05a 植物の世界「日本の森の変遷 − 6万年」
 
〈針葉樹優占時代の終末〉
 1970年代後半,筆者(辻誠一郎氏)は浅間火山の東麓トウロクや津軽平野の調査に浸って
いました。約二万数千年間の変遷を連続的に手に執って調べることが出来る,素晴らし
い泥炭層を発見していたからです。これ程に優れた地層の崖を,他の地域においては未
だに見たことがありません。
 堆積物の中から花粉を抽出し,種組成の変化から植生史を調べる方法を花粉分析と呼
んでいます。過去二万数千年間の連続堆積物をこの方法によって解析して観ますと,約
1万1000年前,これまでの話にような針葉樹が優占する植生が劇的な終末を迎えたこと
が分かります。浅間火山東麓においては,落葉樹のコナラ属の優先する植生へと一気に
変化しました。泥炭層も褐色から黒色へと色がはっきり変わり,花粉もそれを裏付ける
かのように,カヤツリグサ科の優占からイネ科やシダ類の優占へと急変しました。
 
 このような急激な変化は,勿論津軽においても明瞭に描くことが出来,日本各地のボ
ーリング調査においても確かめられるようになって来ました。これは正に最終氷期の終
焉シュウエンを意味しており,全般に寒冷乾燥気候が卓越した氷期から,温暖で湿潤な気候が
支配する間氷期への移行を示します。日本海には対馬暖流が流入し始め,黒潮の勢力は
大きくなると共にわが国の沿岸に急接近し始めました。現在に続く間氷期の象徴でもあ
る縄文ジョウモン海進カイシンはこの変化を以て始まったのです。
 ところで,広くわが国を見渡して観ますと,針葉樹の急激な衰退後,ブナ林や照葉樹
林と云った今の代表的な森林植生に一気に移行した訳ではありませんでした。関東地方
以西においては,まず落葉樹のコナラ属やクリが針葉樹に取って代わり,エノキやムク
ノキの短期間の優占を経て,シイやカシの仲間からなる照葉樹林へと移り変わりました。
中部地方や関東地方以北においてはコナラ属の優占がそのまま継続するか,僅かに遅れ
てブナも加わり,種数の多い落葉広葉樹林へと移り変わりました。
 
 照葉樹林を造る樹種やブナの分布の拡大は,南の方が早かったことは確かですが,拡
大の仕方には幾つかの考えが提唱されています。最終氷期に現在より南に閉じ込められ
ていたか,或いは局所的に取り残されていた集団が,気候の温暖・湿潤化と共に徐々に
北方へ拡大したと云うのが一つです。もう一つは,拡大の時期は南の方が早かったので
すが,海進が一時的に止まったり,海面が下がると云う海況の変化,或いは巨大噴火の
ような事件を契機として,段階的に拡大して行ったと云う考えです。
 かつて筆者も前者のように考えていましたが,海に囲まれ,生態系の秩序を一瞬に崩
すような突発的な事件が多いわが国においては,これからの豊富な資料の蓄積によって,
後者の考えの正しさが裏付けられるのではないかと思っています。
 
〈平野を覆う縄文後期の大森林〉
 大地や丘陵を除きますと,平野は見渡す限り広大な低地です。人口集中域でない処は
農耕地として拓かれ,低地は見通しの利く馴染み深い空間です。弥生時代以降,水田稲
作農耕や畑作農耕の伝播によって造られて来たこのような空間に,開発される以前のお
よそ二千数百年間,鬱蒼とした森林が成立していたことなど,私共は最近まで想像もし
ませんでした。
 1980年代に入りますと,低地や谷に及ぶ規模の大きい遺跡の発掘調査が各地において
急増し,自然環境や人間の生業についての夥オビタダしい資料が得られるようになって来
ました。その中において私共が驚きを以て注目したのは,およそ4500年前から二千数百
年前の森林がそのままパックされて残されていた大規模な埋没林でした。まず,東京低
地の台地縁や埼玉県の大宮台地から群馬県の館林タテバヤシ台地に刻まれた谷において,湿
り気の高い処にハンノキ,ヤチダモを主とする湿地林,少し乾いた処にトチノキ林やケ
ヤキ,ムクノキ,アサダ,カエデの仲間などからなる落葉広葉樹林が次々と見出されて
行きました。これらの埋没林は,ほぼ木本の植物遺体のみからなる泥炭の中に埋まって
おり,森林がその場において枯死し,埋積して行ったことを物語っています。
 
 縄文海進がピークを迎えるのは約6300年前です。その後,海面は停滞或いは少しずつ
低下を始め,約4500年前,急速に海退カイタイの時代に入りました。縄文中期の小海退と呼
ばれます。関東平野を始め海に面したわが国の殆どの平野は,縄文海進期に侵入してい
た海が急速に退いて行き,その跡に広大な陸地が出現しました。この陸地が何時までも
裸のままであった筈はありません。湿原植物がいち早く侵入し,泥炭地化が急速に進み
ました。泥炭の埋積は地下水位を低くし,森林の成立を大いに促進したと考えられるの
です。
 若狭湾ワカサワンに面した福井県の三方ミカタ低地帯においては,縄文時代後期に樹齢が200年
を優に超えるスギやハンノキ,ヤチダモからなる低地林がそのほぼ全域に成立していた
ことが,その後分かって来ました。更に秋田県や青森県の津軽地方の海岸部にも見られ
る広大な砂丘地帯が,当時はブナやトチノキなどの落葉広葉樹林に覆われていたことも
明らかになりました。海退によって出来た広大な陸地,そして砂丘形成の停止,これら
が一気に植物分布の拡大を促し,平野部に大森林時代をもたらしました。気候の寒冷化
と立地空間の出現は勿論,森林の樹木だけではなく,様々なな植物群に様々な戦略を伴
った移動と分布の拡大を促しました。
 
 弥生時代に入りますと,突然,大森林時代は幕を閉じました。弥生の小海退と呼ばれ
る新たな環境変動,そして農耕伝播に象徴される人間活動の活発化が複雑に絡み合い,
わが国の植生史はそれまでとは性格の異なった新たな道を歩み始めます。
 植生史を詳細に編み,復元される植生やその変化を深く理解するには,地球史と云う
広い視野で考えなければならないことは云うまでもありません。最終氷期から後氷期に
かけて,どのような植生の変化があったかを観て来ましたが,何時の時代においても植
物は様々な環境要素と深く関わりながら変化して来たことが,幾分理解出来るようにな
って来ました。ですが,これはあくまで巨視的な変化に過ぎません。植生を形作ってい
る多数の植物種はそれぞれどのような戦略を操って生き続けて来たのでしょうか。環境
変動が急激なときと穏やかなときとでは,どのように違うのでしょうか。
 いま生きている植物とは違って,植生史を語ってくれる材料は断片的で限られていま
す。地層の中に残された情報は僅かでも,根気よく引き出す努力を欠かすことは出来な
いでしょう。

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