18a 植物の世界「花食文化」
 
〈特別な意義〉
 花を食べることに関する研究は,人と植物との関わりを研究する,民族植物学の領域
に属します。花を食べると云う行為に,どのような文化的・社会的意味があるかと云う
ことに焦点を当てた研究です。その考えの中から,「花食文化」の言葉が生まれました。
後に裴教授は,筆者と2人で主催した国際シンポジウム「アジアの花食文化」(1989年
)において,次のように述べました。
 「花を食べることは,アジアの諸民族の間においては共通した現象です。民族植物学
の観点から,この現象には人間の二つの行動があると云えます。一つは,食事を楽しも
うと云う個人的な興味に基づいた行為です。一方,花食文化は人々が属している社会全
体,即ち民族的グループに共通の社会的行動です。この場合,その民族的グループの全
てのメンバーは,開花期には家族単位で花を集めて料理します。調理法は彼等固有の伝
統に基づいており,同じような料理が作られます。花を食べると云う意識は,彼等の伝
統的,文化的な考えと深く結び付いています」と。
 
 花食文化の例として,裴教授はシャクナゲの他に,ジャケツイバラ科のフイリソシン
カを挙げました。この花は直径5p以上ある蝶形花で,純白の花弁に桃色の斑点があり
ます。高さ10m程の樹木で,早春に枝一面に花が咲き,わが国のサクラにように見事にな
ります。雲南省の少数民族は,春の到来をこの花を食べることによって祝います。西部
に住む漢族や南部のタイ族は,茹でてブタ肉やタチナタマメと共に調理し,南部のハニ
族は,生野菜として食べます。
 また,筆者が1994年に調査したところ,タイ族はクマツヅラ科のグメリナ・アルボレア
の花を正月のお節料理として,白玉粉の餅に搗き込み,バナナの葉に包んで,粽チマキを作
ります。
 シンポジウムに参加した韓国宮中飲食研究院理事長の黄慧性教授に拠りますと,韓国
においては三月三日の重三節の日に,宮中の女官等が野外に出て,白玉粉によって作っ
た餅を焼きながら,その上にツツジ科のコウライツツジの花を載せて「花煎」を作る習
わしがあったと云います。春の到来を祝う宮中の儀式に見られる花食文化の例と云えま
しょう。
 これらは,花を食べることは,ある特定の社会にとって特別な意義があると云う例で
す。
 
〈食用菊[阿房宮]〉
 花食文化は更に,花を食べると云う行為が,それと関連した特有の社会現象乃至は文
化的現象を引き起こしていることも意義を求めます。例として,青森県(名川ナガワ町,
南部ナンブ町など)において栽培される食用菊[阿房宮アボウキュウ]を採り上げましょう。
 [阿房宮]は,晩秋の収穫期に好天が続く青森県南部の気候の特性に支えられた食用
菊で,直径7〜8pの平弁ヒラベンの黄菊です。約1億円の総売上額を持つ,この地方の重
要な秋野菜の一つですが,「菊びたし」として開花時に食べられるだけでなく,「干し
菊」に加工され,各家庭において消費される他,北海道や東京の市場へも出荷されてい
ます。干し菊は,花弁を蒸した後,乾燥して板状にしたもので,熱湯によって戻して食
べます。
 頭花から花弁をむしる「菊ほかし」の作業には,農家や近隣の婦人等が動員されます。
例えば南部町の相内アイナイ地区においては,120軒の農家の約半数が食用菊を栽培してお
り,各農家が数人の婦人を雇うことになり,地区全体として数百人の婦人が,約20日間,
朝7時から夜9時過ぎまで,食事さえも作業場へ運ぶと云う日々を送ることになります。
人口7000千人の町にしてみますと,これは晩秋の一大社会的行事と云ってよいでしょう。
 
〈民族植物学の立場から〉
 民族植物学は,主として伝統的な社会,例えば雲南省の少数民族のような,長い歴史
を持ち,幾らか未開の社会において,人と植物の直接の関係を研究する学問分野です。
これら伝統的な社会において行われる事実を明らかにすることがまず大切ですが,その
事実を現代から再評価したり,新たな価値を付加して現代社会に活用したりすることも
民族植物学の範囲と考えられています。
 花食文化に関しても,伝統的社会においてどんな花がどのように食べられているか,
それにはどんな文化的・社会的意味があるかを明らかにすると共に,それを現代社会に
生かす豊作についても検討を加えます。
 この場合,花を季節の野菜として利用する立場もありますが,栄養的或いは医薬的効
用を求める研究も行われて良いでしょう。裴教授は食用シャクナゲのロドデンドロン・デ
コルムの花の化学成分の分析を行い,ミネラルやビタミンを検出しました。わが国の食
用菊にもビタミンが含まれ,高血圧と整腸に良いと云われます。もし,食用シャクナゲ
の花から薬効成分が発見されますと,医薬品開発の観点から重要視されることになりま
しょう。しかし,花食文化において対象とされる花の医薬的情報は殆どなく,今後の研
究に委ねられています。東南アジアを含めたアジアの各地において,食用にされる花の
情報が少しずつ増えつつありますので,それらの中から有望なものを求める研究が進め
られるかも知れません。
 
 その後の調査において,雲南省南部のハニ族やタイ族は,年間を通して可成り多種類
の花を食用にしていることが分かって来ました。
 タイ族は,フジウツギ科のブッドレヤ・オッフィキナリスの花を干して,ご飯に炊き込
んだり,お茶として香りと色(黄色)を楽しんでいます。またハニ族は,キョウチクト
ウ科のアマロカリクス・ユンナネンシスの花をサラダにします。
 バナナの花は,熱帯圏においては広く食べられていますが,ハニ族とタイ族は,苞ホウ
を剥いて花をちぎり,さっと水に晒してから軽く炒めた後,煮て食べています。
 
〈記録の必要性〉
 花食文化の研究は,急速に失われつつある伝統的社会の民族植物学的記録を残す意味
において,大切なことです。筆者は,雲南省を含めたメコン川の流域や,サルウィン川,
ガンジス川など,ヒマラヤに源を持つ多様な河川流域の山岳少数民族の花食文化の研究
を考えています。これらの地域においては,多くの少数民族が,狭い独立的な谷間に,
分断された社会を形成して生活して来ましたが,急激な経済的発展の中において,伝統
的な文化が失われるのではないかと危惧されます。
 経済的に未発展の社会においては,人間と自然環境は巧みな相互依存の関係を維持す
ることで長い歴史を刻むことが出来ました。このような社会にあっては,全ての利用可
能な植物は,有効に利用しつつ保存されています。花を食べると云うことも,自然資源
の利用と保存の両立が,伝統社会の知恵であるに違いありません
 このような,人と植物の相互関係を把握しようとする試みが,将来のヒマラヤ中心地
域の経済発展に対応する環境保全の立場から,民族植物学者の間において行われようと
しています。花食文化の研究は,その大きな流れの中において進展して行くに違いない
と筆者は考えています。
 
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