47 植物の世界「塩沼地の植物」
 
             植物の世界「塩沼地の植物」
 
                      参考:朝日新聞社発行「植物の世界」
 
 波が静かな内湾の河口付近には,川から運ばれて来た砂によって砂州が形成されます。
砂州の内側には海水が浸漬シンシして塩分濃度が高くなった塩沼地エンショウチと呼ばれる湿地が
出来ます。そのような塩沼地には,特有の性質を持った塩生エンセイ植物が分布しています。
 かつてわが国は,海岸に広く塩沼地が分布していました。しかし,河口や海岸の護岸
工事によって砂浜や砂州が消え,開発によって臨海工業地帯になり,塩沼地は殆ど見ら
れなくなってしまいました。それでも東京湾の埋立地の海水が淀んだ処には,塩生植物
として知られるキク科のウラギクが自生しています。アカザ科のアッケシソウ属も見ら
れるとの話によって探しましたが,見付けられませんでした。
 近年,野生生物種の保全と云う観点から,渡り鳥の生息地として湿地の重要性が叫ば
れています。そのため1975年に,「ラムサール条約」(正式には「特に水鳥の生息地と
して国際的に重要な湿地に関する条約」)が発効し,わが国も1980年に加盟しました。
現在,わが国が登録している湿地には,北海道の厚岸アッケシ湖・別寒辺牛ベカンベウシ湿原,霧
多布キリタップ湿原,釧路湿原,クッチャロ湖,ウトナイ湖,宮城県北部の伊豆イズ沼・内ウチ
沼,千葉県の谷津ヤツ干潟,石川県の片野カタノ鴨池,滋賀県の琵琶湖があります。しかし,
国立公園には指定されているものの,塩生植物が豊富に自生している北海道のサロマ湖
や瀬戸内海の塩沼地は登録されていません。また,6〜7年前には博多湾の雁ノ巣ガンノス
にイソホウキギやハママツナが自生していましたが,埋め立てられて消滅してしまった
のではないでしょうか。
 
〈塩生植物の分布〉
 北海道の太平洋,オホーツク海沿岸には,日本国内に残された数少ない塩生地があり,
様々な塩生植物が分布しています。取り分けサロマ湖や能取ノトリ湖の岸辺一帯にはアッケ
シソウが純群落を形成しています。夏の終わりになりますと植物全体が赤味を帯び,一
面が赤い絨毯を敷き詰めたようになります。サロマ湖の岸辺には他にもホソバノハマア
カザなど数種の塩生植物が見られます。
 わが国の塩沼地は専ら海岸に分布しています。地下に塩の層がある内陸においても,
潅漑によって塩が溶け出し,地表面に毛細管現象で上昇して来て塩生地になり,農作物
の栽培に適さなくなった地域があります。そのような塩性化により放棄された農耕地に
も塩生植物は侵入しています。
 
 熱帯や亜熱帯の河口付近に発達した塩沼地には,マングローブ植物と呼ばれる極めて
耐塩性の高い樹木群が森林を形成しています。センダン科,ヒルギ科,クマツヅラ科,
シクンシ科などに属する植物から構成され,世界中に約90種のマングローブ植物が存在
するとされます。わが国においてヒルギと云いますとマングローブ植物のことを指しま
すが,ヒルギ科には,15属約135種があり,ヒルギ科のマングローブ植物は,ヤエヤマヒ
ルギ属,オヒルギ属,コヒルギ属,メヒルギ属の4属17種が世界の熱帯や亜熱帯に分布
しているに過ぎません。因みに,ヒルギ科の中でヤエヤマヒルギ属に含まれるマングロ
ーブ植物が最も利用価値が高く,かつ世界の熱帯,亜熱帯に広く分布しています。
 
