39a 植物の世界「植物の謎を解き明かすシロイヌナズナ」
 
〈花の仕組みの順序〉
 例えば,花は全て外側から,萼ガク,雄蘂オシベ,雌蘂メシベの順で出来ています。例外
は,現在まで雌蘂が雄蘂の外側にあるラカンドニア科の1種しか知られていません。何
故この順番になるのでしょうか。この仕組みに関しては,ボウマンが1991年に提唱した,
いわゆる「ABCモデル」が,広く受け入れられています。これら四つの器官が三つの
遺伝子の組み合わせによって決められると云うもので,専門的になり過ぎますので説明
は割愛しますが,このモデルは,シロイヌナズナの花の形の変異体をいろいろ集めて解
析した結果,組み立てられたものです。最近は,それぞれの変異体に対応する遺伝子一
個一個も分離され,植物の形について,最も解明の進んだ分野の一つになりました。
 
 シロイヌナズナの野生株の花は,アブラナ科らしく,4枚の萼片と4枚の花弁,6本
の雄蘂,2心皮シンピ性の1本の雌蘂からなります。ところが,このモデルの根拠となっ
た変態の一つ(アガマス変異体)は,花弁数がずっと多い。よくみて見ますと,外から
順に4枚の萼片,4枚の花弁,更に6枚の花弁(計10枚の花弁)の後,また初めから4
枚の萼片,10枚の花弁・・・・・・,と繰り返し,雄蘂や雌蘂はありません。これは,元々雄
蘂を作るべきところに花弁を作り,雌蘂を作るべきところに再び新たな花を作るように
なった変異体と解釈することが出来ます。
 このように,別のところに作られる筈の器官が,本来そこに作られるべき器官と置き
換わってしまったような変異を,「ホメオティック変異」と呼びます。抑もソモソモ萼も花
弁も,また雄蘂や雌蘂も,本モトを糺タダせば,全て葉が変形したものです。従って,その
変形を司る遺伝子に変異が起きれば,互いに置き換わってしまうことがあり得る訳です。
ホメオティック変異体の研究から,葉が萼や花弁,雄蘂や雌蘂になるように命令してい
る遺伝子が,どう云う性質のものか推察出来るようになりました。
 
〈花がブロッコリー状に〉
 また,最近になって,「アペタラ1」と云う変異と,「カリフラワー1」と云う変異
の二重変異体は,カリフラワーやブロッコリーそっくりの姿になることがわかりました。
ただ,大変小さく,電子顕微鏡などでは見られます。これは,本来一つの花が出来るべ
きところに,多数の花を伴う枝が出来てしまった結果と考えられます。つまり,アペタ
ラ1遺伝子とカリフラワー1遺伝子とは,特定の場所に花を作るか,或いは枝を作るか
の選択権を握っている遺伝子らしい。現在は,このような変異体も採り入れて,花の形
だけでなく,花そのものを作り出す仕組みまで,解明が進んでいるところです。
 シロイヌナズナの変異体を用いた研究が,花の形態形成を解明する上で功を奏したた
め,現在においては根,花序カジョ,葉など,植物のあらゆる部位の形について,シロイ
ヌナズナを用いた研究が進められています。本稿においてはもう一つ,筆者等のグルー
プによる,葉の形の制御に関する研究の一部をご紹介します。
 
 普通の葉は平面状で,単純な形をしています。紙に少し尖った楕円を描いて柄を付け,
一寸葉脈らしき筋を描き込めば,それらしく見えます。その形を作る仕組みは,決して
単純ではありません。どう云う仕組みが働いているのかさえ,未だよく分かっておらず,
特にアブラナ科を含む双子葉植物の場合は分かりにくい。
 葉の発生を解剖学的に調べて見ますと,意外に複雑なのに驚きます。進化的には枝が
平面的に癒合ユゴウしたものと推定されていますが,発生を見ますと,枝を作ってからそ
の間を埋めると云う過程では決してありません。最初は棒状であったものが,その両脇
に張り出しを作ることで平面的になるらしいのですが,その間,細胞の分裂も伸長も混
ざって起こり,その方向も一定していないため,非常に分かり辛い。突然変異体を用い
た遺伝学的な解析においては,実際の進行過程が如何に複雑でも,その中において働い
ている遺伝子の役割を一つずつ抽出出来ますので,こう云ったことの解明にはもってこ
いです。
 
