24 植物の世界「木・草・蔓の進化学」
 
            植物の世界「木・草・蔓の進化学」
 
                      参考:朝日新聞社発行「植物の世界」
 
 「木」と「草」はどのように区別出来るでしょうか。一般の概念として,「木」は寿
命が長く,年々大きくなって行き,太い幹と大きく広がった枝葉を持つのに対し,「草
」は毎年地面から芽が出て来て花を咲かせ,冬にはすっかり枯れてしまうもの,と云え
るでしょう。
 ところが,そのような定義に当て嵌まらないものもあります。例えばタケは,常に青
々としていて何年も枯れることはありませんが,幹(稈カン)が太ることもありません。
庭園によく植えられるシュロや,熱帯の特徴的な景観を造るシダ植物のヘゴなどもそう
で,木なのか草なのか迷うところです。
 実は,木と草の植物学的定義も一律ではなく,生態学的な定義と形態学的定義とでは
違いがあります。生態学的には,植物が生育不適期(わが国では冬)をどのように過ご
すかで定義され,その時期に芽が地上にあるものが「木」で,地表(種子も)或いは地
中にあるのが「草」です。これによりますと,タケもシュロもヘゴも「木」と云うこと
になります。
 一方,形態学的には,「木」は茎に形成層があり,2年以上に亘って肥大生長するも
のを指し,「草」は形成層がなくて肥大生長をしないか,或いは形成層があっても,生
長活動が1年以内で止んでしまうものです。この定義においては,タケなどは「草」で
す。
 
 本稿においては,形態学的な定義に従って論を進めましょう。そして「木」と「草」
だけでなく,木を「高木tree」と「低木(潅木)shrub」に分けます。「低木」は主幹が
明らかでなく,しかも形成層の活動が永続的でない(短いもので1年,数年のものが殆
ど)ことで定義されます。後に述べるように,高木に由来する低木と,草に由来する低
木があります。
 
〈草から木へ〉
 植物が本格的に陸上において生活出来るようになったのは,体表を被って水分の損失
を防ぐ「表皮ヒョウヒ系」の発達と,地中の水分を茎や葉へ通道する「維管束イカンソク」の体得
によります。最初の維管束植物(シダ植物)が生まれたのは,古生代後期シルル紀の頃
(約4億年前)です。初期の維管束植物は構造が極めて簡単であり,水分通道の機能も
低いレベルにあって,生活の仕方も植物体の大きさも蘚苔センタイ(コケ)類とさほど違わ
ないものでしたが,維管束の体得によって,陸上植物は大発展することになりました。
シダ植物は維管束が発達して大型になり,陸上に繁茂するようになりましたが,同時に,
植物同士において光を巡る競争が起こって来ました。光を巡る競争は,如何に他の植物
より上に葉を広げて光を受けるかであり,そのため高い位置に付ける枝葉を支える支持
機構と,そこまで水分を運ぶ通道機能とを発達させました。
 
 植物は,先端にあって細胞分裂を行う頂端チョウタン分裂組織(生長点)と,その細胞分裂
によって作られた植物体の大部分の組織(永久組織)とがはっきりと分かれ,永久組織
は一度出来上がりますと,もう形を変えたり,再び細胞分裂したり出来ません。従って,
光を巡る競争において他の植物より上へ上へと伸びて行きますと,支えるべき部分が大
きくなり重くなって,茎はその重さに耐えられず,遂には折れてしまいます。
 そこを旨くクリアする発明が,「形成層」です。頂端分裂組織から作られた茎の組織
の中に未分化の細胞層を残しておき,一応の伸長成長(一次成長)が終わった後,この
細胞層が再び細胞分裂を始め,茎を太らせて行く(二次成長)のです。これによって,
茎の先端はどんどん上に伸びて枝葉を広げて行き,下の方ではそれに見合うように茎が
太くなって,植物体を支えます。つまり,これが「木」です。従って,最初の木とは,
最初に形成層を作った植物と云うことになります。
 
