソウシュツシ(ストロン)
を伸ばして娘ムスメ株を次々と作ります。栄養条件がよければ,わが国においても1週間に
約2倍に殖え,短期間にネズミ算式に水域を埋め尽くす旺盛な繁殖力を示しめします。
ヨシやガマなどは,横走する地下茎を伸ばしてどんどん殖えて行きます。水や栄養塩類
に恵まれた「ウェットランド(湿地)」は,熱帯多雨林に匹敵する生産力を持つ環境で
す。このような走出枝や地下茎による繁殖によって,広大な純群落が成立します。
 地下茎の先端に塊茎カイケイを作る種も多い。食用にするクワイは,その一例です。クロ
グワイはカヤツリグサ科の植物で,クワイ(オモダカ科)とは別種ですが,小さいなが
らもクワイに似た塊茎を地中に形成するすることで和名の由来となっています。クログ
ワイの塊茎の生態について,研究の道半ばで病に倒れ,若くして帰らぬ人となった小林
央住氏(山口大学農学部)は,次のような興味深い事実を発見しました。
 
 水田に生えるクログワイと,溜め池に生えるクログワイとでは,塊茎の形成と発芽の
時期に違いがあるのです。溜め池においては,水位が下がり乾燥の進む8〜9月に既に
塊茎の形成が始まるのに対し,水田においては1カ月程遅れて9〜10月になります。発
芽も両者において異なり,溜め池においては水温ヌルむ5月頃に一斉に発芽するのに対し,
水田においては5〜7月に散発的に発芽します。これは,人間の除草作業によって根絶
されることがないように,地中に予備群を残してダラダラと発芽する戦略です。
 同様の発芽様式が,オモダカの塊茎においても見られます。除草よりも,他の種との
競争が問題となる溜め池においては,一斉に発芽して生長を競います。このように,塊
茎は生育環境に応じた発芽戦略を発達させているのです。水田耕作が始まってから今日
までの短い間に生じたクログワイの生態型の分化に関する研究は,小林央伸氏の名と共
に何時までも残るでしょう。
 
 一方,地上部に形成される栄養繁殖器官も多彩です。冬近くになりますと,フサモ,
マツモ,タヌキモ類などの茎の先端部は葉が密集して,棒状や球状の越冬芽エットウガとな
ります。これは,単に越冬器官であるだけでなく,多数が水中に沈む栄養繁殖の器官で
もあります。水草の世界においては,このような越冬や繁殖のために特殊化した部分を
殖芽ショクガと呼びます。トチカガミのように,走出枝の先端において托葉タクヨウに包まれた
葉と茎が殖芽となる例もあります。ウキクサにおいては,葉状体ヨウジョウタイが澱粉を溜め
て厚くなり水底に沈みます。また,マルバオモダカに見られるように,本来は花の咲く
部位に新たな托葉に包まれた芽が新生して殖芽となる,偽胎生ギタイセイの例もあります。
 
 いろいろな殖芽のうちでもエビモのそれは,生態的に興味深い。冬も生育を続けるエ
ビモは,晩春の頃から,葉と茎が肥大して硬質化した特殊な殖芽を葉腋ヨウエキや枝の先端
部分に形成します。エビモは河川や水路などにおいては,1年を通して生育する常緑植
物ですが,湖沼や溜め池においては,多数の殖芽を水底に残して夏の間だけ姿を消しま
す。秋になりますと殖芽は発芽しますので,越夏芽エッカガとなります。浮葉フヨウ植物が繁
茂する夏の間は競争を避け,休眠する戦略と考えられています。このようなエビモの生
活史は,泥や他の植物に覆われて光の当たらない状態においては,水温が下がるまで休
眠を続けると云う,殖芽の発芽特性と深く結び付いています。
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