〈北限のマングローブ林〉
 マングローブ植物は,その多くが熱帯の塩沼地に群落を作りますが,鹿児島県薩摩半
島の喜入キイレ町(北緯31度40分)にメヒルギの純群落が見られます。このメヒルギ群落の
規模は小さいが,北半球におけるマングローブ林の北限として有名です。現地において
はリュウキュウコウガイと云う名で親しまれ,国の特別天然記念物にも指定されていま
す。一方,南半球においてはオーストラリアのメルボルンに見られるヒルギダマシ(ク
マツヅラ科)のマングローブ林が最南(南緯37度49分)に分布するものとして知られて
います。
 鹿児島県から南下して沖縄本島や石垣島,西表イリオモテ島に行きますとマングローブ林を
構成する樹種が増え,メヒルギの他にオヒルギ,ヤエヤマヒルギ,ハマザクロ,ヒルギ
ダマシ,ヒルギモドキなどが見られます。
 
 マングローブ林は同一の樹種によって構成されるものではなく,海から内陸に向けて
異なった樹種が帯状に分布しています。河口から上流に川を遡って行きますと,優占す
る樹種がはっきりと変化するのが分かります。西表島においては,海側にオヒルギが優
占するマングローブ林が分布し,内陸に入りますとヤエヤマヒルギが優先する林になり
ます。何故樹種が変化するのかには諸説があり,土壌のpH,塩類濃度,耐塩性の違い
などが挙げられます。
 
 1991年現在,アジア諸国において最もマングローブ林の面積が広いのはインドネシア
で425万haに上ります。次に広いのはマレーシアですが,半島部,ボルネオ島のサバ,サ
ラワク両州を合わせて63万haです。東南アジアの熱帯におけるマングローブ林は,他の
熱帯樹のように伐採され,チップの生産,エビの養殖池の造成によって極端に減少して
います。インドネシアの熱帯林伐採速度は年間1200平方qと報告されていますが,1975
年までは伐採を免れていたマングローブ林も,養魚場造成のためにだけでも年間1850平
方qが伐採されています。マングローブ林の再生は極めて難しく,放棄された養魚場の
多くは沼地のままになっています。
 
〈塩生植物の特徴〉
 塩生植物の定義は,「高塩分濃度環境下において生長し生活史を完結する植物」です。
もっと具体的に塩生植物を定義しますと,「浸透圧シントウアツを調節することによって植物
体内の塩分濃度を制御する機能を持つ植物」となります。即ち,塩分濃度の高い処にお
いて生育する植物が必ずしも塩生植物と云う訳ではありません。例えばサロマ湖の塩沼
地には,アッケシソウやホソバノハマアカザに混じってヨシが生えています。ヨシは耐
塩性が極めて高い植物ですが,塩生植物ではありません。
 一般に,塩生植物は厚い肉質の葉を持ちます。葉が厚いと云う特徴は,乾燥地に生え
る乾生植物にも見られます。塩は水の浸透圧を高める働きを持つため,塩の影響は植物
にとって乾燥と塩そのものの両方のストレスとなります。
 塩生植物は,細胞の浸透圧を高くして細胞の中に多量の塩分が入らないようにしてい
ます。塩生植物のある種は塩沼地にしか生育出来ないのではなく,塩分を含まない土壌
においても生育出来ます。塩生植物を塩分の含まない土壌において育てますと葉の厚さ
は薄くなり,植物図鑑に記載されているような外見的性質を失います。また,塩生植物
でない普通の植物を塩分濃度の高い処において育てますと葉は厚くなり,塩生植物のよ
うな形状を呈するようになります。
 
 マングローブ植物は胎生タイセイ種子と呼ばれる種子を付けます。胎生種子は,母樹に付
いたまま果実の中において発芽し,胚の一部は果実の外に伸び,数十pから1mにもなり
ます。この長い果実は落下しますと土に刺さって直ちに根を伸ばして,其処の処に定着
します。一般的な植物のように果実が落下してから発芽するのではなく,波に流された
り,塩水によって発芽が阻害されたりしますので,マングローブ植物は胎生種子を付け
る戦略を採っているのでしょう。マングローブ植物以外の塩生植物の中にも,胎生種子
に似た発芽種子を持つものがあります。種子の発芽にとって塩は濃度が可成り低くても
阻害要因となるため,このような発芽様式は,環境への巧みな適応の結果,生じたもの
でしょう。
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