11a 植物の世界「奇形花の器官学」
 
〈先祖返り現象〉
 花弁の数が一定している植物においては,花葉はそれぞれ等間隔で放射状に並ぶのが
元来の姿です。しかし花粉を媒介する昆虫との共進化の結果,左右相称形の花を付ける
ようになった種は多い。
 ジギタリスやキンギョソウは,左右相称形の花を総状ソウジョウに付けますが,稀に花序
カジョの先端付近に放射状構造の花を付けることがあります。この放射状の花は,左右相
称形の花に比較して著しく大きいので,巨大怪物を表すギリシャ語からペロリアと呼ば
れます。ペロリアは放射状の原型に戻ったと云う意味で先祖返りの現象です。
 
 花葉の中で,萼片が最も葉の面影を留めていますが,それでも普通の葉に比べますと
小型化・簡略化されています。例えばバラの葉は通常5枚の小葉からなる複葉ですが,
萼片は単葉です。尤も5枚の萼片のうち,2枚は両翼に,1枚は片翼に小さな付属物を
付けており,これは複葉の名残です。ところがときどき,名残だけでなく,本当に複葉
の萼片を持つ花が見付かります。これは萼片に変形する前の普通葉フツウヨウの姿に戻った訳
で,矢張り先祖返り現象の一つです。
 これとは別に,バラの花において子房の外壁から葉が出ることがあります。また,キ
ュウリにおいては果実(偽果ギカ)の表面の疣イボから小さな葉が出ることがあります。
花葉形成の順序から考えて,子房は花弁の付け根より高い位置,少なくとも同じ高さに
付く筈なのに,バラなどでは子房の方が花弁より下になります。これは子房が花柄カヘイの
中に落ち込んだ結果です。換言しますと,花柄,即ち茎の組織の中に子房が落ち込んだ
のですから,子房の最外壁は茎の組織と云うことになります。キュウリの場合も事情は
同じで,その表面の組織は茎が起源なのです。そうしますとこれらは,茎から葉が出た
に過ぎない訳で,何れも珍しい現象ですが,不思議ではありません。
 
〈花弁と雄蘂の変異形〉
 花弁と雄蘂とでは外観は随分異なりますが,実は内部構造はよく似ています。コウホ
ネでは花葉の定数が定まっておらず,花弁から雄蘂へのいろいろな段階の移行型が見ら
れます。花葉の数が決まっている植物においては,逆に雄蘂が花弁に変化する現象は珍
しくなく,雄蘂の弁化と云われます。
 ハナカンナは夏の強い日差しの中において濃い原色の花を咲かせますが,この原色の
部分は全て弁化した雄蘂です。ハナカンナの花の原型は萼片3,花弁3,雄蘂3+3,
心皮3から構成されます。萼片と花弁とは3枚ずつ2段に付きますが,色も形も目立ち
ません。計6本ある筈の雄蘂のうち,萼片と同方向を向いていた3本は何れも弁化して
います。花弁と同方向を向いていた3本の雄蘂のうち1本は消失し,1本は弁化してい
ます。残る1本は左右何れか半分が弁化状に変形しています。半分が弁化した雄蘂の残
り半分は形も機能も雄蘂のままですので,花粉を生産する能力があり,立派に結実しま
す。弁化した雄蘂の先端部には,葯ヤクの痕跡を示すような変色部分が見られることがあ
ります。ハナカンナの変形は随分と劇的ではありますが,この花の特性ですので誰もこ
れを「奇形」とは呼びません。
 
 八重咲きを利用した園芸品種は多い。殆どの八重咲きは雄蘂の弁化に基づいたもので
す。茎頂ケイチョウで形成された雄蘂の原基が細分されて,二次的に雄蘂の数を増やす現象が
あり,これを両分リョウブンと云います。雄蘂が全て弁化してしまいますと花粉生産が不可
能になりますが,両分により予め雄蘂の数を十分に増やした上で一部を弁化しますと,
稔性の雄蘂も残ります。この場合,弁化は雄蘂群の周縁部から順に起こり,中心部には
稔性のある雄蘂が残ることが多い。しかしヤブツバキ,バラ,サクラなどにおいては,
雄蘂群り中程に孤立して弁化が起きることがあります。園芸家が「旗弁ハタベン」と呼ぶの
は,このような弁化雄蘂のことです。
 
