44 植物の世界「国によって異なる花の好み」
 
          植物の世界「国によって異なる花の好み」
 
                      参考:朝日新聞社発行「植物の世界」
 
 花を見て,美しいと思わない人はいないでしょう。しかし,世界中の人が皆同じ感覚
で花を見るかどうかは疑問です。例えば,ツバキの自生地において暮らす日本人と,18
世紀にツバキを導入した欧米人とでは,花に対する美意識に大きな違いがあるようです。
それを身を以て感じたのは,1983年,米国のカリフォルニア州サクラメントにおいて開
催された国際ツバキ協会の総会のときでした。
 当時,筆者(萩屋薫氏)は同協会の理事をしていたため,サクラメントにおいて開催
されたツバキ展において,品評会の審査員の一人に指名されました。このツバキ展は,
当時既に60年の歴史を持つ由緒あるものでした。市民センターの広大なホールには,大
きなテーブルが8列に並べられ,その上に置かれた銀製のポットやお盆に何千と云うツ
バキの花が載せられていました。花は大きさ別に5段階に分類され,1品種1花,3花,
5花,11花と組み物にして並べられ,各グループは品種名のアルファベット順に配列さ
れていました。
 筆者は,地元の2人の審査員と組んで,ヤブツバキ系の大輪品種の一部とトウツバキ
系品種の一部に点数を付けて回りました。審査をしながら,花だけを並べたこの品評会
のやり方に戸惑いと抵抗を感じました。このような方法ですと,どうしても派手で豪華
な花が人目を惹き,花の気品や可憐さ,或いは,"わび"や"さび"と云った繊細な美しさ
が見落とされ,花と葉や枝のバランスなどは分かりません。
 もし筆者が英語を自由に話せて,各国のツバキ愛好家の前において自分の意見を述べ
る心臓の強さがあったとしたら,きっと総会の席において立ち上がって次のような演説
をしたことでしょう。
 
〈仮想大論争〉
 「淑女,紳士の皆様,私を本日のツバキ品評会の審査員の一人に加えていただき,光
栄に存じます。しかし正直に申しまして,私はこの品評会の方法が日本とは非常に違っ
ていますので,大いに戸惑い,抵抗を感じました。日本においては,切り枝を瓶に生け
て展示したり,鉢物や盆栽にして並べて優劣を競いますが,此処においては花だけを並
べて美を競う方法が採られているからです。
 ところが最近は,日本においても米国の真似をして,各地において美人コンテストが
催されています。そのときは,水着姿の女性をステージに立たせて,顔だけでなく身体
のプロポーションを観ると共に,話をしたり,その女性の全体像を審査します。多分,
本家家元の米国においても同じだと思います。それなのに,どうしてツバキのコンテス
トにおいては花だけを対象にして,葉や枝を審査の対象にしないのでしょうか。
 序でに云いますと,ツバキの花のコンテストにおいて,何故花の大きさ別に審査する
必要があるのでしょうか。この点も理解に苦しむところです。皆様は,美人コンテスト
に体重別とか身長別の階級制を採っていますか。私は,階級制はレスリングやボクシン
グのような格闘技だけにあるものであると思っていましたが,花の審査にもあるので驚
きました。日本においては,相撲のような格闘技においても体重別階級制は採っていま
せん。それは,体の小さい選手でも技が旨くて,大男を投げ飛ばすことが屡々あり,そ
れが技であると考えるからです。
 花も,大きい方が美しいとは考えません。小さい花にも小さいなりの美しさがあるか
らです。特に,切り枝や鉢植えにおいては,花と葉や枝とのバランスがよく,大きな花
とは別の美しさを持つものがあるからです」
 
 もし私が,実際にこのようなスピーチをしたとしましたら,どう云う結果になったか,
想像しただけで汗が出て来ます。おそらく筆者は総攻撃を食らって,立ち往生する結果
になったことでしょう。「君の意見はおかしい。抑もツバキと人間とを同一に論じるこ
とは出来ない。私共は,ツバキの花の美しさを愛してのるので,葉や枝振りは対象外で
す。また,花の美しさを競うのがコンテストですので,それを出来るだけ公平に評価す
るために階級制を設けているので,別に不思議はないでしょう」と。
 
〈装飾品か,自然の象徴か〉
 以上は,多少大げさな仮想論争劇です。ですが,ツバキはわが国原産の花木で,バラ
やシャクナゲと同様,広く世界の人々に愛されている花だけに,我々日本人の美意識を
知るのに絶好の花と考えられます。
 花に対する美意識における最も根本的な差異は,欧米人が花を装飾品の一種と考える
のに対し,日本人は花を自然の象徴の一つと考えている点にあります。それを端的に示
しているのが,西洋式生け花と日本式生け花の差です。西洋式生け花は,フラワーアレ
ンジメントとかフラワーデザインなどと云われるように,花を美しく配列したり,デザ
インしたりする技術で,花を室内装飾として取り扱っています。そのため,材料である
花は,華麗なもの程見栄えがします。
 
 ところが,わが国の生け花は室内装飾と云うよりは,切り枝に託して自然を室内に持
ち込む技術,と云った方がよい。つまり,「大自然の景観を一盃の花によって象徴的に
表現し,理想の世界を具現しようとする」訳です。千利休センノリキュウが「花は野にあるよう
にいけよ」と云ったのも,そのためです。花に対する基本的な意識の差が,ツバキの花
の見方についても大きく影響しているものと思われます。
 此処で,花に対する日本人の好みの特徴を具体的に挙げて,少し考えてみましょう。
 
○一重の花を愛する
 ツバキは園芸植物の中においても,最も花形の変化に富む植物です。それは,雄蘂オシ
ベが容易に花弁に変化する遺伝性を持っているからで,野生の一重ヒトエの花から花弁の数
の多い多様な花形が出来て来ました。日本人は自然志向が強く,自然こそが最高である
と云う意識を持っていますので,野生に近い一重の簡素な花を好みます。改良の進んだ
花は綺麗であるとは思いますが,何となく違和感を持つようです。しかし欧米人は,花
弁数の多い派手な品種を好む傾向が強い。
 わが国のツバキの園芸品種には,一重咲きの品種が圧倒的に多く,逆に花弁数の多い
八重ヤエ咲きや牡丹ボタン咲き,獅子シシ咲きなどの品種は少ない。ところが欧米のツバキに
は,一重咲きは非常に少なく,逆に花弁数の多い花形の品種が多い。特に面白いのは,
欧米人には一重のツバキは改良されない粗野な花としか映らず,全く関心を持たれませ
ん。
 
 それに対して日本人は,一重咲きの中においても花弁の開き具合やカーブの仕方,雄
蘂の形などから,筒咲き,猪口チョコ咲き,抱え咲き,平咲き,梅芯バイシン咲きなどと細か
く分けなければ気が済まず,積極的に一重のツバキの美しさを見出しています。この日
本人の好みは,欧米人には理解し難いことです。
 日本人の一重好みはツバキだけでなく,サクラやツツジなどわが国に原種が見られる
花に共通しています。しかし,カーネーションやバラなど外来の花は,八重咲きに改良
された園芸品種が渡来しました。そのため,初めからそういうものであると云う概念を
持っていますので,特に一重の花を欲しがることはないようです。
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