47a 植物の世界「塩沼地の植物」
 
〈塩による生理障害〉
 高等植物は,葉の表面や裏面に散在する顕微鏡でしか見えない小さな気孔から空気中
の二酸化炭素を吸収して,光合成作用によって糖類や澱粉を合成し,生長しています。
一方,同じ気孔から葉の水分を蒸散作用によって大気中に放出しています。葉への水分
供給は,根の周りと大気の水ポテンシャルの差によって,根から吸収した水分が幹や茎
を通って葉に輸送されることによって行われています。
 多くの植物は,昼間に気孔を開いて蒸散しますので,日中,温度の高いときに夜間よ
りも多くの水分を葉から大気中に放出します。根の周りの水分が減少したり,塩分の濃
度が高くなって浸透圧が高まり水ポテンシャルが低くなりますと,葉に十分な水分が供
給されなくなり気孔は閉じてしまいます。そのため,多くの植物は塩分濃度の高い処に
おいては気孔を閉じてしまい,空気中の二酸化炭素を吸収出来なくなったり,塩による
生理障害を起こして枯れてしまいます。
 
 インドや中国の砂漠地帯において農作物のために潅水しますと,毛細管現象によって
地中から塩が地表面に上がって来ます。そのため,農作物や多くの植物は乾燥と塩害の
ために枯れてしまい,特殊な植物しか生育出来ません。タイ北部のコンケン辺りの農耕
地帯においても砂漠において起こるような現象が見られます。地表面は地中からの塩に
よってうっすらと白くなっています。農作物は塩害によって枯れてしまうため,農地は
放棄され,塩生植物が生育します。
 
 それでは,農作物や多くの非塩生植物が生育出来ない処において,塩生植物はどのよ
うにして生育出来るのでしょうか。
 
〈耐塩メカニズム〉
 植物は,生育場所の環境が悪化したからと云って他の場所に自由に移動出来ません。
そのため,劣悪な環境に生育する植物は,様々な手段によってその場に適応するように
生命活動を変えています。このような植物の塩分ストレスに対する抵抗性の機構は,
 @植物体内に塩分が入らないようにする,
 A植物体内に塩分が入っても耐えられる,
 B塩分を植物体外に排出する,
の三つに大別されます。
 例えば,アカザ科のアトリプレクス・ハリムス,イネ科のスパルティナ属やディスティ
クリス属は吸収した塩を植物体から排出する機構を持つ植物として知られています。マ
ングローブ林を構成するヤエヤマヒルギやアエギアリティス・アンヌラタ(イソマツ科)
は,外界の塩分濃度が高いときには塩を排出し,低いときには蓄積すると云った,植物
体内の塩分濃度を調節する働きを持っています。このような植物は,吸収した塩を細胞
の液胞エキホウに蓄積し,光合成を行う葉緑体や呼吸を行うミトコンドリアの働きに影響を
与えないようにして細胞の浸透圧を高め,塩を含んだ水の中から水だけを吸収して生長
や生命活動を維持するのに使います。そして余分になった塩は,葉の表面にある塩類腺
から体外に排出します。
 
 ある種の塩生植物は植物体の一部をゴミ箱のように使い,溜め込んだ塩を体外に捨て
て,体内の塩分濃度を調節しています。イグサ科のユンクス・ゲラルディやユンクス・マ
リティムスは極めて耐塩性が高い。これらは,高濃度の塩分を古い葉の中に集積し,葉
内の塩分濃度がある程度以上になりますと葉を落とし,直ちに新しい葉を展開し,より
高濃度の塩を吸収するようになります。また,乾燥地に生える多くのアカザ属の植物は,
葉面に太くて短い塩毛エンモウと呼ばれる組織を持ちます。この塩毛の中の気泡細胞(塩類
嚢ノウ)に塩を集積し,塩分濃度が高くなりますと塩毛を落として,新しい塩毛を付けま
す。
 
〈塩とCAM植物〉
 砂漠や岩場などに分布するCAMカム(ベンケイソウ型有機酸代謝)植物の中には,昼
間に気孔を開いて蒸散を行っていたのが,塩を加えて育てますと,昼間は気孔を閉じて
夜間に開いて光合成を行うようになるものがあります。これも塩分を含む環境への適応
機構の一つと考えられます。しかし,塩分を含む環境下で夜間に行うCAM植物の光合
成能力は,塩分を含まない環境下においての光合成能力よりも可成り低い。更に塩分濃
度を高めますと,枯死はしないものの,植物体内において夜間に二酸化炭素を放出し,
昼間に光のエネルギーを用いて放出した二酸化炭素を固定するようになるため,殆ど生
長しなくなります。
 
 このほかにも塩生植物は,高塩濃度環境下において葉の面積を小さくしたり,気孔や
葉の数を少なくしたりして(水分の消費を少なくして塩分をなるべく吸収しないように
して)耐塩性を高めています。このように,塩生植物は様々な手法を用いて巧妙に植物
体内の塩分濃度を調節します。そして塩の害から身を守って,塩沼地のような他の植物
が侵入出来ない処において生長を続けます。
 塩生植物の中には,生長のために塩分を必要とする種もあります。例えばホソバノハ
マアカザにおいては,塩を全く加えないよりも,海水の10分の1濃度程度の塩を加えた
方が光合成の活性が高まったり生長がよくなります。これは,微量養分として,塩の中
のナトリウムイオンを植物体が必要とするからです。C3型の塩生植物以外にも,C4型
やCAM型の光合成を営む植物がナトリウムを要求することが報告されています。この
ような塩を必要とする塩生植物としてアカザ科のイソホウキギやアトリプレクス・トリア
ングラリスが知られます。
 
 塩生植物の中にはマングローブ植物のように,土壌中に塩分を全く含まないと普通は
育たない植物もあります。ですが,中には温室において塩を含まない鉢によって育てて
もよく生長し,花を咲かせて果実を付けて鉢一杯になるまで繁殖する種もあります。そ
のような塩生植物を,野外の塩を含まない土壌において育てても,可成りよく育ちます。
多くの植物は塩分濃度が高いと生長出来ません。そのため,そうした普通の植物が塩沼
地に見られないのは当然として,塩生植物が内陸に分布せず,塩沼地にしか分布しない
のはどうしてでしょうか。
 
〈塩生植物は弱者〉
 植物の生長にとって,光は欠くことの出来ない環境要因です。それ故,他の植物との
野外においての競争は光の獲得を巡っての競争と云ってもよい。もし,この競争に負け
ますと,植物は何れその生育場所から消え去ってしまいます。鬱蒼ウッソウとした常緑樹か
らなる森林の林床やササ群落の下に,草や木の実生が生えて来ないのは,光が弱過ぎて
植物が侵入・繁殖が出来ないからです。そのため,如何に周囲の種より早く丈を高くし
て光の獲得競争に勝ち,その場を占拠するかに植物の生存戦略があります。塩生植物は,
内陸においては光の獲得競争に勝てないため,他の種が侵入出来ない塩沼地のような環
境の悪い処に追い遣られたと考えられています。
 塩生植物は,塩沼池のような悪環境下において様々な適応戦略を執って生命活動を維
持し,他の種に邪魔されることなく次世代を残すために繁殖しているのです。しかし,
生育環境が開発などによって破壊されますと,塩生植物は生き延びるための場所を見付
けられずに地球上から消滅してしまいます。現在,野生生物の保護は,主として大型動
物の保護に目が向けられていますが,野生の植物にも保護の手を差し伸べなければなら
ない時代に来ていると思われます。

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