38 植物の世界「ハイブリッド品種」
植物の世界「ハイブリッド品種」
参考:朝日新聞社発行「植物の世界」
わが国において最も多く消費されている野菜の御三家と云いますと,キャベツ,ハク
サイ,ダイコンでしょう。これらは全て同じアブラナ科に属しますが,この科の野菜に
は,このほかにもブロッコリー,カリフラワー,カブ,ツケナなど様々ななものがあり,
アブラナ科野菜と呼ばれています。
アブラナ科野菜には,[練馬ダイコン][守口モリグチダイコン][桜島ダイコン]を始
め,様々な栽培品種があり,現在更に多くの新品種が育成されています。このアブラナ
科野菜の品種育成において,わが国の技術は世界の先端を切っており,例えばある会社
のブロッコリーの品種は,米国において作付けされるものの70%のシェアを誇っていま
す。これはわが国の育種技術者が,自家不和合フワゴウ性と云う植物特有の性質に一早く注
目し,これを基に「ハイブリッド品種」と呼ばれる育種法を用いて優秀な品種を育成し
ているからです。
〈ハイブリッド品種とは〉
ハイブリッド品種と云う育種法は,米国においてトウモロコシの品種改良のために開
発されたもので,これによって育成されたトウモロコシの品種は「ハイブリッド・コーン
」と呼ばれます。また最近,中国においてイネのハイブリッド品種である「ハイブリッ
ド・ライス」の育成に成功したことが報じられ,ジャーナリズムを賑わしました。
英語ではこの育種法による品種を「ハイブリッド・ヴァラエティ」と云いますので,そ
の訳語として本稿においてハイブリッド品種としましたが,わが国においてはこのほか
「一代雑種品種」とか「一代交配品種」とも呼ばれます。また「ハイブリッド」とは雑
種と云う意味ですが,この「雑種」という用語は一般に幅広く使われています。例えば
ハクサイとハクサイとの間の雑種(種内雑種)の場合もありますし,ハクサイとキャベ
ツのように異なる種同士の雑種(種間雑種)もあります。ハイブリッド品種と云う場合
の「雑種」は,種内雑種の意味で使われています。異なった種や属の間の雑種において
は不稔性フネンセイなどの問題があって,ハイブリッド品種にはならないからです。
一般に雑種となった生物は,純系種よりも生活力が旺盛になることが多く,特に「雑
種強勢キョウセイ」と呼ばれます。ハイブリッド品種と云う育種法は,この雑種強勢を利用す
る育種法で,他の方法によって育成された品種に比べ,揃いが良く,病気などにも強く,
生育旺盛なことが実証されたもので,各種の作物においてこの育種法による新品種育成
が試みられて来ました。
では,何故雑種強勢になるのでしょうか。それは次のような理由からです。
生物は母親と父親からそれぞれ1セットずつの遺伝子群を受け取りますが,この遺伝
子には多少の欠陥があることが多い。近親同士の交配の場合は受け取る遺伝子がほぼ同
じなため,その欠陥がそのまま表に現れますが,雑種のようにそれぞれ異なる遺伝子で
すと,一方の遺伝子の欠陥が他方の親から来た遺伝子によってカバーされることが多い
ので,欠陥が表面化しません。このような沢山の遺伝子が働き合って生物は成長します
ので,遺伝子群全体に違いが多い雑種の方が強くなるのです。逆に近親交配を続けます
と一般に生活力が低下するため,生物には近親交配を妨げるような機構を持っているも
のが多い。
ハイブリッド品種による育種法においてまず重要になって来ますのは,雑種強勢をよ
り強く示す組み合わせの両親系統を選ぶことです。これには様々な系統を組み合わせて
雑種を作り,栽培してみるしかありませんが,これは実際には大変な作業になります。
このため,交配する最良の組み合わせを予め選び出す方法がいろいろ試されていますが,
あまりうまくいっていません。現状においては雑種を実際に作って試作してみるのが最
も信頼出来る方法です。
〈トウモロコシでの成功〉
次の問題は,その雑種一代目の種子だけを多量に,しかも経済的に採取することです。
