13 植物の世界「地球温暖化と日本の森林帯」
 
          植物の世界「地球温暖化と日本の森林帯」
 
                      参考:朝日新聞社発行「植物の世界」
 
 化石燃料の大量消費などに伴って,大気中の炭酸ガスやメタンガスなどの温室効果ガ
スは年々増加しています。このため地球の平均気温は21世紀中に少なくとも2〜3℃上
昇することが予測されています。温暖化が進みますと,気温の上昇ばかりではなく気圧
配置を始め,降水量・暴風その他全ての環境要因が変わって来ます。生物集団も勿論例
外ではありません。
 温暖化が植物に及ぼす影響を観ますと,短期的には開芽・紅葉時期,生長量,生育適
地などに変化が表れます。中期的に観ますと一年生草本,多年生草本,低木,高木の順
に群落構成種が高地や北方に移動し,また,南限植物は衰退又は消滅します。長期的な
影響としては,森林帯が移動します。寿命が長く,移動に長時間を要する樹木は,新し
い環境下において優占する樹種が変わるため,元のような森林帯の配列になるとは限り
ません。
 
 温暖化の森林に与える影響は汎地球的には,中緯度地域においての高木林の減少と,
高緯度地域においての森林の拡大や生長量の増大と云う形で表れるものと考えられます。
温暖化によって,もし北方へ数百q程気候帯が急速に移動すると云った事態が起きます
と,森林を構成する樹種は著しく衰退をきたすことが予想されます。移動性の少ない針
葉樹類や動物散布種であるブナ科植物などの衰退は特に激しく,北方林においては,ト
ウヒ属などの針葉樹が後退し,先駆的樹種であるカバノキ科などの広葉樹が急速に優勢
となって行くであろうと考えられています。
 わが国の森林帯は,亜熱帯照葉樹林,暖温帯照葉樹林,暖温帯落葉樹林,冷温帯落葉
樹林,冷温帯針広混交林,北方針葉樹林,亜寒帯夏緑カリョク広葉樹林などに区分されます
が,温暖化によって,これらの森林帯を構成する主要樹木がどのように変動するかにつ
いて考えてみましょう。
 
〈亜熱帯照葉樹林域の拡大〉
 湿潤気候下にある日本列島においては,亜熱帯と暖温帯では共に照葉樹林が成立し,
森林景観は類似しています。ただし,前者は海辺においてマングローブ林が発達し,照
葉樹林の中にアコウ,ガジュマルなど亜熱帯系の樹種が混生し,また,林床にはサトイ
モ科,木生シダなどが発達するなど,暖温帯の森林よりも種の多様性が高く,複雑な森
林構成となっています。草本植物は移動に要する時間が短いことから,温暖化と共に,
暖温帯照葉樹林は次第に亜熱帯照葉樹林の様相を呈してくるものと予想されます。現在
の南西諸島の林床構成種が,九州や四国の照葉樹林において見られることになるでしょ
う。
 こうした森林構成の変化に伴って,固有種など地域において特色ある植物がどうなる
かははっきりしていません。例えば,カンアオイ類は南西諸島から本州の暖温帯にかけ
て,多くの地方において固有種が生育しています。これらの貴重種の種特性は,1万年
に数qしか移動が出来ないことにあります。カンアオイ類が旨く気候の変化に適応出来
るのか,また新しく侵入して来た植物と共存出来るかについては,今後注意深く見守っ
て行かなければならないでしょう。
 
〈クスノキは自然林で優占するか〉
 クスノキはわが国の暖温帯の標徴種です。寿命が長く巨木となり,『古事記』には造
船材として用いるよう指定されるなど,先史時代から用材として用いられて来ました。
クスノキは肥沃な崩積土壌を好んで生育しています。しかしながら,わが国の暖温帯林
においては更新種が殆ど見られません。クスノキの稚樹は寒さや乾燥に特に弱いのが特
徴ですが,自然状態において稚樹が見付からないのは,適地が農用地に変わり,また,
種子散布には特別の動物の役割が必要と考えられ,現在の状況においては,更新機構に
何らかの欠陥があるのではないかと観られます。このことから,温暖化によって,シロ
ダモ,ヤブニッケイ,タブノキなどのクスノキ科植物の分布域は拡大しますが,優占種
であるクスノキの生育域の拡大は悲観的であると考えられます。しかし,都市公園や街
路樹に最適な樹木ですので,クスノキは都市空間に中において繁栄することが約束され
ています。
 
〈暖温帯照葉樹林の北上〉
 日本列島は,今から6000年前の最温暖期には,森林帯は垂直方向で現在よりも300〜
400m上昇していました。また,日本海や津軽海峡には暖流が多量に流れ込み,函館付近
の海の暖かさは現在の房総半島付近程度であったことが,暖地性のウネウラシマガイの
生息状況から推定されています。こうしたことから,青森県浅虫アサムシ温泉のツバキ林や,
秋田県男鹿オガ半島や宮城県金華山キンカザンのタブノキ林は,この最温暖期に栄えた植物の
遺存群落であると捉えられています。
 進行しつつある温暖化は,人類のエネルギー大量消費による温室効果ガスに起因して
いるため,陸上植物相への影響は,これまでの気候変動とは異なることが予想されます。
ただし,結論的に云って,暖流や寒流の消長が大きな要因となっています。四方を海に
囲まれた日本列島の植物相を観ますと,暖流は南方の植物を北上させ,寒流は逆に北方
植物を南下させます。暖流の影響を受けた知床シレトコ半島には暖帯起源のエゾユズリハが
生え,寒流の影響を受けている太平洋側の襟裳エリモ岬には高山植物が生育し,内浦ウチウラ湾
の海岸の崖地にはミヤマハンノキ林が成立しています。寒流の勢いが後退し暖流の影響
が強まりますと,太平洋側も暖地系の植物に取って代わられることも考えられます。こ
うした海流による影響は,急速な温暖化が海流の流量や強さと,どのように関連し合っ
ているかによって変わって来ます。
 しかしながら,温暖化に伴って冷温帯落葉樹林から暖温帯照葉樹林へは,急速に移り
変わることはないものと予測されます。過去の例においても,後氷期の温暖期に大阪湾
岸においてコナラ林からアカガシ林への移り変わりは,ほぼ1500年を要し,最温暖期で
ある6000年前になって初めてカシ優占林となりました。内陸部の京都においては,その
1000年後の5000年前とされます。優占種の交代が気候の変化よりも遅れることは,暖温
帯の優占種が動物散布種であること,暖温帯の気候に適応出来るコナラなど,落葉樹種
の寿命が長く,かつ気候変動によって生じたニッチ(生態的地位)の空白を占めた結果,
照葉樹に立地を明け渡さないことなどによります。
 
 このような事情から,可成りの長期間を経て,太平洋側は関東地方北部から仙台にか
けて,日本海側は新潟県弥彦ヤヒコ山などのブナ林が,暖温帯落葉樹林を経て照葉樹林へと
変わることも予測されます。また,スギ・ヒノキ人工林においては,鳥散布によってア
カガシ,シロダモ,ヤブニッケイ,ヒサカキなどが林床に侵入し,スギやヒノキの庇護
の下に林床に定着し,その後,アカガシなどの高木が上層の生活空間を確保することに
なりましょう。
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