17 植物の世界「多様なランをつくりだした共進化」
 
         植物の世界「多様なランをつくりだした共進化」
 
                      参考:朝日新聞社発行「植物の世界」
 
 ラン科植物は,世界中に約2万種が確認されていて,キク科と共に被子ヒシ植物の中に
おいて最も種数の多いグループの一つです。繁栄に成功した裏には,どんな背景があっ
たのでしょうか。
 
〈固有種が多く,変異の幅が広い〉
 ランは,果実の中に普通数十万個もの非常に多くの小さな種子を作り,それが風によ
って広く散布されます。ですから,広範囲に分布する種が多くありそうですが,実際に
はそれ程ありません。中には,ユーラシア大陸などに広く分布する種もありますが,大
部分は狭い範囲に分布する固有種で,産地が1カ所に局限されている種も多い。一方,
ある程度広範囲に分布する種でも,分布域の中において均一であることは稀で,地域的
に変異が見られ,少しずつ異なっているのが普通です。
 
 ランの花の構造は,花粉を媒介する昆虫の形態と密接に関連しています。多くのラン
においては,唇弁シンベンが昆虫の止まり場になっていて,ハチなどが花の奥に潜り込んだ
り出たりする際に蘂柱ズイチュウに接触し,花粉塊カイを背中に付けられたり,逆に背中の花
粉塊を柱頭チュウトウに付けたりします。花粉塊を付けるためには,昆虫の体が蕊柱にぴった
り押し付けられなければなりませんので,大きい昆虫が訪れるランは大きな花に,小さ
い昆虫の訪れるランは小さな花に進化します。
 また,ガなどの鱗翅リンシ目の昆虫が蜜を吸いに訪れるランにおいては,そのストロー状
の舌(口吻コウフン)に対応して細長い蜜腺ミツセン(距キョ)を作り,底に蜜を蓄えています。
ハシナガヤマサギソウのように,スズメガなど長い舌のガが訪れるランの蜜腺は長く,
キソチドリのように,ヤガ,シャクガなど比較的短い舌のガの訪れるランの蜜腺は短く
なっています。
 
〈媒介昆虫に適した花形に進化〉
 このように,ランの花の形態は花粉を媒介する昆虫の形態と密接な関係があります。
例えば,ある地域において特定の昆虫によって花粉を媒介されていたランが分布域を拡
大しますと,その昆虫があまり居ないために,花粉の媒介を他の昆虫に依存するように
なるかも知れません。そうしますと,新しい昆虫に適した花や蜜腺のサイズに変化する
と考えられます。
 花粉を媒介する昆虫への適応は,花のサイズだけではありません。花の色や匂いなど
も,昆虫に応じて変化すると考えられています。例えば,チョウは昼に活動しますので,
主に視覚によって花を認識しますが,夜行性のガにおいては嗅覚シュウカクの役割が高くなり
ます。その結果,チョウの訪れる花は,ツレサギソウ属のプラタンテラ・キリアリスのよ
うに,オレンジ色や黄色など,色彩が目立つことが多く,夜にガの訪れる花は,プラタ
ンテラ・ブレファリグロッティスのように,白や黄緑色など,色彩は目立たないが甘い匂
いを発散する花が多くなります。
 このように,ランの花が地域によって少しずつ異なるのは,ランの花の構造と花粉を
媒介する昆虫との対応が,地域によって,少しずつ異なるためと考えられます。
 