〈心皮にかかわる変異形〉
 ウメ,モモ,サクラなどの花は普通,心皮を1枚持ちますが,それぞれ満開の季節に
注意深く見て歩きますと,意外な程簡単に複数の心皮を持つ花を見付けることが出来ま
す。殊にウメには1〜4枚の心皮がある花を付ける品種があります。このような花が結
実しますと,一つの蔕ヘタに複数の果実が付きますので,1蔕タイ4果などと呼ばれます。
セイヨウミザクラ,ユスラウメにも心皮を2枚持つ花が咲くことがあり,これらが結実
しますと1蔕2果即ち双子が出来ます。サクランボの双子もこれです。
 心皮は元々葉の変形と云えますが,心皮が小型の葉に変化する現象を心皮の葉化と云
います。栽培のサトザクラにおいては心皮の複数化と葉化が複合して起こることが多い。
複数の心皮が葉化するサトザクラは,観察(筆者中村信一氏)した限りにおいては全て
八重咲きでした。八重咲きのサクラは,花弁が散るのではなく花一輪が纏まって落ちま
す。花弁が離れにくい性質から,結婚の慶事などに喫する桜湯には,専ら八重咲きの花
が用いられます。桜湯の中の花弁を開いて見ますと,葉化した心皮を見付けることが多
い。
 
 花は通常,心皮を形成しますと生長を止めますが,その後も生長を継続することがあ
り,この現象を貫生カンセイと云います。バラの園芸品種においては,花冠カカンの中央から茎
が伸び出すことがあります。これは茎頂が伸長を止めて心皮を作る代わりに伸長を継続
してもので,先端貫生と呼ばれます。伸び出した茎の先端には,再び花が付くことが多
い。サトザクラにおいても同じような貫生が見られ,二段咲きと呼ばれます。その出現
頻度はバラよりは格段に高く,二段咲きの多発が特徴になっている品種もあります。ま
た,花弁に囲まれて数個の蕾が付くことがあり,これは花葉の腋芽が発達して花になっ
たものと推定され,腋生エキセイ貫生と呼ばれています。
 
 バラにおいては先端貫生も腋生貫生も,極めて稀にしか出現せず,その原因を推定す
ることさえ出来ていません。勿論人為的誘発に成功した例もありません。ただ,今まで
に貫生花を付けたバラは何れも,心皮の葉化が頻発する品種でした。
 ウメ,モモ,サクラなどの心皮の増数と葉化,サトザクラの二段咲き,バラの心皮葉
化と貫生,これらは何れも八重咲きの品種に出現し,一重の品種では,心皮に関するこ
うした変異は見られないようです。或いは心皮の変異と八重咲きとの間に,何らかの相
関関係があるのかも知れません。
 
〈原因究明はこれから〉
 生物学者として活躍した詩人ゲーテは前後2度,バラの貫生花に出会っています。『
植物の変態を説明する試論』(1790年)の中において,何れもとても蒸し暑い夏であっ
たことを記録しています。
 双頭蓮は,古くは飛鳥や奈良,京都などの都かその周辺において,今世紀に入ってか
らは人口急増地の近郊において出現しており,往時の生活排水と汚物の処理方法から観
て,三木博士は蓮池の富栄養化が一因ではないかと推定しました。
 アズマギクの1近縁種やリンドウの1近縁種に見られる貫生花には,常にそれぞれ特
定のダニの刺し傷が観察されると云う報告があります。
 また最近,シロツメクサ,ニチニチソウ,エゾスズシロと同属種の花葉が葉化した場
合,常にその篩部シブの組織内にマイコプラズマ(ウイルスと細菌の中間に分類される原
核生物)が存在することが発見され,このような観察記録の集積が続けられています。
 観察を手段として,「奇形」が形成される経路や要因を分析しようとする方法には,
個々の事実の集積が必要で,急速な進展は望めません。他方,近年目覚ましい進歩を続
けている遺伝子解析による器官形成の研究から,それぞれの花葉の発現に対応する遺伝
子が特定されています。「奇形」の発現も,遺伝子レベルにおいて解明される日が近付
いているのかも知れません。

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