04 植物の世界「日本のフロラ史」
 
〈すでに「現代的」フロラ〉
 わが国の漸新世植物群は少ないが,北海道北見市や兵庫県神戸市などにおいて知られ
ています。
 北見市の植物群は落葉広葉樹が主体で,先に述べたツルガイ植物群と似たフロラを有
しています。クルミ科のフジバシデ属やその他に2〜3の絶滅種を含んでいますが,明
らかに現代型の温帯フロラです。北見市の植物群には,メタセコイア属やスイショウ属
のほかに,コウヤマキ,ネズコ,トウヒ,モミなどの針葉樹属も多数含まれています。
当時の山地や北方地域には,温帯性落葉広葉樹林と共に,現在の針葉樹林に近い森林が
存在していたのでしょう。ユーラシア大陸東北部においても針葉樹林が存在していまし
た。この時代にも北海道とユーラシア大陸のフロラには共通性が見られます。
 神戸の植物群は,北見市の植物群と異なって常緑のカシ類やクスノキ科を伴った温暖
なフロラ組成を有しています。
 神戸市の植物群は長い間,中新世のものだと考えられて来ました。このことは,始新
世の植物群と比べますと現在絶滅している属が少なく,種のレベルにおいても現生種と
の類縁がより明瞭で,フロラがより「現代的」様相を示していることに原因がありまし
た。北見市やツルガイ植物群をわが国の冷温帯フロラの原型としますと,神戸市の植物
群は暖温帯のフロラの原型と云ってもよい。
 北見市や神戸市の植物群に見られる落葉のナラ類やヤナギ,シデ,カバノキ,ブナ,
カエデの各属などには,漸新世の温帯気候に適応して分化した植物で,続く中新世に多
様に発達します。この類型の植物は少なくない。日本列島が未だ形成されていないこの
時代に,既にわが国のフロラの原型は確立されていたと云ってよいでしょう。
 
〈日本列島の誕生とフロラの変化〉
 日本列島は千島弧,東北日本弧,西南日本弧,伊豆 − マリアナ弧,琉球弧の五つの
島弧の集まりです。このため,日本列島は変化に富んだ地形をしており,フロラの形成
にも大きな影響を与えて来ました。
 それぞれの島弧は独自の形成史を辿って来ましたが,約1500万年前(中新世中期)に
は,現在の日本列島に近い骨格が形造られました。これより前の時代は,ユーラシア大
陸の東縁部を占めていました。
 日本列島の形成される前,およそ2500〜1800万年前(中新世前期)の植物群は,秋田
県の阿仁合アニアイ鉱山の化石群で代表され,阿仁合型植物群と呼ばれますが,基本的に北
見市やツルガイの漸新世植物群と同じフロラ組成です。この時代の植物群からは,当時
のわが国がほぼ全域に亘って落葉広葉樹林或いは針葉樹・広葉樹混交林に覆われていた
ことが分かります。ファグス・アンティポッフィ科や多様に分化したカバノキ科やカエデ
科の植物は阿仁合型植物群の特徴です。
 
 約1800万〜1500万年前(中新世前期〜中期)に,わが国は一時的に温暖な気候下に置
かれます。それに伴って,常緑のカシ類やクスノキ科植物を中心とする常緑広葉樹林(
照葉ショウヨウ樹林)が本州や北海道南部に成立します。場所によっては,ヒルギ科などのマ
ングローブ植物の花粉が見付かっています。現在はわが国に自生していないコムプトニ
ア属(ヤマモモ科)やフウ属(マンサク科)はこの温暖期を特徴付ける植物です。
 日本列島が形成された1500万年前以後,気候は再び寒冷化に向かい,フロラも現生種
により近いもので構成されるようになります。約1000万〜500万年前(中新世後期)に
は,現生のブナに近いブナ属の単一の種(ムカシブナ)が優占する「ブナ林」も出現し,
日本列島に広く分布していました。種分化が加速して,ツツジ科やバラ科の植物が多様
になるのは,この時代です。
 
 漸新世以来のいわゆる第三紀的なフロラは,いわゆるメタセコイア植物群によって示
されるように,鮮新世センシンセイから第四紀の前半(およそ100万年前)まで存続します。そ
の後,氷期・間氷期の時代を迎え,古いタイプの植物の絶滅と新しく分化した植物の出
現を経て,現在のフロラに至っています。
 
〈多様な日本のフロラ〉
 イチョウ,メタセコイア,ヒッコリー,スズカケノキ,ヌマミズキなど,第三紀にわ
が国において繁栄し,その後日本列島から絶滅した植物(現生属)は多い。
 しかし,スギ,コウヤマキ,ノグルミ,カツラ,ヤマグルマの各属など古いタイプの
植物が日本列島には残存していますし,今まで述べて来ましたように,ブナ属やカエデ
属などの温帯林の樹木の多くは漸新世や中新世に繁栄した種類です。照葉樹林について
も同様で,わが国の湿潤森林はそれ全体が第三紀の面影を留めた,"生きている化石森林"
の一面があります。わが国は中国と共に,世界において最も第三紀からの植物が残存し
ていると云っても過言ではありません。これらの植物と,本稿においては殆ど触れなか
った,中新世以後の日本列島において新しく出現した植物の混合が,わが国のフロラの
特徴です。
 
 変化に富んだ地形は日本列島が変動帯にあると云う結果で,多様なフロラを有する一
因です。しかし,決定的な要因としては,汎世界的な環境変動があり,更にわが国が日
本列島の形成の前後とも中緯度の大陸東岸に位置し,多湿環境下に置かれて来たことが
挙げられるでしょう。
 現在の日本列島は,ユーラシア大陸の西岸に比べて,夏は蒸し暑く(高温多湿),冬
は寒いと云う気候特性があります。この特性は,ヒマラヤ山脈やチベット高原の隆起が
約500万年前以降顕著になり,冬季の大陸寒気団の吹き出し(北西季節風)が生じたこと
による,日本海地域の多雪と云う現象によって加速されたに違いありません。こうした
環境変化は植生やフロラにも大きな影響を与えたと考えられますが,よく分かっていま
せん。第四紀におけるメタセコイア植物群の衰退とも或いは関係があるかも知れません。
これは今後の興味深い検討課題で,植物化石群や古環境の精細な研究が待たれます。

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