25 植物の世界「"いも"の栽培文化とその起源」
 
         植物の世界「"いも"の栽培文化とその起源」
 
                      参考:朝日新聞社発行「植物の世界」
 
 日本語で単に「いも」と云ったとき,そこからどのような表現が連想されるでしょう
か。「いもを洗うような雑踏」「いもがらで足をつく」「いもづる式に検挙」などと,
あまり良いイメージのものはなく,何がしかマイナス感覚を伴っているものばかりです。
「いも助」や「いも掘り坊主」となりますと,これはもう悪口以外のなにものでもあり
ません。芋羊羹イモヨウカンは小豆の羊羹より安いでしょうし,イモムシを愛嬌があって美し
いと感じる人は僅かでしょう。
 しかし悪いイメージでも,日本語のいろいろな表現に「いも」と云う言葉が登場する
と云うことは,それだけ日本人にとって「いも」が日常生活の中において親しまれてい
ることを示しているのではないでしょうか。
 ヨーロッパ系の言語には,日本語の「いも」に当たる絶妙な名詞はありません。例え
ば英語においてサトイモ類は「タロtaro」,ヤマノイモ類は「ヤムyam」と表現されま
す。しかし「タロ」は太平洋諸島での現地名から借用してきた外来語ですし,「ヤム」
もアフリカの地方名からの借用です。
 
 サトイモ類やヤマノイモ類がヨーロッパ圏においては元々あまり利用されていないと
云うのであれば,ヨーロッパにおいて主食にもなっているジャガイモはどうでしょうか。
ジャガイモは南アメリカ原産で,英語では「ポテイトpotato」ですが,これはジャガイ
モをヨーロッパにもたらしたスペインにおける呼び名の「パタタpatata」が語源になっ
ています。ではこの「パタタ」は何かと云いますと,これはアメリカ大陸原産であるサ
ツマイモの,タイノー族(かつてカリブ海に居たと云う一部族)の現地名「バタタbata
ta」から派生して来たものらしい。サツマイモは,ジャガイモより甘いので英語では「
スウィート・ポテイトsweet potato」と呼ばれますが,本来から云いますとサツマイモが
「ポテイト」になるのです。しかし何れにせよ,「タロ」や「ヤム」と同様に外来語で
あることに変わりはありません。
 日本語と深い関係のある中国語においても,「いも」の総称的な名前ははっきりして
いません。「芋」と云う字は,主にサトイモ類を指すようですし,「薯(藷)」と書き
ますとヤマノイモ類を指すことになります。
 
 日本人にとっては,サトイモ,ヤマノイモ,ジャガイモなど系統的には全く違った食
用植物が,「いも」と云う一つの概念として纏められます。またこの「いも」は直接の
食用部分を指すばかりでなく,それを生産する植物の名前にも用いられます。それぞれ
を区別するときには「いも」の前に「里」「山」「薩摩」などの修飾語を付加していま
すが,その基盤にはこれらのものは同じ「いも」であると云う認識があるのでしょう。
 英語においても,食用とする地下の肥大部分だけで云いますと「チューバーtuber」と
云う言葉はあり,作物としてのいも類には「チューバー・クロップtuber crops」と云う
共通の言い方はあります。しかしサツマイモをスウィート・チューバーとは云いません
し,ヤム・チューバーとは,多分ヤマノイモの芋そのものを指すことになります。
 
 では何故日本人と「いも」はこれ程深い関係にあるのでしょうか。これは恐らく日本
人にとって「いも」が,縄文時代の採集と原始的農耕の朧気オボロゲな記憶を現在に伝え
る植物だからなのではないでしょうか。「いも侍」と云っても「いもねえちゃん」と呼
ばれても,そこには貶ケナすだけではない,親しみや笑いをもたらす明るさが感じられま
す。最近においては珍しくなりましたが,各地の農耕儀礼やお正月の儀礼には「いも」
がよく登場しましたし,お月見にはサトイモが不可欠でした。「いも」は日本文化の基
層を物質的に支えてきた植物と云えるでしょう。
 
〈2系統あるヤマノイモ類の栽培圏〉
 35年程前,筆者(堀田満氏)は南太平洋のトンガ諸島において栽培されているヤマノ
イモ類を調べてみました。その結果,ダイジョを始め,ハリイモ,カシュウイモ,アケ
ビドコロ,ナンヨウヤマノイモの5種が,栽培や野生状態で見付かりました。中でもダ
イジョは,早生ソウセイや晩生バンセイの系統があり,丸い品種から細長い品種まで形も様々で
した。大きさも,小さい品種では精々3s位のものから,大きな品種では10sから40s
にもなり,それらの品種は120にも上りました。帰路の途中隣のフィジー諸島においても
サトイモ畑を這い回るようにして調べたところ,1区画の畑に10種以上ものサトイモが
栽培されていて,吃驚ビックリしたことがあります。サトイモにしてもダイジョにしても,
原産地は東南アジアの大陸部と推定されています。ところが原産地から遥々ハルバル海を渡
った南太平洋地域において,膨大な品種群が栽培されていたのです。
 
