17a 植物の世界「多様なランをつくりだした共進化」
〈においを変えて異なるハチを利用〉
匂いについての研究が進んでいますのは,シタバチによって花粉が媒介されているラ
ンです。
シタバチの雄はランの花から匂い物質を集め,交尾行動のために雌のシタバチを呼び
寄せるのに利用していると云われます。ランの花の匂いは,幾つかの匂い物質の混合物
ですが,その組成と割合によって,花を訪れるシタバチの種類は限定されます。ある地
域のランがシタバチを惹き付けるために放出している匂いと,他地域のランが別のシタ
バチを惹き付けるために放出している匂いは異なることが,匂いの物質の分析によって
明らかになっています。即ち,ランは匂い物質の構成成分や濃度を変化させることによ
って,異なるシタバチを花粉媒介者として利用するよう進化しているのです。
最近,キンリョウヘンの花において,興味深いことが観察されました。キンリョウヘ
ンは中国原産のシンビジウム(シュンラン属)の1種で,園芸的に改良されたものが広
く栽培されていますが,この花がニホンミツバチの雄を強く誘引し,花粉塊を付着させ
ていたのです。京都工芸繊維大学の山岡亮平助教授等の研究に拠りますと,キンリョウ
ヘンの花の匂いの成分には,ニホンミツバチの雄を強く惹き付ける成分が含まれていま
す。始めは雌の性フェロモンとの関係が予想されましたが,実はそれとは異なり,ハチ
同士が食物の在処アリカを教える「誘引フェロモン」によく似ていることが分かりました。
〈生活を手助けする「ラン菌」〉
ランの大きな特徴の一つに,自分ではあまり元手をかけず,出来るだけ他の生物を利
用しようとする生活の仕方があります。植物の種子は,胚乳と云う養分の貯蔵器官を持
っていることが多いが,ランの種子は,胚乳を持たない上に,胚も少数の細胞で出来て
いて,最小限に切り詰めた構造になっています。そのため,多くの植物が種子から発芽
しますと子葉によって光合成を営んで独立生活を始めるのに対し,多くのランは自分自
身で得る栄養だけで生活することは困難です。栄養塩類の吸収には菌類の助けが必要で,
ランの生活を手助けする種類は一般に「ラン菌」と呼ばれています。
ランの種子が,土中や木の表面でラン菌に出合ますと,菌は種子の細胞の中に侵入し
ます。ラン菌はランの種子の死んだ細胞を消化吸収しますが,ランの生きた細胞に出合
いますと,逆に菌糸キンシの方がランによって消化吸収されます。このように,ランはラン
菌が周囲から取り込んだ窒素やリンなどの栄養塩類を利用して生活しますが,多くのラ
ンは,そのうち緑葉を開いて,自らの力で光合成を始めるようになります。これに対し,
緑葉を出さずに菌類からの栄養に一生依存して生活するのが「無葉ラン」の仲間です。
ランの種子が胚乳を持たないのは,種子を出来るだけ軽くして,少しでも多くの種子
を作ると云う戦略の裏返しです。ランの果実1個の中には,数万から数十万の種子が入
っていますが,これだけの数の種子を作るためには大量の花粉が必要になります。花粉
が花粉塊を作ると云うランの特徴は,大量の花粉を効率よく輸送するための工夫と考え
られます。
〈乾燥に強く,固着する花粉塊〉
花粉塊は2〜8個と数が少ないので,無駄にすることは避けなければなりません。そ
のために,ランは花粉塊を運んで貰う昆虫を限定する方向に進化して来た訳ですが,昆
虫の方は,ランに依存して生活する訳にはいきません。ランは薄暗い林床や乾燥の激し
い木の上などに生活していますので,昆虫に大量の蜜を提供することは出来ないからで
す。昆虫は,他の植物から蜜などの生活物質を集める合間にランの花を訪れることにな
りますが,昆虫に付着した花粉塊が次のランに届く前に昆虫から脱落したり,花粉の発
芽能力がなくなったりしては困ります。そこで,多くのランの花粉塊が,蝋質ロウシツで乾
燥に強く,昆虫の特定の部位にしっかりと固着すると云う性質を持っています。
更に,初めの花のとき昆虫に固着した花粉塊を,次の花のときに脱落させるための工
夫もあります。花粉塊は普通,本体である花粉の「塊カタマリ」と,昆虫に付着する「糊」
になる粘着体,そしてこの両者を繋ぐ「柄」からなります。粘着体で昆虫に付着した花
粉塊は,次の花の柱頭に花粉の塊が接触しますと,柄の部分がちぎれたり,花粉の塊が
壊れて少しずつ柱頭に付くことによって,受粉がなされるのです。
小さな種子を作ると云う戦略は,栄養不足のために他の植物との競争に負けることが
多く,普通はあまり成功しません。ランの場合は,ラン菌を利用すると云う方法によっ
て,この問題を乗り切ったのです。小さな種子を非常に多数作ることは,多くの遺伝的
に異なる子孫を作ることが出来ることになり,異なる環境に散布された種子が,その環
境に素早く適応することを可能にしています。
〈雑種を作りやすい〉
ラン科植物においては,人工的な育種によって,多くの種間雑種や属間雑種が作られ
ています。植物においては普通,受粉後に異種間において雑種を作ることを妨げる隔離
メカニズムが発達していますが,ランの場合は,それが弱いのも大きな特徴の一つです。
このメカニズムがどのように発達して来たかは,未だよく分かりませんが,ランが胚乳
を持たないことと関係があるかも知れません。即ち,胚乳がないために母親の細胞によ
る父親の細胞に対する拒否反応が弱まり,雑種が出来やすくなっている可能性がありま
す。また,種毎に花粉媒介昆虫が異なることによって隔離されていますので,受粉後の
隔離メカニズムは発達しなかったと云う可能性も考えられます。
ランは,自然においても稀に雑種が生じることが報告されています。その果実の中に
は多数の種子がありますので,中には生存力のある個体もあると考えられます。雑種か
ら生じた個体は,両親とは異なる形態や色彩,匂いを持つと思われますので,花粉を媒
介するために,両親とは異なる昆虫を利用することが必要になります。更に,雑種個体
は最初は遺伝的に不安定な状態にありますので,新たな花粉媒介昆虫が見付かれば,そ
の昆虫に適応するように,両親とは異なる形態に進化することも予想されます。
これまで観て来ましたように,ランは,昆虫を始めとする様々な動物に適応するよう
な多様な花を作り出し,種間の雑種から作られた個体が更に多様性を増すと云う過程を
繰り返すことによって繁栄は成功したのです。
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