と云いますのも雑種二代目以降は,メンデルの法則が示すように,様々な性質が分離し
て発現して来ますので,性質が悪くなり,栽培には利用出来ないからです。ハイブリッ
ド品種育成の最大の問題は,雑種一代目の種子を経済的に採取する技術の開発と云うこ
とになります。
雑種種子を大量に採取するために,様々なな方法が開発されました。初めてのハイブ
リッド品種が育成されたトウモロコシの場合には,他の系統から隔離した圃場ホジョウに両
親系統を混ぜて植え,母親植物の雄花を全部切り取って除く方法が採られました。こう
しますと,この母親の雌蘂メシベには必ずもう一方の親系統の花粉が付きますので,母系
統から採った種子は全て両親の雑種になると云う訳です。トウモロコシの場合にはこう
いう単純な方法によって雑種一代目の種子が多量に採取出来たために,1930年代からハ
イブリッド品種が広く普及し始め,米国のトウモロコシ農業の礎が築かれたのです。
このトウモロコシの成功を受けて,いろいろな野菜においてハイブリッド品種による
育種法が試みられました。例えばトマトやナスにおいては,一つの花を交配するだけで
100を超す種子が採れるので,人手によって交配しても比較的簡単に多量の種子が採れま
す。またタマネギやイネにおいては,遺伝的に花粉が不稔になる系統と正常な系統を組
み合わせる方法が開発されました。
しかしアブラナ科野菜においては,トウモロコシやトマトのように簡単に雑種一代目
を採取することは出来ません。雌蘂と雄蘂が一つの花の中にありますので,自分の花粉
が付きやすく,雑種になりにくいからです。
この問題を解決するために,わが国の育種家は植物自身が自己と非自己を見分ける性
質を持っていることに着眼し,この性質を利用することを考えました。
〈自家不和合性の利用〉
「植物も自分(自己)と他人(非自己)をちゃんと見分けています」と云いますと,
怪訝ケゲンな顔をされると思います。勿論植物には目がありませんので,相手を目で見て
見分ける訳ではありません。花粉が雌蘂の柱頭チュウトウに付き,そこから雌蘂の中を花粉管
が伸長する間に,自己の雌蘂か非自己の雌蘂かかが見分けられ,自己であれば花粉管の
伸長は止まるが,比自己であれば花粉管が伸長して卵に到達し寝受精・結実します。こ
うした仕組みによって植物は自己と非自己を見分けているのです。植物のこの現象を自
家不和合性と云います。
自家不和合性は,花粉管が雌蘂の中を伸長するときに働く現象です。雌蘂は被子植物
に進化したときに作られた器官ですから,被子植物特有の性質と云ってよく,自家不和
合性は被子植物が近親間の交雑を抑制するための一つの機構です。
アブラナ科野菜の場合には,非自己の花粉によって受粉しますと花粉は発芽して,花
粉管を伸ばし,花粉管は雌蘂の先端にある乳頭細胞の細胞壁(細胞の外側にあるセルロ
ース・ペクチンから構成される細胞の壁)の中に侵入して受精・結実します。自己の花粉
も発芽はしましが,乳頭細胞の細胞壁の中に侵入出来ません。
この自家不和合性によって,アブラナ科植物から多量に雑種一代目の種子を採取する
方法が研究されるようになりました。まず隔離された圃場や孤島に,AとBの両親系統
だけを一緒に植えます。送粉者であるハチは,満遍なくA花とB花に訪花し,花粉を媒
介します。このときA及びBの柱頭にはAB両方の花粉が付くことになりますが,この
とき自己と非自己の花粉を見分けますので,Aから採れた種子はBの花粉との雑種種子,
Bから採れた種子はAの花粉との雑種種子となり,この畑から採れた種子は全てAとB
の雑種一代目となります。もしもAかBのどちらを母親にするかによって雑種の性質が
違うような場合には,畝ウネ毎にAかBを決めておいて,別々に種子を採ればよい。
このような原理自体はそう難しいものではありませんが,これを実行するには,多く
の問題を解決しなければなりませんでした。
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