23a 植物の世界「植物も言葉を操る」
 
〈やられる前に手を打つ植物〉
 ナミハダニに加害されたライマメの葉からHIPVとして五つの成分が新たに生産され,
そのうち四つにチリカブリダニが反応して被害葉に寄って来ます。そして,その結果ナ
ミハダニは捕食されてしまうことが,化学分析や室内実験によって分かりました。
 さて,この実験系を見て,オランダのアムステルダム大学の学生が面白いことを考え
付きました。彼ヤン・ブラユンはHIPVがナミハダニの産卵行動にどのような影響を及ぼす
かを,風洞を用いた実験で検討し始めていましたが,その延長上で次のようなことを考
えました。「もし風上のマメがナミハダニに加害されていた場合,その隣のマメは未だ
食害されていないにせよ,遅かれ早かれナミハダニは風に乗ってやって来る。もし見付
かったら大変なことになる。この危機的状況に陥ったとき,植物はどうするのだろうか
? 隣の被害をどうにか察知して,逸速く何か対応策を執るのではないか?」
 
 筆者(高林純示氏)は同じ頃オランダのワゲーニンゲン農科大学において,HIPV生産
メカニズムを化学的な面から研究していました。ブラユン等の仮説と,それを支持する
予備的な実験結果に刺激されて,彼等と共同で「被害植物の隣の同種植物はHIPVの影響
を受けるだろうか?」と云うテーマに取り掛かりました。生物的なデータはブラユン等
が,化学的なデータは私等が,と分担して進めて行きました。
 ブラユン等の用いた実験装置は,三つの小さな箱に繋げたものです。左の箱に未被害
植物を,中央の箱に被害植物を,右の箱に未被害植物を入れます。空気を左から右へ送
りますと,左の箱の未被害植物は空気だけを受けますが,右の箱の未被害植物は被害植
物から出るHIPVに晒されます。この状態を5日間続けますと,右の箱の植物は,空気だ
けに晒された未被害植物に比べて,チリカブリダニをより誘引するようになると云いま
す。
 何故3番目の植物にそのような変化が生じたのでしょうか? 私共は彼の装置の同じ
ものを用いて,右の箱の未被害葉の匂いを分析してみました。ここでは,HIPVの中の二
つの主成分,ジメチルノナトリエンとオシメンと云う物質の生産量を,青葉アセテート
と云う物質の生産量と比較した結果を紹介します。
 
 青葉アセテートは,葉の青臭みの主成分の一つで,通常の未被害葉が生産するHIPV化
合物は,この物質の数十分の一以下の生産量です。ところが,右の箱の中の葉では,青
葉アセテートに比べ,ジメチルノナトリエンが5倍以上,オシメンが26倍も生産されて
いました。いろいろな検討の結果,このように大量のHIPVが葉から検出されたのは「風
下で隣の箱からのHIPVに晒されたので,それらの物質が植物表面に染み着いてしまった
」と云う仮説では説明出来ないことが分かりました。私共は,「風下の未被害植物は,
被害植物からのHIPVに晒されると,それに反応して,加害される前からチリカブリダニ
を誘引するHIPVを生産してナミハダニの加害に備える」と解釈しました。つまり,右の
箱の植物は中央の箱の植物の発するHIPVと云う「言葉」を立ち聞きしていると考えられ
ます。ではそのようなコミュニケーションにはどんな意味が隠されているのでしょうか。
 
〈立ち聞きされる側と,する側の利益〉
 ナミハダニに食害されたライマメは,その天敵,例えばチリカブリダニを誘引するた
めにHIPVを生産します。HIPVは揮発性なので,そのライマメが一旦大気中に放出したそ
れらの物質の拡散をコントロールすることは,勿論出来ません。仮令タトエ隣の未被害植物
がそれを立ち聞きしたとしても,それを阻止することは不可能でしょう。
 さて,立ち聞きされた被害植物にはどのようなメリットがあるのでしょうか? チリ
カブリダニは餌のいないところ(立ち聞き植物)に誘引され続けることなく,最終的に
は被害植物上においてナミハダニを発見します。立ち聞き植物が,被害植物の周囲にお
いて天敵を誘引しますので,天敵は段々とHIPVの濃度の高い方へ移動し,最終的に旨く
被害植物上のナミハダニのコロニーを発見出来るのかも知れません。もしそうであると
しますと,これは植物同士の助け合いと考えられます。
 
