25a 植物の世界「"いも"の栽培文化とその起源」
 
〈2系統の境界線〉
 ではその「いも」農耕文化の2系統の境界線は,どの辺りにあるのでしょうか。山口
大学安渓貴子講師や筆者が調査した結果においては,それは九州から南西諸島にあるら
しい。
 まずヤマノイモ類を観てみますと,わが国の他の地方において一般的に栽培されるヤ
マノイモ類であるナガイモは,鹿児島県においては栽培されていません。他県からのも
のが,僅かに売られています。その代わり,同県において「ヤマノイモ」と云いますと,
普通はダイジョのことです。ダイジョは同県各地において栽培されており,鹿児島を代
表する郷土菓子「かるかん」は,その原料はヤマノイモと云ってますが,実際にはダイ
ジョであることが多い。
 ダイジョは,奄美アマミ諸島まで南下して行きますと明らかな品種区分が出てきて,芋を
輪切りにしますと赤紫色のものや白いものなどが栽培されています。そしてこの紅白の
ダイジョはお正月のお祝いには欠かせない存在になっているようです。最近においては
この赤紫色のダイジョを材料にした上品な赤紫の「かるかん」も作られるようになり,
白と赤紫の「かるかん」の詰め合わせはなかなか美しい。
 しかし九州南部において栽培されているダイジョは,殆ど品種が区別されていません。
その意味から,九州南部は本来的なダイジョ農耕文化圏とは云えないかも知れません。
 
 このことはサトイモについて観てみますと,よりはっきりします。九州南部において
は,わが国の他の地方と同じように子芋利用型3倍体品種が優勢ですが,安渓講師の調
査に拠りますと,南西諸島においてはトカラ列島よりも南においては親芋利用型2倍体
品種が優勢になり,75〜80%を占めています。ただし最近においては,東京や関西圏向
けの子芋利用型サトイモの促成栽培が盛んで,在来のものは大分少なくなって来ていま
す。
 更に九州南部とトカラ列島の間にある屋久ヤク島を観ますと,南部においては2倍体品
種が優勢ですが,北部においては3倍体品種が優勢になっています。
 
 また,雌花が奇形的になって不稔フネンで,かつては確実に人為によって分布を広げたと
考えられるシマクワズイモの野性的な分布域の北限は,奄美諸島です。奄美大島にはダ
イジョの儀礼的な利用が存在することも考え合わせますと,熱帯型の「いも」農耕文化
圏は,南西諸島沿いに北上し,奄美諸島までは確実に追跡出来ますし,その一部は屋久
島まで到達し,最近は九州南部にも受け入れられていると云うことが言えるでしょう。
 この熱帯型の「いも」農耕文化に付随した植物の一つに,バショウ科のリュウキュウ
イトバショウがあります。この植物の繊維を利用することが沖縄諸島から奄美諸島まで
は知られていました。一方,九州南部においても,目に付くバショウのような植物の大
部分はリュウキュウイトバショウですが,これは観賞用であることが多く,農耕に結び
付いた栽培ではないように思われます。
 
〈謎が深まったサトイモの起源〉
 日本語の「いも」とか「うも」と云う言葉は,元々はヤマノイモ類を指していたので
はないかと思われます。そこへ栽培されるサトイモが新しく入って来て,元の野生や半
栽培状態で利用していた「いも」は,区別するためにヤマノイモと呼ばれるようになっ
たようです。太平洋諸島には,ヤマノイモ類の総称名として「ウビubi」とか「ウフィ
ufi」と云った系統の呼び名が広く分布していますが,日本語の「うも」「いも」系の名
前はこれと関係があるのでしょう。
 ヤマノイモ類,特にダイジョの起源とついては未だ分からないことが多いが,サトイ
モ類についても奇妙な事実が明らかにされて,起源については謎が深くなっています。
 イネよりも古くから栽培利用されて来たと考えられる「いも」は,その起源と分化の
プロセスを解き明かすのに困難な問題が多い。それは,「いも」がイネやコムギと違っ
て専ら栄養繁殖によって殖やされ,栽培が広げられて来たことも関係しています。
 染色体数の倍数性は,サトイモの温帯系品種群と熱帯系品種群を類別する手がかりに
なりました。最近においては更に分子遺伝学的な解析が盛んに行われ,ヤマノイモやサ
トイモの起源を探る上でも大きな武器になっていますが,その結果は想像もしていなか
ったものでした。
 