 ヤマノイモ類の分布は,ほぼ熱帯圏に限られています。しかし東アジアの日本列島は,
温帯圏にありながら特に多くのヤマノイモ属植物が分布している地域です。例えばナガ
イモは食用に広く栽培されていますし,野生のヤマノイモも芋や零余子ムカゴがよく利用
されています。ヤマノイモ属植物の芋が店頭において普通に売られているのは,温帯圏
ではわが国位ですし,それを摺り卸して生で食べるのもわが国位です。ヤマノイモ属植
物の栽培の中心地である熱帯圏においては,芋を生で食べることはなく,焼くか煮るか
蒸して食べます。
 栽培しているヤマノイモの種類も,わが国と熱帯圏では異なっています。アジアから
太平洋諸島に広がるヤマノイモ類の栽培圏を観ますと,それは温帯圏のナガイモ − ヤ
マノイモ地域と,熱帯圏のダイジョ − ハリイモ地域に分かれます。ダイジョは耐寒性
がなく,霜の降りる位の寒さでも簡単に腐ってしまうため,栽培の北限は九州や四国の
南部までです。筆者が京都においてダイジョを栽培しましたとき,生育に適した暖かい
期間が短か過ぎて,芋がなかなか肥大してくれないため,収穫は望めないことが分かり
ました。
 
〈サトイモにも2系統〉
 サトイモにおいても,ヤマノイモ類に似たようなことがあります。サトイモは染色体
数が2n=28の2倍体の系統と,3n=42の3倍体の系統が知られています。2倍体の品種
においては大きくなる親芋を食用にすることが多いが,3倍体の品種では沢山の子芋が
出来て,それを食用にします。日本人が食べるサトイモの多くは,この3倍体子芋利用
型の品種です。
 この2倍体と3倍体の品種を比べますと,面白いことに2倍体の品種では耐寒性があ
まりないものが多く,3倍体の品種では耐寒性があるものが多い。九州南部においては,
サトイモを秋に掘り上げずに畑にそのまま置いておくことがありますが,このとき3倍
体の品種なら腐りませんが,2倍体の品種ですと傷んでしまいます。
 
 栽培されているサトイモの分布においては,南太平洋ではほぼ2倍体だけです。ボル
ネオ島やスンダ島,ハワイ諸島では3倍体も見られますが,これらは中国大陸から移住
して来た人々が持ち込んだもので,古くからの栽培品種ではないようです。こうして新
しく導入された品種を除きますと,タイの山地民が栽培しているサトイモも,東南アジ
アの島嶼トウショ部から太平洋諸島において広く栽培されているサトイモも同じ2倍体系統
の品種です。これに対してわが国においては,3倍体系統の子芋利用型品種が圧倒的に
多く,全体の4分の3以上を占めていることが分かります。
 サトイモの場合,親芋利用型の2倍体は東南アジアから太平洋諸島の熱帯圏,子芋利
用型の3倍体は東アジア温帯圏と云うように,品種群の利用形態が分かれていると考え
てよいでしょう。そして,これはヤマノイモ類の2系統の分布とほぼ重なっています。
 
〈クワズイモを食う人々〉
 トンガ諸島の調査のときにもう一つ驚いたことがあります。それはサトイモ科でサト
イモ属とは別属のインドクワズイモが栽培され,食用にされていたことです。
 インドクワズイモは,インドから太平洋諸島まで広く野生化していまいが,これはか
つて栽培されていたものが,他のいも類に比べて味がよくないために放棄されて野生化
したものであると考えられていました。ところがサモア諸島やトンガ諸島においては未
だ栽培されていたのです。しかも現在,インドクワズイモの栽培圏は少しずつ広がりつ
つあるのです。
 インドクワズイモと同じような運命を辿ったクワズイモ類には,ヒマラヤから南西諸
島,九州南部,四国に分布するクワズイモやシマクワズイモがあります。このようにク
ワズイモ類においては,古くに栽培が放棄されたのでしょうか,サトイモに観られるよ
うな耐寒性のある3倍体の温帯系品種群は生み出されませんでした。そして,栽培から
野生化したと考えられますクワズイモ類の分布地域は,ダイジョの栽培圏にほぼ重なっ
ています。
 このように栽培されています「いも」の種類を観てみますと,東南アジア大陸部にお
いて起源したと考えられる「いも」を栽培する農耕文化は,熱帯圏に広がったインドク
ワズイモ − ダイジョ − 親芋利用型2倍体サトイモ栽培圏と,そこから東アジア温帯
圏に派生したナガイモ − 子芋利用型3倍体サトイモ栽培圏の二つの系統に大きく区分
出来ます。
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