 立ち聞き植物のメリットは何でしょうか? 最近私共の研究から,植物が加害されて
HIPVを生産するまでに一定のタイムラグがあることが分かって来ました。未被害植物に
最初のナミハダニの雌成虫が1匹侵入しただけでHIPVを生産し始めるかと云うと,そう
ではありません。ある程度,葉の上でナミハダニが殖えませんとHIPVが出ない仕組みに
なっています。植物としては,ナミハダニに侵入されたなら,それらが爆発的に殖える
前に,一刻も早くHIPVを出して天敵を誘引したい筈です。立ち聞きした植物は既にHIPV
の大量生産ラインを開いているため,ナミハダニに加害され始めた場合には,立ち聞き
していない植物よりも早く本格的な生産を始めることができ,有利になると考えられま
す。
 
〈異種植物間でも交信?〉
 さて,これまでの話は「HIPVで植食者の天敵を操ると云う,いわば間接的な防衛にお
ける植物間コミュニケーション」でした。その一方において,「被害植物からの匂いを
立ち聞きした未被害植物が直接,植食者をやっつける物質を新たに作って防衛する」と
云うタイプのコミュニケーションも幾つか報告されています。つまり,隣の植物が病原
菌や害虫にやられていますので,それを察知して自分も逸速く防衛物質や毒物質を作っ
て直接的に身を守ろうと云う訳です。ここでは,比較的新しい二つの研究例を紹介しま
す。
 
 病原菌が関与した例では,1987年のゼーリングの報告があります。ワタの1種におい
て見られる現象ですが,アスペルギルス・フラウスと云う菌に感染した葉は,抗菌性物質
ファイトアレキシンの量を増やします。この現象は,感染葉からの空気(病原菌は濾過
してある)を送ることによって,健全な葉でも誘導されました。健全な葉での誘導は,
病原菌自体の匂いや綺麗な空気では起こりません。感染した葉が生産するある匂いに反
応していると考えられ,論文は,植物間のコミュニケーションが病原菌を介して起きて
いることを示しています。残念なことに,ゼーリングは何故そのような相互作用が進化
したのか,そして相互作用のメカニズムに関しては言及していません。その後彼は1992
年に,炭素数が6〜10の不飽和アルデヒド(これは葉が傷を受けた際に生産される匂い
)に晒されたワタの果皮でも,やはりファイトアレキシンが生産されることを示してい
ます。しかし,この論文においてもアルデヒドの生産と病原菌感染との因果関係は明ら
かではありません。
 
 同様の研究は,1990年にファーマーとリアンによっても報告されています。
 トマトの葉が植食者や病原菌によって被害を受けますと,防衛のためプロテアーゼ(
蛋白質分解酵素)阻害物質と云うものが作られます。更に,ジャスモン酸メチルと云う,
幾つかの植物には普通に存在する匂い物質が,プロテアーゼ阻害物質遺伝子の活性化を
誘導すると云います。葉にジャスモン酸メチルを持つヨモギの1種を,健全なトマトと
一緒に実験室内において隣り合わせて育てますと,トマト植物内にプロテアーゼ阻害物
質の蓄積が認められました。ヨモギが放出するジャスモン酸メチルの影響と考えられま
す。つまり,ヨモギとトマトとの異種間において,植物同士のコミニュケーションが成立
していることになります。
 
 このような植物間コミュニケーションは,実験室内においての操作実験と化学分析に
よって検出されたものです。様々な生物間の微妙な相互作用が,同じような化学生態学
手法によって次々と明らかになって来ています。これから先,私共が知りたいのは,こ
うした現象がそれを含む生態系と云う多様な系の維持,促進にどのような寄与をしてい
るかと云う点です。主要な役割を果たしているのか,それとも二次的な役割を果たすに
過ぎないのでしょうか。
 例えば,ライマメ畑で幾つかのライマメがナミハダニに加害されているとき,化学の
目から見ますと,被害植物から出るHIPVが一定の濃度勾配で広がります。実際,この匂
いを頼りにして天敵がやって来たり,或いは匂いを受け止めた隣のライマメが逸速くナ
ミハダニの加害に備えたり,ナミハダニが分散したり(本稿においては紹介しませんで
した)しています。ライマメ以外においても実は,このような私共の目には見えない生
物間相互作用の作用中心のようなものが,植物によって形作られているのかも知れませ
ん。植物を舞台とした複雑な生物間相互作用の研究は始まったばかりです。

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