 植物細胞は,遺伝情報を担うDNAを,核以外にミトコンドリアや葉緑体に持ってい
ます。このDNAを構成している塩基配列を比較して,系統やその分化を探ることが出
来ます。
 1972年に岡山大学農学部吉野煕道助教授が,ネパールにおいて採集してきた「サトイ
モ」の一系統は,外形も,花の形態も,雌花の子房の胚珠ハイシュの付き方もサトイモそっ
くりで,しかも2倍体で花粉が不稔と云う奇妙なものでした。筆者も最初は「これはサ
トイモ」として済ませていました。しかし吉野助教授が葉緑体DNAを分析して観ます
と,それはインドクワズイモと殆ど違いがないもので,サトイモとは異なるものでした。
どう考えても,葉緑体はインドクワズイモ由来のものです。形はサトイモそっくりであ
ることは,この奇妙な「サトイモ」2倍体が,インドクワズイモを母親に,サトイモを
父親(花粉親)にした属間雑種で,母系の遺伝情報が何らかの理由によってその植物体
の形態形成に殆ど影響を与えなかったとしか考えようがありません。
 
〈別属の種類に同じDNAが〉
 同じようにインドクワズイモとそっくりな葉緑体DNAが,サトイモの仲間のハスイ
モからも見出されています。このハスイモは,マレーシア熱帯地域にあるものはわが国
において栽培しているハスイモよりも遥かに大型になり,種子稔性ネンセイも高いので,ネ
パールにおいて発見された奇妙な「サトイモ」とはその点で異なっています。しかし,
これらの「いも」が種として分け難い程インドクワズイモによく似た葉緑体DNAを持
っていることは,これらが起源的にはサトイモ属(父親)とインドクワズイモ(母親)
との雑種であることを示していると考えられます。
 「いも」栽培には,普通栄養繁殖が用いられます。そのために一度作られた雑種系統
は,栽培が続けられますと,他の植物のように受粉によって遺伝子の組み換えが起こら
ないため,同じ遺伝子がそのまま保持されてしまいます。今のところ解析が進んでいな
いためはっきりしませんが,そのような系統がサトイモ類には多いと考えられます。何
れにしてもサトイモのような栄養繁殖によって子孫を残す植物においては,葉緑体DN
Aによる系統解析は有効ではありますが,それだけで真実を明らかにすることは可成り
難しい。
 
 国立民族学博物館マシューズ助手等は,サトイモのリボソーム(蛋白質の合成に関わ
る細胞内小器官)のRNA(DNAと相補的な核酸)を分析して,その配列に「パカン
ティPakanti型」と「コロンボColombo型」の2タイプがあることを確認しています。こ
の二つのタイプの地理的分布も奇妙であり,両系統のサトイモの分化については更に多
くのデータが必要です。
 アジアから太平洋諸島に最初に広がった「いも」農耕分化と云う概念は,大阪府立大
学中尾佐助名誉教授(1916〜93)の提唱した「照葉樹林文化論」に重要な位置を占めて
いて,日本人の起源についていろいろな夢を掻き立てる仮説を生んでいます。その意味
からも,「いも」ばかりでなく,そのほかの様々な栽培植物の系譜を追跡することは,
「我々は何処から来たか」と云う問いに答えを出す可能性を孕ハラんだ,魅力ある研究テ
ーマです。

[次へ進む] [バック]