 形成層を持つことにより大きな木が現れるのは,古生代石炭紀(約3億4000万年前)
で,幹の直径2m,樹高40mになるものもありました。葉の落ちた後の幹の表面模様が魚
鱗ギョリンのようになる鱗木リンボク,また封印を押したような模様になる封印木,それに巨
大なスギナのような形をしたカラミテスなどの森林が繁茂しました。
 しかし,これら石炭紀の森林の樹木は,現在の樹木と二つの点において異なっていま
す。第一は,それらの形成層は内側に木部モクブだけしか作らない「一面性」であり,現
在の樹木の形成層は内側に木部,外側に篩部シブを作る「二面性」です。そして第二は,
その生長の仕方が,現在のタケやヘゴのように,最初から大きな茎頂ケイチョウを持っていて
太い一次組織の茎を素早く作り,形成層による二次肥大成長の比率はあまり大きくない
ことです。
 これらのことは,当時の地球環境が高温,多湿,それに高炭酸ガス濃度であって,植
物は速くて旺盛な生長が可能であったことを示しますが,その結果,これら古生代の森
林の主役は,大きな植物にはなったものの,寿命は比較的短いものでした。
 
〈裸子植物から被子植物へ〉
 そのような中で,現在のような形態と機能を持った形成層を体得したのは,アルカエ
オプテリスと云うシダ植物で,石炭紀より前のデボン紀後期(約3億7000万年前)です。
これは「前ゼン裸子植物」と云われるように胞子によって生殖することを除きますと,植
物体の構造,生長の仕方,葉の形態など多くの点において現在の針葉樹類と共通してい
て,その直接の祖先であると見なされています。形成層も立派に二面性で,現在のそれ
と殆ど違いません。年輪は見られないものの,直径1.5m,高さは数十mにもなる大きな木
でした。
 この古生代の後半と,続く中生代前半の三畳紀,ジュラ紀と云った時代には,裸子植
物が全盛を極め,実に様々な形のものが生まれ,地球上を彩りました。がしかし,その
多くのグループは絶滅してしまい,今に残っているのは,針葉樹類とソテツ類,それに
グネツム類だけです。
 
 これら裸子植物は,基本的には二面性の形成層を持ち,多かれ少なかれ茎が肥大成長
し,長期間に亘って生活する木です。このように,裸子植物は全て木ですので,その何
れかの植物から生まれた最初の被子植物も木であったと云えます。
 被子植物が生まれたのは中生代ジュラ紀の頃(約2億年前)です。胚珠ハイシュが剥き出
しの裸子植物から,それが子房シボウに包まれた被子植物が生まれた訳ですが,被子植物
が裸子植物と異なる点はほかに,花を形成すること,道管と篩管シカンを持つこと(裸子植
物においては仮道管カドウカンと篩細胞シサイボウ),重複受精をすること,珠皮シュヒを2枚持つ
こと,胚乳を持つこと,花粉壁カフンヘキにテクタムがあることなどが挙げられます。
 しかし,これらの形質はどれも,裸子と被子がきちんと区別出来るものではなく,裸
子植物から被子植物への進化の過程において順次獲得して行ったものです。特に仮道管
から道管への進化は,仮道管が水分通道と機械的支持機能の両方を兼ねた組織であるの
に対して,道管の機能は水分通道だけで,機械的支持機能は繊維組織や他の組織に委ね
たものです。裸子植物から被子植物への進化は,機能分化,分業化でもあったのです。
 
 被子植物の木,つまり道管を持つ化石の最古の記録は,北アメリカの前期白亜紀の終
わり頃のアルビアン(約1億年前)です。この記録は,被子植物の花粉や葉の化石が白
亜紀より前の時代から見付かっているのに比べますと,1億年程遅い。その理由は,木
材の化石は抑も発見される確立が低く,また裸子植物に比べて僅かしか生育していなか
ったので化石も少なく,発見されないのです。即ち,最初の被子植物は木ですが,その
初期の化石は,未だ見付かっていないのです。
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