 それでは,ランと昆虫は互いに影響し合って進化して来たのでしょうか。確かに,ラ
ンは昆虫に合わせて進化して来たと云えますが,昆虫の進化には,ランはあまり関与し
て来なかったと思われます。何故なら,ランの方は,花粉塊を運んで貰わないと子孫を
残せないので致命的な影響を受けますが,昆虫の方は,ランの提供する僅かな蜜だけで
生活を賄うことは出来ず,主な食料源を,ラン以外の複数の植物に求めているからです。
 しかしながら,例外的にランが昆虫の進化に影響を与えていると思われる例もありま
す。マダガスカル島に自生しているアングラエクム・セスクィペダレと云うランで,蜜腺
の長さが30pもあり,舌の長さが25pもあるキサントパンスズメガによって花粉が媒介
れていることが知られています。
 スズメガの舌は,長い方が蜜腺の底に溜まった蜜を吸うのに有利です。ランにとって
も,蜜腺が短いと,スズメガが舌によって蜜だけを吸って花粉塊を体に付けずに飛び去
る危険性が増すので,蜜腺の長い方が有利になります。このように,ランの蜜腺とスズ
メガの舌の長さは,どちらもより長い方が有利なので,元々短かったものが,互いに少
しずつ長になって,今日見られるような極端な長さにまで進化したものと考えられてい
ます。
 
〈種ごとにさまざまな適応性〉
 ランの花の形態や色彩,匂いなどは,特定の昆虫による花粉媒介に適応していると云
ってよいが,特定の昆虫に花粉を媒介させる方法は,必ずしも一つとは限りません。と
云うより,寧ろいろいろなランが複数の異なる適応性を見出し,1種類の昆虫を利用し
ている例が報告されています。昆虫に花粉塊を付ける方法としては,唇弁から花の奥に
潜って行く際に蕊柱に体を押し付けると云う比較的普通のタイプだけでなく,次に挙げ
るような様々なタイプが報告されています。
 
 アツモリソウ属などにおいては,唇弁が袋状になっていて,ハチが匂いなどに誘われ
て袋の中に入りますと,入口からは出られず,横から出るようになっています。狭い出
口の上には蕊柱の花粉塊があり,這い出ようとする昆虫の体に付きます。
 ムギラン属においては,花に匂いがあり,萼片の先が糸状に伸びています。匂いと,
ひらひらと風にそよぐルアー状の萼片に誘われた昆虫(主にハエ)が花に触りますと,
バネ仕掛けで花粉塊が発射されてこんちゅうの体に付きます。
 ゴンゴラ属においては,上側にある唇弁の表面が非常に滑りやすく,止まったハチが
滑り落ち,蕊柱の上に落ちて花粉塊が背中に付けられます。
 
 花粉塊を付着させる仕組みが異なりますと,花の構造も可成り違って来ます。その仕
組みが複数存在することと,一つの仕組みの中においても昆虫毎に少しずつ異なる花の
タイプが存在すると云うことが,現在見られるようなランの花に多様性をもたらしたと
思われます。
 虫媒花植物の多くは,蜜や花粉などを昆虫に提供しているのですが,ランの場合,半
分位の種が提供せず,擬態ギタイなど様々な方法によって昆虫を誘っています。蜜によっ
て誘引する方法は,蜜だけを盗まれないよう花の奥に隠したりするため,花の構造に対
する制約が大きくなると云うデメリットがあります。擬態などによって旨く昆虫を操作
出来ますと,それだけ花の構造に対する自由度が高くなると考えられます。ランにおい
ては,昆虫のいろいろな行動を誘発するような様々な擬態が発達しています。
 
〈雌に「化け」,雄を誘う〉
 中でも有名なのが「偽交尾ギコウビ現象」で,ランの花が雌の昆虫(主にハチ)に擬態
することによって雄の交尾行動を誘発し,雄がランの花に抱き付くときに花粉塊を昆虫
に付着させると云うものです。この現象は,最初は地中海周辺に分布するオフリス属で
報告されていましたが,最近では,オーストラリアに分布するドラカエア属やクリプト
スティリス属などにおいても見出されています。
 特に面白いのはドラカエア属の「ハンマー・オーキッド」と呼ばれる仲間で,唇弁の匂
いと触感によって雌のハチに擬態し,雄を誘引します。雄が唇弁に抱き付きますと,唇
弁にある蝶番チョウツガイ状のバネ仕掛けによって花の中心に放り出され,強制的に花粉塊を
付着させられると云う訳です。実は,ハンマー・オーキッドの仲間の種分化には,匂いが
大きな役割を果たしていると考えられています。
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