〈長さと幅は別の遺伝子が決める〉
 まず,葉の形について得られた変異体は,長さと幅が野生種と比べていろいろです。
例えば,長さの短い方の葉は幅が正常で,幅の細い方の葉は長さが正常と云う結果を得
ました。また,試しに両方の変異を持った変異体を作ってみますと,長さも幅も短い葉
が出来ました。このことから,長さは長さ,幅は幅で,別々の遺伝子が働いていて,縦
横それぞれの方向に葉をどれだけ広げるかを決めている,と云うことが推定されます。
 更によく調べてみますと,この調節は,葉を作る細胞一個一個に対してなされている
ことが分かりました。また,葉の細胞を大きく膨らませるための遺伝子も,これらとは
別に機能していることが分かっています。他にも変わった形の葉を作る変異体が得られ
ていますので,葉が葉としての姿を作り上げている仕組みが分かる日も近いでしょう。
 
 これまでご紹介した研究は,植物が植物らしい形を作り上げる基本的な仕組みを調べ
るのが目的ですが,此処まで進みますと,欲も出て来ます。私共が目にしている植物は
,基本的構造が全て同じですが,それでは,例えばサボテンとキクに見出されるような
数多くの違いは,どのような仕組みによって生じて来たのでしょうか。基本的な仕組み
すら分からないうちに,いきなりこのような疑問を解決しようとしても無理と云うもの
ですが,私共の技術は,そろそろこうした疑問に立ち向かえるレベルまで辿り着きつつ
あります。
 
〈サボテンもキクも「部品」は同じ〉
 幸いなことに,花を咲かせる植物は,葉,茎,芽,そして根と云う限られた「部品」
しか持っていません。ですから,サボテンとキクが見かけ上幾ら懸け離れた姿をしてい
ると云っても,それはこの基本的な構造が少しずつ変形した結果に過ぎません。従って,
これらの部品を作り上げている基本的な仕組みさえ分かりますと,植物の姿の現在のよ
うな多様性が実現した過程を,遺伝子のレベルにおいて理解することが出来る筈です。
 例えば簡単なところでは,前述において紹介したシロイヌナズナの細葉の変異体があ
ります。葉が細いことは,自然界においてはあまり利点がないと思われるかも知れませ
ん。しかし,水位が著しく上下する渓流沿いのような環境においては,増水とその後の
乾燥と云う過酷な環境に耐え得る形の一つとして,水流への抵抗が少なく,かつ乾きに
くい細葉が,自然界に選択されて来たらしい。進化の歴史上,細葉の変異体が複数の異
なる系統によって選ばれて残された形跡があります。コケから高木に至る70科以上に,
その特性を持った植物が見られるからです。
 
 渓流沿いの環境に生育する植物は,葉以外にも,発達した根,強靭な茎など,形の共
通点が多いため,「渓流沿い植物」と呼ばれます。その進化は,それぞれの種が出来る
度に何回も起きた現象ですので,渓流沿い植物の特徴は,おそらく1個か精々数個の遺
伝子の変異によって,生じ得るのでしょう。その進化の過程を探る上でも,シロイヌナ
ズナの細葉の変異体は,原因遺伝子の特定を通して,きっと役立つに違いありません。
 シロイヌナズナが,植物に関するあらゆる分野の研究に貢献するときを迎えたと感じ
るのは,筆者だけではないでしょう。
 
 注:本稿において紹介した内容については,筆者(塚谷裕一氏)著『植物の〈見かけ
   〉はどう決まる』(中公新書)も併せてご覧下さい。

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